浅瀬

 緑の海。

 例えるなら秋の紅葉シーズン、大量の落ち葉が大地を埋め尽くしている姿が一番近いだろうか。

 深緑で、活き活きとした生気を宿している点は違うが、風に揺れて擦れ合う音、空気を含んで柔らかそうに騒めく様子はそっくりだ。


 そんな葉の水面の下へと、大地と森の隙間の穴を下っていく。

 人一人がようやく通れるような岩の階段。

 商人が荷物を持って降りるとしたら、さぞ苦労するだろう。


 ドアニエルを先頭に、カガミ達が先に、それを追って自分たちが下りる。

 一番後ろは荷物を持って大変そうなポロだったが、頭を屈めれば細いポロの体格なら問題ないくらいに幅はありそうだ。

 緑の水面の下に出ると、そこは別世界というに相応しい光景が広がっていた。


「……うわぁ……綺麗……」


「森の下に森があるなんて……」


「ひーん! 見たいー! でも怖くて見られないー!」


 自分の背中にしがみついて周囲を見ないように震えながら歩くエシリースに苦笑しながらも、圧巻の風景に魅入る。

 陽光は全く透さない分厚い葉の層。

 当然その下は漆黒の闇。

 と、思っていたのだが、そうではなかった。


 淡い幻想的な光に浮かび上がる、黒々とした樹々。

 その根元の部分に目を向けると、そこにはまた森が広がっていた。

 〝海〟とまで表現される程の巨大な森を形作るのは、高さが100mを超える巨木の群れ。


 その根元には普通の森のサイズの木々が犇めいている。

 そこまで密集しているわけではないが、それでも森といって差し支えないくらいの数だ。

 それが延々と、見える範囲に広がっていた。


「あの地面で光っているのって……」


「エーレズの地下書庫で見た涙煌花……の光に似ているな」


 ぼぅっとした青白く見える光は、確かに水に浸けると光を発する花、涙煌花に似ている。

 しかし光は青だけではない。

 淡い様々な色が混じり、まるでオーロラのようだ。


「知っているんですね。そうです、ユミルの森の海底に群生しています。他にも鈴灯花りんとうばなや光種の樹、妖精茸など、自ら光を発する植物が数多く生息しているので、太陽の光が届かなくても歩くに不自由しないくらいは明るくなっています。昼夜がわからないのが困りものなんですけどね」


「特に鈴灯花は光量も強くて集落でも光源として育てているわね。ここ以外では育たないから、ユミルの森でしか見られない珍しい花でもあるのよ」


「もうすぐ一番下だ。見惚れるのもいいが、魔物にも警戒しろよ」


 ドアニエルが言うように、間もなく底だ。

 崖を這うように続いていた下り道が終わり、〝海底〟に足を着ける。


「……これは、進むのに苦戦しそうだな」


「涙煌花が光るのも水が必要だったもんね」


 降り立った地は、酷い泥濘ぬかるみだった。

 湿原といった方がいいかもしれない。

 そこここにチョロチョロといった水の流れが生まれ、根を水に浸した樹々が上に向かって伸びていた。


 水の波紋が淡い光に揺れ、それが樹の影に映し出される光景に目を奪われる。

 夢の世界。

 そんな言葉が似合う程の、自然の作り出す神秘の情景。

 世界を見てきたライカですら、じっと見入っているようだった。


「……周囲に気配は無いな。カガミ、気石を使っておけよ」


「わかっています。ここからが長いですからね」


「よし、進むぞ。立ち止まっている時間は無い」


「あ、うん。わかった」


 ドアニエルが歩を進める。

 それについてこちらも歩き出す。

 が、一歩踏み出すごとに足が沈み込み、歩くのも一苦労だった。

 身体強化のアーティファクトが無ければ女性陣の体力ではかなりきつかっただろう。


「(すごい森だな。私もこれは初めてだ。しかも強い妖の気配に満ちている)」


「(妖精や精霊の棲み処なのかな? これだけの光景ならそれもわかるね)」


「(それだけではない。私の知らない匂いもあるから……他にも何かいるようだ。それに、何だかクロの匂いに似ている匂いもしていないか?)」


「(……古竜種の匂いって事?)」


「(かなり幽かだがな。私の鼻でもそのくらいにしか感じない……クロの同族が棲み処にしているということは無いか?)」


「(調べてみるかね)」


 【竜憶】を使い、この不可思議な森の情報が無いか検索する。

 森についての情報は膨大にあるが、ここまで変わった森は少ない。

 もし情報があるとしたら調べるのは難しくは無いはず。

 ……あった。


「(……古竜種の棲み処だね。ただし、遥か昔のだけど)」


「(クロの祖先か?)」


「(そう言ってもいいくらいには昔だね)」


 見つけたのは原初の時代に近い、ずっと昔の記録だった。

 古竜が種として確立して間もないくらい。

 三匹の古竜が棲み処として作り出した森の記録。


「(……元は何匹かの古竜が竜語魔法で生み出した森だったみたいだよ。だから古竜の気配がしているのかもしれない)」


「(そんな昔の匂いが今も残っているものか? 今はいないのか?)」


「(どうだろう。少なくともこの森を生み出した古竜たちはもう死んでる。その後に別な古竜が棲み付いている可能性は否定できないけど)」


「(ならいる可能性もある。それにこれだけの深い森なら古竜種並みの獣がいてもおかしくない。警戒する必要があるな)」


 ライカの警戒感が露わになる。

 それに気付いたアンナは、ライカを抱く手に力を込める。

 アンナの頭に座る鳥の精霊も、いつもと違いキョロキョロと周囲をせわしなく窺っていた。


 旅用のロングブーツなので水が滲みてくることはなかったが、それでも歩きにくい。

 いつも涼しい顔のスティカの額にも汗が光り、エシリースに至ってはスティカに半ばしがみつくようにして進んでいる。

 メリエだけは慣れた様子で、歩く速度もそれほど変わっていなかった。

 ポロもへっちゃらなようでヒョイヒョイと深い水たまりを避けて歩いている。


 大きな丸いランプに似た形の鈴灯花の光を頼りに、道なき道を進み続ける。

 一切の迷い無く進んでいるカガミ達。

 何か目印のようなものがあるのだろうかと訝しむが、周囲は暗影の深い森。

 少なくとも自分には目印のような人工物の類は見つけられなかった。


「……チ。いるな」


「……見られている」


「ここでは戦うのは無理ですね。開けた場所までは警戒を緩めず進むしかありません。向こうも同じでしょう」


 どうやら早速襲撃のようだ。

 さすがは未開地、と言ったところか。

 しかしこの木々が密集した場所で戦闘は一苦労だ。

 カガミの言う通り、進むことを優先する。

 ライカも鼻をヒクヒクと動かし、周囲を窺い始めた。

 が、すぐにどうこうという様子は無い。


 そのまま進み続ける。

 するとある地点で森が切れ、広場のようになっている場所が現れる。

 よく見るとキャンプの後のような形跡も見受けられた。


「(来たぞ)」


「(……右側と背後、ですね)」


 ライカとポロの言に、そちらに視線を向ける。

 薄明かりの中から出てきたのは巨大な昆虫型の魔物だった。

 数は10ほどだろうか。

 姿はカナブンに近いかもしれないが、大きさは直径で1m程もある。


「うっわ……私アレダメです……」


「エシー姉は虫嫌いだもんね」


「甲殻虫か。甲殻の隙間を狙う技量が無いなら鈍器を使え。こんな浅瀬で足を止めているわけにはいかん。さっさと片付けるぞ」


 そう言ってドアニエルが動く。

 一匹を大剣で捉え、力任せに叩き割る。

 と同時にすぐさま隣の二匹に飛び掛かった。


「手慣れてますね」


「そりゃあね。ここじゃ一番弱い部類だし……って言ってもあの硬さと数に対処できないと脅威だけどね。あの甲殻は魔法も弾いてくるし、防魔装備の材料になるから売ると結構高いのよ。今はかさばるから採集はしないけど。

 んじゃ、ドニーにばっかり任せてたら悪いから私たちも働きますか。カガミ、シグレ、周囲は頼んだわよ」


「ええ」


「ん」


 続いてキリメが走り、巻物のようなものを開く。

 シュルルと解けたそれは、生き物のように一匹に巻き付くと、ブンと樹の幹に向かって投げつける。

 ドゴンという鈍い音を出しながら甲虫の一匹が仰向けに転がってもがくが、そこをドアニエルが叩き潰した。

 仲が悪そうに見えたが、戦闘ではしっかりと連携を取っている。


 軽々と倒しているから弱そうに見えてしまうが、このぬかるんだ足場と闇、そして堅固な防御と数で攻めてくる素早い相手。

 これを考えると一般人ではかなり面倒な手合いであることは間違いない。

 個々の戦力に長け、場慣れしているカガミ達だからこそ簡単にあしらえているのだろう。

 やはり戦闘面に関してはかなり上位の実力者だ。


「(僕達もちょっとは働きますか)」


「(はい、行きます)」


 アンナが矢をつがえると、シャカシャカと動いている一匹に狙いを定め、矢を放つ。

 シュッと飛んだ矢は一匹の虫の頭を捉え、三分の一程が突き刺さった。


「へぇ、やるわね」


「ああ、この暗さでよく狙えているな」


 戦っていたドアニエル達がアンナの射撃に称賛を送る。

 それに安心し、こちらも遠慮なく動いた。

 駆けながら背中の荷物から剣を引き抜き、ゴルフのように振り抜く。

 ゴッという鈍い音で虫が吹っ飛び、数十mの高さまで打ちあがって森の中に消えていった。


 斬るより打撃の方がいいと言われて鞘ごと殴り付けたが、元々何も傷つけられない呪い付きの剣なので、そのまま使ってもよかったかもしれない。

 そんなことを適当に考えながらもう一匹を殴り飛ばす。


 視界の隅ではスティカが鉄板入りロングブーツの蹴りで虫を甲殻ごと蹴り砕くのが見える。

 この程度なら何匹来ても問題なさそうだ。

 ライカや自分の力が無くても十分対処できる。


 最後の一匹はアンナの鳥精霊が糸で真っ二つにして終わった。

 半分に斬られてもシャカシャカと足が動いているのはさすがに気持ち悪かったが……。


「次が来る前に野営予定の場所まで進むぞ。カガミ」


「ええ、行きましょう」


「ここも野営跡みたいだけど、使わないの?」


「ここは商隊などが使った跡だな。ここよりもマシな場所がある。それとも、もうへばったか? なら引き返すべきだ。このペースじゃ食料がいくらあっても足りん」


 余計な一言をつけてくるドアニエルの言葉にややムッとしたが、一理はある。

 ドアニエルは元々あんな性格みたいだし、言い合いをしてもしょうがない。

 ここは流しておこう。


 広場を抜けてまた森に入り、進み続けた。

 途中何度か魔物の襲撃を受けるも、問題なく撃退し、食べられる獣はそのまま食料にする。

 襲撃も5回を超えるとアンナ達でも環境に慣れ、戸惑いなく戦えるようになった。

 動きのキレが増し、植物タイプや動物タイプの魔物なら普段と変わらない動きを見せるようになる。


 果物などの植物も採集しながら、一日目の野営地に到着する。

 樹の上にログハウスのような小屋が造られた場所で、周囲には仕掛けのようなものが張り巡らされている。

 カガミによると、ユルミール森海内の氏族が使う小屋で、特殊な魔物除けが施されているのだとか。

 体感でしかないが、この森に入ってまだ10kmも進んではいないだろう。

 まだまだ先は長そうだ。


「お疲れ様です。みなさん正直、この地が初めてとは思えないですね」


「ホント、すぐに慣れちゃうし、この足場でもアタシたちと同じ速度で進んでも平気とか、旅慣れてるとかじゃないわよね」


 そりゃアーティファクトがありますし。

 言わないけど。


「この調子なら予定より一日は早く、一つ目の集落に着けそうです」


「その一つ目が問題なのよねぇ。同郷のアタシたちがいても……ダメよねきっと……」


「だろうな……頭の固さは氏族の中でも随一だ。しかし補給しないわけにもいかない」


「……いざとなれば力づくでいくしかありませんね」


 温厚なカガミから珍しく物騒な言葉が出てきた。

 果たしてどんな集落なのやら……。

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