壁 ~大老狐尾裂一族末位・磊華~

「フ……本当に───」


 スティカは状況にそぐわない、ゆったりとした足取りでアンナの前へと進み出る。


「───舐められたものですね」


 アンナの前に立ったスティカに伸ばされ、殺到する、群衆の腕。

 掴みかかる、というよりは、殆ど突撃と言っていいだろう。

 抑え込もうという意志よりも、圧し潰すという雪崩にも似た勢いの方が強い。


 明らかな殺意。

 その意志を感じさせない表情がまた、裏側を読めぬ人間にとって、恐怖を掻き立てることだろう。


 最初に懸念した通り、攻撃手段そのものよりも、まずその質量が危機。

 これでは華奢なアンナ達など踏み潰された虫の如くである。

 しかしスティカは、確信めいた表情で悠々とその時を待っていた。


「クロ様のご加護を受けた私に触れられるのは、クロ様だけなのですよ?」


 そう嘯いた刹那、スティカの瞳がギラリという鋭い眼光で瞬く。

 一呼吸の間も無く、スティカは己に伸ばされた手を弾き返す。

 二十はあったはずの群衆の腕は、スティカの華奢な腕により明後日の方向へと向きを変える。


 と、同時に、スティカは懐から棒を取り出すと、瞬時に群衆を打ち据えていく。

 側頭部を棒で殴り付けられた者は、カクンと弛緩し、勢いを失って倒れる。

 その返しざま、顎を打ち上げながら、更に反動の勢いを生かして首と胸を払い打つ。

 流れを殺さず、速やかに、更に次へと繋げていく。


 スティカに群がろうとした群衆の急所を的確に攻撃し、全てを一撃で行動不能へと追いやる。

 どんな方法で群衆を操っているかはわからずとも、人間である以上急所に痛打をもらえばそれまでだ。


 波のように次々と押し寄せる人間の頭を、首を、人中を、こめかみを、鳩尾を、加減を施しながら的確に狙い撃つスティカに、一瞬メリエとアンナも目を奪われていた。

 そんな凄まじいスティカの手さばきに、さすがの群衆も攻めあぐねて勢いが鈍る。


「(ふーむ。確かにここまでの道中、かなりこなれた動きになっているなとは思ったが……いつの間にここまでの力を身につけたんだ)」


「(私の望みは、クロ様の横に並び立ち、いついかなる時でもクロ様の手足となってお仕えすること。それは戦いの場であっても同じ。例え敵がクロ様と同族であったとしても、足手まといにならないだけの力が無くてはならない)」


 鋭い視線で前を見据えながら、スティカはそう決意を口にする。

 スティカはクロと同じ古竜種が相手だとしても、臆さず立ち向かうと言う。

 人間でいう騎士にも似た忠誠の意志。

 いや、それよりも信仰に近いかもしれない。


 だからなのだろう。

 スティカは必要と思うことは一切の妥協無く取り込んでいく。

 クロが望んだ知識の面のみならず、戦闘技能、奉仕の術も。


 私が古竜の力を御することが必要だと教えれば、黙々と鍛錬し己が力として昇華する。それもクロのためと考えたのだろう。

 僅かな間にここまで古竜の力を制御し、少ない実戦経験にも関わらずアンナ以上の目覚ましい技術の向上を見せるスティカの源泉は、わかってはいたがクロの存在か。


「(……クロはそれを望まないかもしれないぞ?)」


「(わかっています。ですが、クロ様は私の望むように生きよとも仰っていました。ならばクロ様に救われた命、私は私の望みに殉じるために生きます。無論、クロ様のご迷惑にならないように気を付けますし、求めあらば愛妾として身を捧げる覚悟もあります)」


 一瞬アンナとメリエが剣呑な空気を滲ませるも、凛とした佇まいで言い切る様にたじろいだ様子だった。

 覚悟の大きさの違いに、二人は一気に危機感を覚えたのだろう。


「(……やれやれ、頑固さはアンナもメリエも、そしてお前も同じか。クロは苦労するだろうな。ククク、ま、その方が楽しめる。クロには御愁傷様と言っておくか)」


 スティカの迎撃に突き崩された群衆たちだったが、そんなやり取りの間に立ち直りを見せ、再度身構えて囲いを狭くする。

 スティカのみならず、回り込んでアンナやメリエにも殺到しようとしていた。


 が、アンナもメリエもスティカに触発されたのか、一気に戦意の匂いを濃くし、それぞれの獲物を隙無く構えて腰を落とした。

 メリエは鞘に剣を収めたまま、アンナは訓練で用いていた刃引きの短剣を二刀に構え、先程までの訓練での息を一瞬で整えて迫る群衆に向き合う。


「(わ、私だってクロさんの横に並んで見せます!)」


「(私とて、クロの仲間としての矜持はある!)」


 アンナの握り込んだ短剣が、ヒュヒュッと空気を斬る。

 刃引きされていても突けば肉を貫いてしまうため、関節を狙っての斬撃を主体とした体術での迎撃を選んだようだ。


 小柄な体躯を活かし、潜り込むように迫る腕の下に滑り込むと、足払い、体当たりを駆使しながら関節を攻撃して機動力を削ぐ。

 一点には決して留まらず、すぐに腕の射程外へと退くことも忘れない。

 ユルミール森海で多数の魔物を相手にした経験が活き、かなり広範にまで視野が行き届いている。


 メリエは言わずもがな、殆どその場から動かずに間合いに入った者から的確に行動不能にしていく。

 鞘に入れたままの剣を利き手に、空いた手は珍しく徒手空拳の構え。

 ハンターとして培ってきた戦況を俯瞰的に認識する観察眼を如何無く発揮し、自分の安全だけではなく、仲間の動向にも気を配る。

 意思の匂いにも気後れ、焦りは感じず、寧ろスティカの言で火が着いた闘争心を抑え込むわけでもなく、冷静さへと流している感じだ。


 多勢に無勢というには余りに差が開きすぎた現状でそれだけ落ち着き払った心境は豪傑のものだろう。

 メリエの歳での胆力とは思えないものだ。


 三者三様。

 切っ掛けは違えど、クロを慕う想いがそれぞれを急激に成長させていることは間違いない。

 これは予想以上に早く、次の段階に入れるかもしれない。

 早いうちに古竜種の素材を用いた武具の作成をクロに打診しておくか。


 護衛を含めて僅か5人。

 それに押し寄せる100を超える群衆だが、誰一人抑え込めずにいた。

 対して私の方には見向きもせず、狙いは人間達のみ。


 やはり私の存在は気付かれていないと見ていいだろう。

 そろそろ割って入るかとも思ったが、これならもう暫く任せてもよさそうだ。

 その間に、私は今の状況を作り出している者、あるいは者共を探るとしよう。


(群衆の纏う匂いは未だ変化は無く、皆同じ。だが、この匂いの外には……)


 鍛錬場の壁に飛び乗ると、壁の外の匂いに集中する。

 鍛錬場の壁は割と強固に作られているため、中の状況が外に伝わっている様子は無い。

 フウラの里全体の匂いは……。


(祭殿にもう一つ、敵意が渦巻いている場所があるか。竜人種を狙っているならそちらを狙わない手は無いな。

 が、リンドウとカズカ、ドアニエルの匂いは健在。その他にもいくつかの実力者。すぐに堕ちることは無いだろう)


 少なくともすぐに助けが必要という状況では無さそうだ。

 ならやはり、まずはこの状況を作り出している者を炙り出す。


(ふむ。二人……か)


 里の者にしては、明らかに思考の匂いがおかしい者が一人、この鍛錬場の近辺にいる。

 その近くにもう一人。

 今アンナ達に襲い掛かっている連中の匂いと同じような匂いを発している者。


(間違いなさそうだな)


 祭殿を襲っている方まではわからないが、アンナ達の脅威となっている者は奴らで間違いないだろう。

 そいつらは徐々に近づきながら、殺意の匂いを濃くしている。


(ククク。私も、大概、クロやアンナ達と似た者同士なのかもしれない。……いや、クロに似たのか?

 まあいい。取り敢えず、仲間を傷つけようとしてくれた礼は、してやらねばな)

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