第17話 時橋 夕華②

 高校1年生の夏休み。

お姉ちゃんに彼氏ができた。

相手はお兄ちゃんの同級生の西岡リョウ。

かなりのイケメンでサッカー部のエース、父親はお金持ち。

彼氏としては申し分ないかもしれないけど、私は正直嫌いだった。


「ねぇ、夕華ちゃん 今度の休みに2人で遊園地に行かない?」


「いえ、遠慮します。 それに誘うなら、お姉ちゃんにしてあげたらどうですか?」


「そんな固いこと言わないでよ。 俺、結構夕華ちゃんも好みなんだよね」


「いい加減にしてください!」


 こんな風に、西岡リョウはお姉ちゃんに隠れて執拗に私をデートに誘ってくる。

無論、私は全て断っている。

下心見え見えの男の誘いに乗るほど、私はバカじゃない。


「そんな連れないこと言わずにさ~。 昼奈には黙っておくから」


「そういう問題じゃありません! 失礼します!」


 直接声を掛けてくることもあれば、電話やラインでも誘い文句を垂れ流してくる。

多分お姉ちゃんに何か吹き込んで番号やIDを手に入れたんだろうけど、迷惑でしかない。

それにこれは自分のパートナーを裏切ってほかの女に現を抜かす浮気行為にほかならない。

元カレの影響もあるけど、そもそも私は浮気というものを激しく憎んでいる。

私の知っている限り、浮気はこの世で最も最低な裏切りだ。

そんな裏切りを平然とやる西岡リョウのような男も、私は大嫌いだ。

だから私は、お姉ちゃんに1度だけ彼氏の裏切りを伝えたことがある。


「お姉ちゃん、ちょっといい?」


「何? 改まって」


「言いにくいんだけど・・・私、お姉ちゃんの彼氏に、よくデートに誘われるんだ。

何度断ってもしつこくって・・・」


 私は西岡リョウの本性をさらけ出すのと同時に、身の潔白を証明すべく、彼とのラインのやり取りを見せた。


「あんまりこういうことは言いたくないんだけど、あの人絶対浮気すると思うの。

だからあの人とは・・・」


「ちょっと待って」


 お姉ちゃんは突然、私の言葉を遮り、発言の主導権を握られた。


「夕華とのやり取りなら、誤解されないようにって、リョウ君から聞いてる。

でもね? 彼は別に浮気しようと思ってこんなことを言ってるわけじゃないの。

ほら、夕華ってあんまり人と関わろうとはしないでしょ?

だからリョウ君が気を使ってくれたんだよ」


「は?・・・」


 お姉ちゃんはそういうが、私にはあの男がそんな良心的な人間だとは到底思えなかった。

現にラインでも、”可愛い顔だね”だの、”結構胸が大きいんだね”だの、あからさまに私を異性として見ている。


「リョウ君ってユーモアのある人だから。

ついそんな風に書いちゃうんだって。

だから、大目に見てあげてくれない?」


 今までお姉ちゃんとは色々話をしてきたけど、ここまで理解できない会話はなかった。

そもそも無意識にこんなナンパな文面をすらすら送れる相手をなんでそこまで庇うの?

それに西岡リョウは言葉だけでなく、ネックレスやレストランの招待券といった、物で私を釣ろうとしたこともある。

さらには、馴れ馴れしく顔や手などを触って来ることもあった。

今思い出しても鳥肌が立つ。

あれはもう悪い意味で経験が豊富ってことでしょ?

お姉ちゃんにもこのことは伝えたけど……。


「リョウ君は優しいから」


 その一言で片づけられてしまった。


「かっ仮にお姉ちゃんの言う通りだとしても、彼女以外の女にこんなことする男なんて、信用できるの!?」



「夕華・・・私とリョウ君は愛し合っているの。

まあ、嫉妬しないっていうとちょっと嘘になるけどね。

でも、リョウ君は浮気なんてしない。

私はそう断言できるよ?

だってそれが恋人になるってことでしょ?」


「お姉ちゃん・・・」


 私はそれ以上、言葉が出てこなかった。

もう何を言っても、お姉ちゃんの西岡リョウに対する信頼は揺るがないんだって悟ったから。

恋は盲目とはよく言うけど、こんなに人の正常な思考を狂わせるものなんだと、私は心底呆れてしまった。

だけど同時に、お姉ちゃんが羨ましく思う。

自分の気持ちを素直に伝えることができずに、お兄ちゃんに冷たく当たる自分に比べたら、

周りが何を言っても相手を信じられるお姉ちゃんの方がずっと素敵に見える。

私は人を好きになるのに向かないのかな?


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 私がテニス部の合宿に行っていたある日の夜。

スマホに着信が入った。


「お母さん?」


 相手はお母さんだった。

てっきり”調子はどう?”みたいな世間話でもしたいんだろうと、私か軽い気持ちで通話ボタンを押した。


「もしもし?」


『もしもし? 夕華? ごめんね、こんな時間に』


「ううん、別にいいよ。 ちょうど暇だったし。

それよりどうかしたの?」


『実は・・・夜光が女の子を襲ったの』


「えっ?・・・」


 一瞬意味がわからなかった。

お兄ちゃんが女の子を襲った?


『今日、学校で夜光が女の子にその・・・性的な暴力を振るおうとしたの』


「なっ何をいってるの?」


 お兄ちゃんが女の子をレイプしようとした?

そんなバカな話がある訳ない!!


『西岡君達が間一髪で夜光を取り押さえてくれたから、大事にはならなかったけど・・・』


 ありえない!!

誰よりも優しいお兄ちゃんがそんなことをするわけがない!!

お母さんはお兄ちゃんを完全に疑っているみたいだけど、

私から言えば、都合よくその場でお兄ちゃんを取り押さえることができた西岡リョウの方が怪しく見えた。

あいつは、お姉ちゃんというものがありながら私と浮気しようとするクズだし・・・理由はわからないけど、何かとお兄ちゃんを目の敵にしていたのにも気づいている。

もしかしたら、あいつがお兄ちゃんをハメたんじゃあ・・・ううん。

今はそれよりも、お兄ちゃんが優先!


「それで、お兄ちゃんはどうしてるの?」


『追い出したわ・・・』


「・・・えっ? どういう意味?」


『言葉通りの意味だよ夜光は今さっき、家族の縁を切って追い出したわ。

女の子を襲うような最低な人間をこの家に置いておくわけにはいかないからね』


「だからって、追い出すことはないでしょ!?

それにお兄ちゃんが本当に襲ったのかどうかもわからないじゃない!!」


 大声でお母さんに怒鳴ったのはこれが初めてのことだ。

お母さんも少し言葉に詰まったみたいだけど、すぐに我に返った。


『証拠も証言もそろってるの。 未遂とはいえ、間違いなくあの子は犯罪者だよ。

それに・・・このまま夜光を置いていたら、あなたや昼奈が傷つくことになのよ?』


 お母さんの心配は理解できる。

真意はともかく、お兄ちゃんとこのまま家族として過ごせば、私達に対する世間の目は冷たくなるでしょう。

そうなれば、家族の生活は危機に瀕する可能性が高い。

でもだからといって、今まで家族として過ごしてきたお兄ちゃんをトカゲのしっぽみたいに切り離すなんて、理解できない。


「お父さんとお姉ちゃんは反対しなかったの?」


『えぇ。 2人共、追い出すことに賛成してくれたわ』


 信じられなかった。

気の弱いお父さんはともかく、弟してお兄ちゃんをとても可愛がっていたお姉ちゃんが、追い出すことを了承したなんて……。


「でっでも、じゃあなんで私に相談してくれなかったの!?

私だって家族の一員でしょ!?」


『何を言っているの? あなたは昔から夜光のことを毛嫌いしていたんだから、反対する訳がないでしょ?』


「・・・」


 最悪だ……。

私のお兄ちゃんに対する普段の接し方を見れば、お母さんがそう思うのも当然だ。

素直になれなかったから・・・なんて言い訳にもならない。

私は私を殴りたい思いに駆られた。


「お兄ちゃんは・・・やったって認めたの?」」


 私は書き換えられない自分の過去の過ちから目をそらしたい一心で、こんな問いかけを投げてしまった。


「最後までシラをきっていたよ。 10年以上も暮らしてきたけど、あんなに性根の腐った子だとは思わなかったわ」


「!!!」


 私はお兄ちゃんに対する侮辱の言葉に激しい怒りを感じ、思わず電話を切ってしまった。

私が怒る資格なんてないのに……。



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 翌日、私は顧問に無理を言って合宿を切り上げさせてもらい、予定より早く帰宅することにした。

もちろんお兄ちゃんを探すためだ。

心当たりなんてないから、しらみつぶしに探すことになるけど、かまわない。

このままお兄ちゃんを1人にしたくない!!

その想いが、私を突き動かす原動力になっていた。


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「あっあなたは・・・」


 家の前で私が出会ったのはお兄ちゃんだった。


「久しぶりだね。 夕華」


「うん・・・」


 私は嬉しくてたまらなかった。

お兄ちゃんが私の目の前に立ち、名前を呼んでくれる。

今までなんとも思っていなかったしぐさの1つ1つが幸せなことだったと今になって気が付いた。


「学校でのこと、聞いた?」


「うん・・・昨日、お母さんから電話で・・・」


「僕はもう終わりだ・・・これから死のうと思う」


「なっ何を言ってるの!?」


 ダメ! 死ぬなんていわないで!

私のそばにいて!!


「最後に君の顔を見ておきたかったんだ・・・じゃあ、僕はもう行くよ」


「まっ待ってよ!」


「・・・何?」


「もう家には帰ってこないの?」


「あの家に僕の居場所はもうないよ。 学校もやめさせれたし」


「私がみんなを説得するから・・・」


「無駄だよ・・・みんなもう僕を厄介者としか見ていない」


「だっだからって、はやまらないで!」


「なんで僕を止めようとするの? 僕がどこで野垂れ死にしようと、夕華には関係ないだろ?」


「関係なくない! 家族でしょ!?」


 違う!!

私が言いたいのはこんなことじゃない!!

どこまで臆病なの!? 私は!!


「家族? 今まで僕のことをばい菌みたいに扱ってきた君がよく言うよ!」


「そっそれは・・・ごめんなさい・・・」


「学校ではクラスメイトにいじめられて・・・家では君に罵られる・・・そんな毎日を過ごしてきた僕の気持ちがわかるか!? 家族に何も理解されずに拒絶されるのがどれだけつらいか、わかるか!?」


 いじめられていた!?

お兄ちゃんが?

そんなことも知らずに、私はお兄ちゃんを冷たくあしらっていたの?

私に勇気がないばかりに・・・お兄ちゃんの心を深く傷つけてしまった。


「もう楽にさせてくれ・・・」


「まって・・・待って! お兄ちゃん!!}


 私は思わずお兄ちゃんの体にしがみつき、その歩みを止めた。

皮肉にもこの時初めて、お兄ちゃんって呼べた。


「離してくれ!!」


「いや! 私がお兄ちゃんを守るから・・・どこにも行かないで!!」


「守るだと? さんざん僕を傷つけておいて・・・」


 そうだ・・・私はお兄ちゃんを傷つけた。

何をどう見繕ってもその事実は変わらない。

・・・だから!!


「好きだったの!!」


「・・・えっ?」


「お兄ちゃんのこと・・・ずっと好きだったの」


 つまらないプライドを捨て、私はお兄ちゃんにようやく気持ちを伝えることができた。

いまさら 遅いかもしれないけど・・・もう迷わない!!


「何を言って・・・」


「本当にごめんなさい・・・謝っても許してくれるなんて思っていないけど・・・ごめんなさい」


「・・・」


「気持ち悪いよね? 義理でも妹に好きって言われるの・・・」


「・・・本当に僕のことが好きなのか?」


「うん・・・大好き」


 なんで今までこんな簡単なことができなかったんだろう?

もっと早くこうしていれば・・・お兄ちゃんをここまで思い込ませることもなかったのに……。


「だったら僕のことを一生守って・・・絶対に・・・」


「うん! 一生お兄ちゃんに尽くすって誓う」


「夕華・・・僕にはもう君しかいない・・・」


「お兄ちゃん・・・」


 私は嬉しくて涙があふれ出た。

今まで封じ込めてしまっていた気持ちを解放し、その想いがお兄ちゃんに伝わった。

私は身も心も幸せにあふれていた。

もう一生、お兄ちゃんを傷つけたりしない。

どんなことがあっても、私がお兄ちゃんを守る!

私はその気持ちを自分自身の心に刻みつけるように、

お兄ちゃんにファーストキスを捧げた。

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