第3話 時橋 夜光③

 リョウのいじめから俺を守ってくれる義姉の昼奈。

いつでも守ってくれる訳ではないが、それでも俺を気遣うただ1人の存在。

1度だけ、昼奈がリョウとばったり会ったところを目撃したことがある。

彼女は普段あまり見せない怒りを露わにし、「夜光にひどいことをしないでね?」とリョウにくぎを打ってくれていた。

リョウ本人は適当にはぐらかしてその場を立ち去り、後日、俺目掛けてゴミ箱の中身をぶちまけてきやがった。

意味はないのかもしれないが、昼奈が影で俺を守ろうとしてくれる気持ちがただただ嬉しかった。

俺にとって昼奈は、誇れる姉であり、愛しく思う女でもあった。

だが、心に灯る想いを口にすることはなかった。

告白すれば、それが上手くいこうがいくまいが、それは家族の関係に影響する。

家族に対して恩を感じている俺には、そんなことをする勇気を持つことができなかった。

まあ、彼女が俺のことを弟としか見ていないのはなんとなくわかっていたから、上手くいく可能性も低かったしな。

それに、俺が悩んでいるのはリョウのことだけじゃない。


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「ちょっと! お母さん!」


 ある休日の朝、俺が朝日の作った朝食をテーブルに並べていた時だった。

義妹である夕華が洗濯機に入れていた自分の私服を持って朝日に詰め寄っていた。


「私の服とこいつの汚い服を一緒に洗わないでって何度も言ってるでしょ!!」


「夕華! いい加減にしなさい! 夜光はあなたのお兄ちゃんでしょ!?」


「なんで血のつながりのない男をお兄ちゃんと思わないといけないの? 気持ち悪い

!」


 夕華はゴミを見るような冷たい視線を俺に向けてきた。

俺は怯えながらも平常を装おいつつ、作業を進める。

どうでもいいが、娘を怒ることができない深夜は関わらないように新聞で顔を隠している。

とはいっても、メンタルチキン野郎なんかに、誰も期待していないだろうがな。


「もういいわ! そんなに夜光と一緒なのが嫌なら、これからは自分で洗濯しなさい!」


「・・・わかったわよ!」


 夕華は怒って階段を駆け上って行き、自室に閉じこもってしまった。

まあ、夕華が癇癪を起こすのはこれが初めてじゃない。

その原因となっているのはいつも俺。

この家に来たばかりのころは夕華も別段普通に接してくれていたが、中学生になったくらいの頃から、俺に対して非常な扱いをするようになった。

家族の中では”難しい年頃なんだろう”と言う解釈で見守るようにしている。


「夜光・・・大丈夫?」


 そう言って俺を慰めようとするのは決まって昼奈であった。

朝日はこういったメンタル面でのカバーが疎かな部分があるし、深夜に至っては語るまでもない。


「だっ大丈夫・・・気にしてないから」


「・・・お姉ちゃんに嘘はダメだよ?」


「・・・ごめん。 でも、夕華を怒ったりはしないで。 お願い・・・」


「・・・わかった。 ホント、夜光は優しい子だね」


 昼奈は俺の手を握り、吸い込まれるような美しい瞳で俺をじっと見つめる。


「夜光・・・つらいことや苦しいことがあったら、いつでも言ってね。

どんな時でも、私が絶対夜光のことを守るから」


「・・・うん、ありがとう」


 夕華の罵声に傷ついていることは事実だが、あいつの気持ちがわからない訳でもない。

俺も孤児院じゃ、周りの奴を受け入れようとせず、距離を取っていたからな……。

我ながら甘い考えだとは思う。

だが、過去の自分を切り捨てて、他人を受け入れる新しい自分になろうと決めていた俺は


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 幸せとは言い難いが、俺の暮らしは決して不幸と言うわけではなかった。

昼奈がそばにいれば、俺はどんなことでも耐えられる……そう思っていた。


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 高校1年生の夏休み……。

昼奈が家族に召集を掛け、俺達は家のリビングに集められた。

なんでも大切な発表があるとのこと。


「昼奈、一体なんなんだ? 急に家族みんなを集めたりして・・・」


 開口一番は深夜だった。

昼奈は照れくさそうに顔を赤くしながら1度深呼吸をしてゆっくりと口を開く。


「実はね・・・彼氏ができちゃいました!」


『!!!』


 この発表には俺だけでなく家族全員が驚いた。

昼奈に恋愛関連の話等、今まで全く上がったことがなかった。

当の本人も「恋愛するよりみんなと遊ぶ方が楽しい」と家族や友達と過ごすことを優先していた。

昼奈とずっと一緒にいた俺ですら、全く気付かなかった。


「彼氏!? 一体誰なの!? というかいつ付き合ったの!?」


 珍しくテンパる朝日に一瞬周囲が珍妙な目を注ぐ。


「順を追って説明する・・・」


 昼奈の話をまとめるとこうだ……。

夏休みに入る前日、昼奈は女友達と一緒にライブを見に行った。

その帰り道に、チャラついた男数名に囲まれ、無理やりホテルに連れて行かれそうになった。

そこへ通りかかった男子学生が、男達を拳で追い払い、昼奈達を助けたのだと言う。

昼奈はその時、助けてくれた男子学生が王子様のように輝いているように見えたのだと言う。

ようするに一目ぼれだ。

昼奈はすぐに連絡先を交換し、それから2人で会うようになり、昨日男子学生から付き合ってほしいと言われ、OKしたのだと言う。


「まっ待ちなさい、昼奈。 夏休みの前日と言うことは、3日前ってこと?」


「うん!」


「それで、3日間でその人と付き合うことを決めたの?」


「そうだよ?」


 朝日の問いに昼奈は首を傾げている。

実を言うと、夏休みが始まってから今日でまだ2日しか経っていない。

たった3日じゃ、誰も気づかないのも無理はない。


「ちょっちょっと、いくらなんでも早すぎるんじゃないのか?」


 滅多に意見を述べない深夜が珍しく的確なことを言いやがった。


「恋愛に時間なんて関係ないんだよ! 2人にとって大事なのは愛だよ!」


 目を輝かせて少女漫画のヒロインみたいなことを言う昼奈だが、展開自体は下手なギャルゲーよりひどい。

”今なら”「お前はどこのチョロインだ!」と客観的に取れる。

だが、昼奈に好意を抱いていた当時の俺にとって、この話はとてもショックだった。

昼奈だって年頃の女だ。 

彼氏くらいいずれできるだろうと心の片隅で考えてはいた。

だが、彼女との楽しい時間が”昼奈は絶対彼氏を作らない”と言う根拠のない妄想めいた考えを強くしてしまっていた。


「それでね・・・今日彼を紹介しようと思うんだ」


「きょ・・・今日!?」


 俺は思わずすっとんきょうな声を上げてしまった。

それと同時に、家のインターホンが鳴り響き、来訪者の存在を知らせた。


「きっと彼だ! 出てくる!」


 玄関に走っていく昼奈の顔は太陽のように輝いていた。

俺に見せる笑顔とは全く異質なものだ。


「・・・」


 それを見て、俺は覚悟を決めた。

義理とは言え俺達は結ばれるには乏しい姉弟だ。

そもそも告白すらしていない俺には、昼奈の恋愛関係に口を出す資格すらない。

それに、昼奈に彼氏ができようとも、俺達は家族であることに変わりない。

昼奈の恋を応援するのが、これまで守られてきた俺にできる数少ない恩返しだ。

俺はそう自分に言い聞かせ、暖かく昼奈の彼氏を受け入れることにした。



「さあ、入って。 家族を紹介するから」


 そう言って再び昼奈がリビングに戻ってきた

後ろには彼氏らしき男の影が見えた。


「なっなんで・・・」


 男の顔を見た瞬間、俺の覚悟と決意は消え失せた。


「紹介するね! 彼氏のリョウ君だよ!」


「初めまして、リョウです」


 そこにいたのは俺をいつもいじめているリョウだった。

俺のことで対立していたはずの昼奈は、まるで新婚夫婦のようにリョウの腕に絡みつき、幸せそうな笑顔を浮かべていた。

……ついさっきまで輝いて見えていた昼奈の笑顔が、わずか数秒で曇って見えた。



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 「姉さん! なんであんな奴と付き合ったの!?」


 その日の夜、リョウが帰った後、俺は自室にいる昼奈に詰め寄っていた。


「あいつが僕に何をしてきたのか知ってるでしょ!?」


「・・・」


「もっもしかして、脅されてるの?」


「・・・ううん。 付き合いたいと思ったのは私の意志」


「なんで・・・」


「確かにリョウ君は夜光にひどいことをしたよ? でもね、本人はすごく反省してるって言ってたよ?

夜光に悪いことをしたって私に謝ってくれたんたよ?」


 リョウの謝罪が上辺だけなのはすぐにわかった。

本当に悪いと思っているなら、俺に面と向かって誤って来るのが筋のはずだ。

現に今日、あいつは俺を前にしても謝るどころか、ほとんど無視して昼奈とののろけ話を自慢げに話していた。


「ねぇ、夜光。 本人も謝っているし、許してあげようよ・・・ね?」


「でっでも、あいつは・・・」


「あんまり言いたくないけど、夜光もちょっと悪い所があるよ?」


「僕が?・・・」


「うん。 リョウ君は夜光と遊んでいるつもりだったんだって。 夜光がはっきりしないから、リョウ君はてっきり夜光も楽しんでいるんだって思っていたんだよ?」


 恋は盲目とはよく言ったものだ。

昼奈は恋と言う沼にはまって、正常な判断ができなくなっていた。

リョウが俺に危害を加えてくるたび、俺は何度も「やめてっ!」と叫んでいた。

だがあいつは構わず、俺をおもちゃのように弄んだ。

それは俺を守ってくれていた昼奈だって知っているはずだ。


「ねぇ、夜光。 今度リョウに謝ろう」


「・・・は?」


「リョウだって謝ったんだし、夜光もしっかり謝ってみんな仲良くしようよ」


 俺には昼奈の言っている意味がわからなかった。

どうしていじめを受けてきた俺がいじめていたリョウに頭を下げないといけない。

なぜ昼奈はリョウを庇うようなことばかりを口にする。

いろんな疑問が頭の中で湧き上がり、俺の心の傷をどんどん大きくしていった。


「ね? 私も一緒に行くから。きちんと謝ろうよ」


 混乱する中、俺の中で1つ理解できたことがある。


「(この人は、僕の知っている昼奈じゃない)」


 俺は無言のまま昼奈の部屋を退室し、それ以降彼女とはほとんど関わらなくなった。


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「夜光、おはよう! 今日もいい天気だね!」


 昼奈の方は変わらず俺と接しようとするが、俺はあまり相手にしようとは思わなった。


「今日さ、リョウと遊園地でデートするんだ。 それでね? この服で行こうと思うんだけど、どうかな?」


「・・・とっても似合うよ」


 二言目にはリョウの名前が挙がる昼奈との会話は、苦痛でしかなかった。

そのたびに、俺は適当に返してすぐに昼奈から距離を取るようにした。

昼奈は夏休みのほとんどをリョウとのデートに費やし、家族と過ごす時間をその分削るようになった。

時にはリョウの家に宿泊することもあったが、深夜と朝日は初めての彼氏だから見守ろうと甘い対応を取っていた。

夕華の方は全くと言って良いほど昼奈のことに興味を持たず、普段と変わりなく過ごしていた。


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 夏休みが明けると、昼奈はリョウに誘われてサッカー部のマネージャーになった。

その結果、家でも学校でも昼奈と関わることはほとんどなくなった。

だが、変化はそれだけじゃない。

ほとんど毎日あったリョウのいじめが、夏休みに入った途端、ピタリとなくなった。

その理由は廊下でサッカー部の連中と談笑していたリョウが話してくれた(とはっても、階段の影に隠れて聞き耳を立てただけだけだが)。


「そういや、リョウ。 最近時橋のこといじらなくなったよな?」


「あぁ、もう飽きたわあいつ。 何をしても同じリアクションしかしないからな。

それに俺は今後、サッカーと女にしか時間を使わないって決めてんだよ。

あんな童貞陰キャなんぞに構っている時間なんてねぇんだよ」


「それもそうだな。 ハハハ!」


 リョウの全く反省していない態度にはイラ立つが、俺に飽きたと言うのは朗報だった。

もうこれ以上リョウと昼奈に関わらなくても良いんだと、俺は内心ほっとしていた。

……その安堵が間違いだったと知ったのはそれからまもなくのことだった。

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