「グルル……」


「およしな、お前達」


 巨体の影狼は闇を一瞥し、その中に潜む気配を窘める。

 その一言で闇から放たれる剣呑な気配が徐々に薄まり、やがて凪ぐように静まり返った。

 それを確認した巨狼は、白銀のような瞳をこちらに投げかける。

 目を細めながら自分を見ると、次いで背後の面々を見渡した。


「(攻撃の意思は匂わない……本能のままの連中に比べれば、話の判る奴のようだな。落ち着いて言葉を紡いではいるが……焦燥、恐怖と少しの諦観の匂い……眼前に立つ者がどういう存在であるか理解している……おっと、私の方にも気が付いているか)」


 つまり、正体を見抜くだけの経験と力を持っているということ。

 星素の量もかなり多く見える……ライカと遜色ないくらいだ。


「(……年寄りなのかね。動きはだいぶ緩慢だけど)」


 体は大きいが他の影狼のような機敏さは無く、どこか億劫そうに動く様から見て、そんな感想を持った。

 そんな先入観のせいか、漆黒の毛皮も色艶が褪せているように見える。


「……お前は、何者だ?」


 全員を代表してドアニエルが問いかけた。

 それに身じろぎすることなく、巨狼は静かに口を動かす。


「……デルナムの、カダという。この若造らを率いている」


「……デルナムとは何だ?」


「私らの言葉で、奥の入り口って意味さね」


「……何?」


「そんなことより……私らはあんた達に手出しをやめる。だから、どうか見逃しちゃくれんかね?」


 そう言いながら更に目を細める。

 言葉をそのまま受け取るなら、白旗ということ。

 ライカの感じ取った意思からしても、わざわざ姿を晒して和睦の交渉を持ち出すならそれしかないだろう。

 しかし、それは事情を理解できる自分達だから納得できることだ。

 ドアニエル達にはそれを理解できない。


「なぜ攻撃をやめると?」


 ドアニエルは剣を構えたまま問いかける。


「……これ以上、若手を失うわけにはいかない。それに」


「それに?」


「……学ぶべきだったね」


「……どういう意味だ?」


「そのままの意味だよ。例えそれが森を支配する者であろうとも、狩場に招き入れさえすれば、それは獲物だと、判断を誤った」


「……つまり、喧嘩を売る相手を間違えた、ってことでいいのかしら?」


「クックック、そうだね。その通りだ。事実、こちらは若手を二匹も失いながら、未だ一匹の獲物すら得られていない」


「……なら姿なんか見せずに、さっさと影に消えたらよかったんじゃないの? アンタ達ならこの暗がりの中は自由自在に動き回れるのに」


「果たしてそうかね?」


 そう言って巨体の狼は、こちらにキロリと瞳を動かす。

 この長と名乗る狼は、自分やライカからは逃れられないと考えたのだ。

 実際、後先を考えずに竜の姿に戻って本気でやるなら、影に消える狼どもを一掃することはできるだろう。


 例えば、森を薙ぎ払う閃光で影ごと消し去る。

 精神干渉系の星術で肉体ではなく精神を破壊する。

 ヴェルタ王城で使用した空間破壊の星術のように、広範囲同時攻撃型の星術で闇ごと周囲を一掃する。


 どれもアンナ達の巻き添えの懸念や、ドアニエル達に正体を晒す必要が出てくるため、現実的には使うのはハードルが高い。

 しかし、そんなことはこの狼たちには知る由もないこと。

 こちらが本気を出せないことなど知らないのだから、やろうと思えばやってくる、と思うのは当然。


 自分だけでもそうなのに、更にはライカもいる。

 星術と同じとまでは行かなくても、幻術を使い本気を出せば影狼どもを黙らせるくらいは出来そうだし、実際そんな余裕を醸し出している。


 つまり影狼たちにさほど命の危険を感じていないということだ。

 それらを察することが出来るのなら、分が悪すぎると判断し、姿を晒して交渉に踏み切るというのは理解できる行動だった。


「……」


 影狼の長の反応を見たドアニエルが、こちらに視線を向けているのを背中に感じる。

 カガミとは違い、出会った当初からこちらに対して何かしらの疑いの様なものを抱いているのは言動の端々から感じていたが、この影狼の言葉や態度でそれがさらに深まったような、敵意にも似た視線だ。


 人間種として上位の実力を持つドアニエルですら危機感を抱かせる状況であった影狼の襲撃を一蹴し、その長たる個体に命乞いをさせる。

 自分がドアニエルでも一体何者なのかという疑念を持つだろう。

 加えてこの影狼が暗示してしまったこと。


 古竜種とはっきり語っているわけではない。

 ライカの事にも触れてはいない。

 それでも、実際に剣を交えたドアニエルなら確信には至らずとも、澱のような疑念を持つには十分すぎる。

 しかし、それはこちらも同じ。


 ドアニエル達のことは完全に信用している訳じゃない。

 メリエの母親の手掛かり探しの都合の延長で付き合っているに過ぎない。

 ドアニエルがどんな心情を持ち、どんな疑念を抱こうが、こちらは向こうの意向でここまで同行してきただけ。

 正直なところ、信用があろうがなかろうがあまり気にする必要は無い。


「このまま見逃してくれるのなら、この辺に住む人間の群れにも近づかないし、なるべく早く移動すると約束する。どうかね?」


 再度の問い。

 その目は自分に向いている。

 なら自分が答えていいだろう。


「わかった」


「おい、信用するのか?」


「この状況で、嘘を言う理由がない。さっきキリメが言ったみたいに勝手に逃げればいいのにそうしなかった。仮に騙すのならそれはそれでやりようはある」


 そう答えたこちらの様子を見る影狼の目に動揺は無い。

 実際ライカが匂いを探っていて嘘を言っていないのはわかっていることだし、適当なことを言って納得させて問題ないだろう。


「ククク。感謝しよう。……お前達、行くよ」


 そう言って踵を返す。

 その影狼の背中に、ドアニエル達に気付かれないように【伝想】を飛ばした。


「(待て)」


 術に反応した影狼は立ち止まると、首だけこちらに振り向いた。


「(これが、竜の魂の感触か……何とも、気持ちの悪く、恐ろしいものだ。……何だい?)」


「(一つ聞きたいことがある)」


「(……見逃してくれる礼だ。答えられることは答えよう)」


「(この森に、古竜がいるのか?)」


 この影狼は顕れた当初、〝ここにもいるとは〟と言った。

 つまり自分たちのような存在に、他の場所で遭遇したということではないか?

 それを確認するため、呼び止めた。


「(……ああ、いるとも。元々ここはお前達の巨大な巣、居て当然じゃないか。まさかアンタのように、下等な生物に紛れているとは思いもしなかったがね)」


「(……古竜に襲われたから逃げてきたのか?)」


「(……言ったろう。身の程を知らなかっただけさ)」


 それだけ言うと、また静かに歩みを進めて森の闇に消えていった。

 やがて気配も感じ取れなくなり、森にはまた湿った空気と静けさが戻る。

 ドアニエルは最後まで油断なく緊張していたが、気配が完全に消えると構えを解いた。


「……行ったか」


「ふー……あー死ぬかと思った……」


「本当に……まさかこんな浅瀬で影狼の群れが出るとは……すぐにでも里に戻って報告しないといけませんね」


「にしても、何度言ったかわかんないけどアンタ凄いわね。やっぱり姫様たち言ったように……もしもそうなら姫様がああ言うのも納得よね。アタシだって候補に手を挙げたくなっちゃうわよ。ね、カガミ」


「え、ええ……あはは」


 キリメはそう言いながら笑みをこぼす。

 カガミ達はこちらの持つアーティファクトか、それに準ずる力を辿ってきたと言っていた。

 元々ドアニエルやカガミには知られているし、今隠さなければいけないことでもないから変身したが、キリメ達からすれば初めての事。


 カガミ達が執着する理由を初めて知ったということだ。

 ドアニエルだけは敵愾心を露わにしているが、キリメ達はこの力を好意的に受け止めているようだった。


「話は後だ。すぐに移動するぞ。血の匂いに釣られて他の獣が集まってくる」


 ドアニエルは疑いの視線を濃くしながらも、今は言うべき時ではないと理解しているのか現実的な指示を出す。

 こちらも触れてこないなら無理に反応する必要もないのですぐに人間の姿に戻り、荷物をまとめ直す。


「あっと、そうね。里までもうすぐだし、まずは到着を目指しましょうか」


「バンジの〝徘徊者〟といい、影狼の群れといい、この森の異変は間違いない。最後まで油断するなよ」

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