咲 ~大老狐尾裂一族末位・磊華~

 大蛇と化した警護キナの腕は、葬儀屋と名乗る美丈夫の首と腰に絡みついた。

 動きを抑え、そのまま首筋と心臓を狙うように顎を開く。

 葬儀屋はチラリと蛇の腕へと目を向けるが、興味無さ気な視線をすぐに戻し、キナを見据える。

 次の瞬間───。


「っ!!」


 正に蛇の牙が突き立とうとした刹那、ベロリと葬儀屋の皮膚がめくれ落ちる。

 分厚くめくれた皮膚に牙を立ててしまった蛇は、その牙を封じられてグネグネと身悶えた。

 布の上から心臓を狙った大蛇も、同じく剥がれた皮膚に牙を遮られたのか、目を白黒させていた。


「くだらない」


 そう吐き捨てる葬儀屋の剥がれた皮膚の中には、今までと変わらない表皮が覗く。

 飛び掛かったキナに両の腕を無造作に向けると、先程と同じく花弁を撒き散らす。

 変化した腕の蛇を葬儀屋に絡めてしまっていたキナは、壁となって押し寄せる花弁の波を避けきれず、バサッと正面から浴びてしまった。


「……!!」


 キナに纏わりついた花弁は落ちることなくキナの肉体に纏わりつき、次々と重なって厚みを増していった。

 見る見るうちにキナは大きな団子のようになっていく。


「キナッ!!」


 警護の女傑がキナごと花弁を払おうと、掌圧による豪風を繰り出す。

 しかし、キナは花弁ごと盛大に跳ね飛ばされて転がるのみで、花弁は剥がれる気配を見せない。


「……! ……!!」


 呻きのような音は聞こえるが、声にはなっていない。

 葬儀屋に絡みついた蛇がキナの元に戻って花弁を払おうともがいているが、一向に剥がれ落ちる様子は無かった。


「……その息の根が止まるまで、後どれくらいでしょうね」


 つまらないものを見るような葬儀屋の視線。

 すぐさま丸い花びらの球のようになったキナから、手を出してきた女傑へと目を向けた。


「……外傷も無く、健やかなる姿のまま。更には美しい花で飾られ、あとは柩に納めるだけとなる。御安心なさい、防腐効果のある花も混じっております故、遺体が傷む心配もございません」


「アンタ……!」


 怒りと焦りの匂いを濃くした女傑だったが、焦りの匂いが強く示される。

 人間の魔法にしては異質な気配。

 呪文も無く、発動も読みにくい上に徒手空拳のキナに引けを取らない起動の早さ。

 決して技術的に未熟というわけでは無かった青年キナがあっさりと無力化され、まだまだ余裕を見せる葬儀屋の実力。


 確かに怒りに任せて迂闊に仕掛けられるものではない。

 アンナ達も一連の攻防を観察してはいたものの、有効打となる攻め手は見つけられていないようだった。


「さあ、どうしますか? 彼の呼吸が止まるまで、指をくわえて立ち尽くしますか? それとも、未だ未知数の敵の懐へと攻め込み、無力化を図りますか? お仲間同士連携して、その二手を同時に繰り出すのも手でしょうか?」


 ギリリと食い縛る女傑の表情から、見透かされた焦りと刻々と迫る時間の焦りが重なる。

 一瞬で葬儀屋を無力化し、キナを救出するか? 実力を把握し切れていない相手を前にそもそもできるか? まずは救出が先と花弁を剥がしに行くか? 素手で触っても平気なのか? 第一に、葬儀屋がそれを見過ごすものか?

 選択できる手段は限られていた。


「お嬢ちゃん! アタシが奴を引き付けるから、キナを頼めるかい!?」


 警護役が護衛対象に敵を任せるわけにはいくまい。

 更には不確定要素があり過ぎる中、仲間の命を取るならば、やはりそれしかない。

 メリエがそれに反応する。


「わかった! アンナ! スティカ!」


「はい!」


「なら私が民衆を抑えましょう。アンナさん任せました。メリエさんは指示を」


 動き出す。

 しかし、それは相手も分かっていたこと。


「でしょうね。子供でもわかることだ」


「う、うっ……!」


 言われるまでも無いと言わんばかりに、苦悶の表情で頭を抱えた痩身の男が動く。

 操られた民衆はキナに群がるように駆け寄り、折り重なって倒れ込む。

 まるで人間で山を造るかのように。


「(チッ。キナもそうだが、ほっとけば民衆も圧死していくぞ)」


「(くっ! こちらに向かってくる方がまだやりやすいものを!)」


「(仕方ありません、手荒でも強引に崩しましょう)」


 今まで加減を見せていたスティカだったが、ここに来て力を解放する。

 クロの血を覚醒させ、肉体を強引に竜の階域へと持ち上げる。

 ……本当に末恐ろしい娘だと改めて実感する。


(もはやクロの血を己の武器として手中に収めたと言っても過言ではないかもしれない)


 無論、通常の精神状態でという条件は付くが、そうだとしても前例のない古竜の血を体に取り込んだ挙句、それをこの短期間に己の力として操れるようになる人間種がいようとは。

 クロが与えた星の血への親和性を高めるアーティファクトの恩恵があったとしても、信じ難いことだった。


 スティカはキナ救援の妨害へと切り替えた民衆へと肉薄する。

 そのまま手近な民どもの襟首をつかむと、片手でヒョイヒョイと放り投げ始める。

 とても人間の、それも小柄な小娘の膂力とは思えない勢いで、まるで小石を投げるかのように訓練場の壁の外へと向けて人間を投げ飛ばす様は、最早冗談と言ってもいいだろう。


 凄まじい勢いで民衆の山が小さくなると同時に、アンナが割り込む。

 徐々に見えてきた花弁に覆われたキナを掘り起こすと、クロが用意したグローブを嵌めて花弁の塊を毟り取っていく。

 アンナの方もクロのアーティファクトの恩恵で身体能力が向上していることに加え、機を見逃さず思い切りよく動くその才が花開いている。

 この調子なら早い段階で、瞬時の状況判断能力がメリエに迫るものになるだろう。


「いやはや、鬼種でも竜人種でもないのに、恐ろしい手合いが紛れていたものですな」


 二人の介入に目を剥いたのは私だけでは無かった。

 葬儀屋の男は女傑よりもスティカとアンナの方に意識を向け始めた。

 これは悪い兆候だ。

 未だ底が見えない葬儀屋の実力に比べると、地力が如何に高いとはいえアンナやスティカの実戦経験の乏しさは命取りとなる。


 実戦経験に裏打ちされた精神的余裕に戦場を俯瞰する視野、そこから生まれるのは肩肘から余分な力を抜いた程よい緊張状態。

 それは闘争に於いて己の力を十全に発揮する礎となる。

 キナの救助に意識を取られている状況でこの相手は荷が重いか。


 私がそう考えた時には、メリエは動いていた。

 アンナ達に意識と視線を向けた葬儀屋の男の左側面からメリエが、反対の右側面から警護の女傑が、それぞれ剣と拳を繰り出す。


「……フン」


 葬儀屋は避ける素振りも見せず、ただ立ち尽くしたまま二人の攻撃を受けた。

 メリエの剣が葬儀屋の首筋を薙ぎ、女傑の剛拳が脇腹を抉る。

 メリエの斬撃を、キナの攻撃時に見せたように皮膚を分厚く剥がすことによって受ける。


「……!」


 ざっくりと斬れてはいるが、それも剥がれた皮膚の部分のみ。

 その下の表皮は無傷だった。


「油断したね」


 しかし、女傑の剛拳は違った。


「ムグッ!?」


 無抵抗の脇腹に入ったにしては平然としていた葬儀屋だったが、数瞬遅れて苦悶の表情を作った。

 突き刺さった拳は、めり込みはすれど陥没させるほどでもない。

 しかし葬儀屋の男はかなり大きく身を傾いだ。


 拳打にしては鈍く、粘りつくような打撃法。

 外面上、拳打の速度も力感も大して無く、身のこなしも隙を少なくしようとする小ぶりな動き。

 しかし体幹からの重心移動は必殺のそれと言っても過言ではない程の流れがあり、葬儀屋の匂いからしても必殺に近い強撃。


(勁道……まさか、甲羅抜きか……!)


 かつてこの技法を用いて雪花の原に攻め込んできた獣種がいた。

 華奢なクセに恐ろしく重い攻撃を繰り出し、発せられた技はオサキにすら手傷を負わせ、驚愕させた。

 それは当時の幼い私が初めて見た〝猛獣〟。


 その群れが持つ、貪る本能を牙へと変じたもの。

 オサキが己の血と引き換えに見抜き、古道より真似て名を与えた技法。

 数百年ぶりに血を流したと言った当時のオサキが、称賛を以て認めた古き獸の鍛えた牙。

 まさかこんなところでその片鱗を操る人間種に出会おうとは。


「グッ……うご!?」


 膝を折った葬儀屋の男。

 女傑の技がオサキの見抜いた技法と同種ならば、以前クロが見せた体の内部に衝撃波を発生させる竜語魔法に近い特性がある。

 あらゆる〝隙間〟を強引にこじ開けるようにして攻撃を通し、送り込んだ力の全てを破壊に変換する技法を前には、奴の無防備さは浅はかだったと言わざるを得まい。


「アンタらの目的なんぞ知ったこっちゃない。けどね、どんな理由だろうが、里の家族に手を出すんなら容赦しやしないよ!」

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