訓練飛行

「よう! いい腕してんな!」


 雌の飛竜の騎手、スポーツマン風の男子生徒が声を上げる。

 声は大人びていてよく通る、男らしい声だ。

 体格や仕草を見るとアンナよりも少し上くらいの年齢なのだろうが、その声のせいかより年上っぽく感じられた。

 ニヤッという擬音が見えるような笑いなのに、スポーツマンのような容姿のせいか嫌味に感じない。

 それよりも打ち解けやすそうな雰囲気の方が勝っている。


 ……と、普通は思うのだろう。

 だが、気にかかる。

 彼の目の奥には、他者を踏み台にしてやるという仄暗い意思が燻っている気がしたのだ。


 人間としての生を送っていた時、稀にこんな目をして、笑顔で近づいてくる者達に出会った。

 最初はわからず、友達になれるかもと思ったものだ。

 しかし、時を経るにつれ、そんな者達は決まって同じことをする。

 利を探り始めるのだ。


 コイツは自分にとって益となるか?

 損となるか?

 最初は気付かれぬよう、ある一線を越えてからはあからさまに。

 学生を終え、社会に出てからが多かっただろうか。

 彼の目にも、同じような色を感じる気がした。

 さっきのいかにもな生徒もそうだったが、こちらもあまり信用しない方がいいと、心のどこかが言っている気がする。


「ブロードの奴から何か言われたか? ああ、ブロードってのは前を飛んでったヤローのことだ」


「え、ええと……」


「大方、自慢げに俺の方が上だとか言われたんじゃないか? アイツはすぐに上下を付けたがるからなぁ。おっと失礼。俺はシュライバー、シュライバー・ライヒックってんだ。よろしくな」


「あ、よろしくお願いします。アンナです」


「ハハ! そんな肩肘張るなよ! 仲良くやろうぜ!」


「あ、はい。ありがとうございます(や、優しそうな感じですね)」


「(いや、そうでもないかもしれないよ)」


「(え?)」


「(先に行った彼も大概だったけど、この男の方も胡散臭いというか、アンナに気に入られるために好青年を取り繕ってる感じがするよ)」


「(そんな……)」


「(ほう。意外だな。私も同意見だ)」


 確かに人の好意をこんな風に受け取るのはよろしくないのかもしれない。

 案の定、アンナはそんな馬鹿なという目をしたが、ライカは違った。


「(……少しは匂いを嗅ぎ取れるようになったのか? クロではわからないだろうと、忠告をしてやろうと思っていたんだがな)」


 ライカの意外そうな反応。

 無理も無い。

 今まで散々鈍いだの何だのと言われてきたわけだし。

 しかし、これはライカのように相手の気配や思考を察知できるようになったわけではない。


「(違うよ。なんていえばいいか、昔の経験みたいなものでわかったんだよ)」


「(……ほう。それは気になるな。奴のような考えは人間に特有だと思うんだが、古竜でもそうした特異な思考を持つ者がいたということか?)」


 ……何れ、伝える時が来るのだろうか?

 アンナやメリエ、ライカに、自分の中にあるものを、伝えていいのだろうか……?


「(……まぁ、機会があれば何れ話すよ)」


「(……)」


 ライカは神妙な目で見てきた。

 自分の中の迷いを感じ取ったのかもしれない。

 しかし、今は棚に上げておく。


「ところで、俺なら色々と教えてやれると思うが、どうだ? 後で学院の案内でもしてやろうか?」


 並走する雌の飛竜の上から、シュライバーが声を投げかける。

 先程の男のようにあからさまではないが、やはりアンナに近寄ろうとしてきたか。

 これがただの好意からなら歓迎するところなのだが、自分の直感、そしてライカの指摘から、裏があるように思えてならなかった。


「その必要は無いわ」


 アンナもどうしたものかという困り顔を作ったが、答えるより先に別な声が反対側から飛んできた。

 やや後方から高度を上げてきた別の飛竜。

 乗っているのはややシルバーがかった髪を後ろ手にまとめ、気怠そうな目元をした女生徒だ。


「彼女、私と先約があるのよ。学院の案内は私が頼まれてるの」


 突然のことに自分もアンナも目を瞬かせたが、女生徒はこちらの反応を無視して続ける。


「だからアナタの案内は必要ないわ、ライヒック卿。それに、ドナエ卿も」


「……これはこれは、ヘリクスク嬢。いきなり横から偉そうに言ってくれんじゃねえかよ」


 シュライバーは隠しもせず、あからさまに不機嫌な顔をする。

 主の不機嫌を感じ取ったのか、男子生徒の操る雌の飛竜は唸り声を上げながら息を吐いた。

 その瞬間ピリピリとした敵意が風に混じる。

 対してヘリクスクと呼ばれた女生徒はそれを受けても一切表情を変えず、冷めた目でシュライバーを流し見ている。

 彼女の乗る飛竜も無関心で何の反応も見せずにただ飛び続ける。


「……仕方ないでしょう? 同じ女同士だし、先に頼まれたんだから。好意でも、押し売りは嫌われるわよ?」


「……いつもの無口はどこへ行ったんだかな。ま、そうかい。んじゃ、後はよろしくやってくれや」


 シュライバーは女生徒を睨みつけたがそれ以上は言わず、飛竜を促して先に飛び去った。

 置いてきぼりにされたアンナは呆然としていたがすぐに気を取り直し、声をかけてきた女生徒に向き直る。


「あ、あのう……?」


「余計なお世話だったらごめんなさい……あなたも大変ね。こんな面倒な時期に編入なんて」


 速度を上げて前を飛んで行く男子生徒を無表情に目で追いながら、女生徒はつぶやく。

 アンナよりも少し年上、だろうか。

 落ち着いた話しぶり、整った顔立ち、そして目を惹くシルバーブロンド。

 先程のやり取りから貴族の子息なのは間違いないだろう。

 スイやレアのようなお転婆さは感じられないが、似たような高貴な生まれ特有の空気を感じる。


「(……コイツは信用できそうだな。少なくとも、騙そうという気は無さそうだぞ。匂いも好意的だな)」


 ライカは彼女の目を見ながら言った。

 眉一つ動かさない無表情で何を考えているかはイマイチつかめないが、確かに先程の二人のような嫌な感じはない。


「お節介ついでに忠告するわ。今は彼らに関わらない方がいいわよ。その様子じゃ何も知らないみたいだしね。

 もし案内が要るなら私がしてあげる。私は別に恩を売るつもりもないし、変な見返りも期待しない。嫌なら断てくれてもいい」


「あ、いえ、その。ありがとうございます。案内、お願いしてもいいですか?」


 ライカの意見を受けて、アンナはそう答えた。

 そう言われた瞬間、彼女の目元が少し緩み、僅かに笑顔をつくる。

 柔和な表情になればその美貌と相まって人気が出るだろうと思える、そんな柔らかい微笑みだった。

 色々と世話を焼いてくれているし、このままアンナの友達になってくれたら助かるかもしれない。


「ええ、私はアリカナージよ。よろしくね」


「はい。アンナです」


「アンナ……で、いいかしら? 私もアリカでいいわ」


「はい。それでいいです」


「じゃ、アンナ、訓練飛行のことも教えてあげる。ついてきて」


 そう言って少し前に出たアリカは、やや速度を上げて進む。

 もう森の上空に入っており、他の飛竜たちも縦列になりながら着いてきている。

 先頭は最初に接触してきたブロードという男子生徒。

 やや低めに高度を取りながら、森の深部に向けて飛び続ける。


 その後ろにシュライバーの雌の飛竜が続く。

 シュライバーの飛竜はブロードの飛んだ軌道を寸分たがわず追いかける。

 こうすることでブロードの作り出した風の流れを利用し、体力を温存しながら飛んでいるのだろう。

 現にシュライバーの飛竜はあまり羽ばたかず、風に乗って飛んでいるのがわかる。


 それに遅れること数百m後方に先導するアリカ、更に後ろに自分達と続く。

 その後ろを残った竜騎士見習いたちが追いかけている。

 見下ろす森は動物の姿こそ見えないが、穏やかな空気に満ちている。

 ある程度手入れをされているためか木立の間に大地が覗き、十分な陽光を土と草に届けていた。


 広い森の中には池や川もあり、小さいながら谷まであった。

 歩いて散策すれば樹々の蒼と空の青、そして木漏れ日に吹き抜ける風と、さぞ気持ちがいいことだろう。

 今度皆を誘って来てもいいかもしれない。

 そんな森を見下ろしながらアリカの飛竜に続くこと数分。

 やがて特徴的なものが見えてくる。


「(あれか)」


「(みたいだな)」


「高いですねぇ」


 森の中に巨木が二本見えてくる。

 竜の森にあった雲まで届くような木ではなく、探そうと思えば地球にもありそうな、現実的な高さの木だった。

 森の木々の高さの3倍くらいだろうか。


「あれを回って戻ればいいのよ」


 先導するアリカが声を張る。

 風で聞き取りにくかったが、速度も遅めなので何とか声が届いた。

 先行している男子生徒二人は早々に二本の巨木を回ると、帰路に就く。

 こちらもそれに倣い、弧を描いて二本の木を回った。


「(確かに距離的にも馴らしには丁度よさそうだ)」


「(この森は気持ちいいですし、ただ飛ぶだけでも楽しいですね)」


「(まぁ一応訓練だから楽しんでばかりじゃダメなんだろうけど、僕達には関係ないからね)」


「(んーー! 風が変わったがこれはこれで気持ちいいぞ)」


 やや追い風を受ける形になりながら訓練場へと首を向ける。

 自分には全く問題ないが、幼い飛竜たちはこれだけでも結構な体力を消耗しているようで、飛び立った当初よりも明らかに速度が落ちていた。

 こちらもそれに合わせて速度を落とし、怪しまれないように飛び続ける。


 訓練場の間際に来たところでブロードとシュライバーが競い合うように横に並んだが、結局並んだまま訓練場へと辿り着いた。

 空中での急ブレーキができない幼い飛竜たちは、ドドドドと大地を滑りながら着地していく。

 飛行機が滑走路に着陸していく姿そのままだ。


 飛び立つ時はその場で上昇してしまったが、今度は周囲に合わせて自分も真似をしながら地に足を着けた。

 ガリリリリと足の裏が大地を滑り、くすぐったくなった。

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