毛玉
時間にして、恐らく8時間くらい。
王都からアルディール、そして未開地へと赴き、再び王都へと戻ってきた。
暗影の中、貴族の屋敷が立ち並ぶ地区の中でも一際大きい敷地を誇るヴェルウォードの屋敷の庭めがけて降下する。
音もなくゆっくりと着地すると、すぐにシェリアが建物から駆けてきて労いの言葉をかけてくれた。
「……戻られたのですね。お帰りなさいませ」
「ただいま戻りました。シェリアさんに用意してもらった書簡ですけど、使わなかったので返しますね」
「そうですか。出番がなかったのなら何よりです」
既に陽が沈んで辺りは暗くなっており、飛竜の姿になっている自分は特に何事も無く飛び立ったヴェルウォードの屋敷の庭へと下り立つことができた。
にしても……。
「竜騎士のフリをしているとはいえ、行きも帰りも誰にも止められずに王都に出入りできちゃってますけど、いいんですかね」
所属不明の竜騎士が無断で王都に出入りすれば咎められる気がするのだが、誰も追いかけてはこなかった。
そんな疑問を口にすると、シェリアが苦笑交じりに答える。
「……確かに普段なら竜騎士が派遣されていたでしょう。王都周辺の上空は騎士団の監視もあります。
ですが御心配には及びません。クロさんが飛び立ったあとすぐに私が王城に遣いを出しましたので、今回については夫や王女殿下から許諾が下りています」
そういうことか。
「成程。すいませんね、色々と気を遣ってもらっちゃって」
「いいえ。これくらいのことはクロさんにして頂いたことに比べたら些細なことです」
そんな話をしていると、背中に乗っていた面々が荷物を持って降りていく。
降りやすいようにぺたりと地に体を着け、姿勢を低くした。
まずアンナとメリエが先に飛び降りて背中に固定してある荷物を取り外す。
暗い中だったが夜目のアーティファクトもあるので問題ないようだ。
それに遅れてエシリースとスティカがヨタヨタとしながら地に足を着けた。
「う……足が……上がらない……」
「スティちゃん大丈夫? ほら、手を」
「あ、ありがとうエシー姉」
エシリースに肩を支えられながら震える足取りで芝生の上を歩くスティカを見て、シェリアは目を丸くしていた。
「……彼女は……」
「彼女が治療したスティカです」
「そんな……まさか……あの瀕死だった?」
「ええ、ちょっと問題もありましたけど、何とか治せました」
四肢を失っていたスティカが自分の足で地を踏みしめる様を見て呆然とするシェリア。
レアのことがあったとしても、スティカの変わり様に驚嘆を隠せないのは無理も無いのかもしれない。
スティカの変容は体だけではなかったが、今は落ち着いている。
どうも感情が昂ると、それに呼応して古竜の力が顕れるらしく、落ち着いていれば普通の少女と変わらないようだった。
しかし、そんな肉体の変化よりも彼女の内面の方に問題が生じてしまった。
「シェリアさんに一つお願いしたいことがあるんですけど」
「は、はい。何でしょう?」
「いくら体が元に戻ったとはいえ、今まで完全に失ってしまっていた手足の感覚はすぐには戻らないんです。暫くは歩くことも儘ならないし、その他の生活面でも介助が無いと一人ではやっていけません。色々としてもらっていて申し訳ないんですけど、できたら彼女用にもう一部屋貸してもらえませんか?」
スティカの四肢は問題なく元通りになった。
だが彼女の体は元々の感覚を忘れてしまっている。
脳卒中などで起こる麻痺と同じように、僅かな時間であっても一度失われた神経の働きを元通りにするには時間が必要だ。
普通に動かし、歩き、走り、掴み、力を入れる。
これらの感覚を取り戻すには、暫くリハビリをしなければならないだろう。
実はこれを見越してスティカとエシリースの二人を購入した。
知識だけであれば二人も買う必要はなかった。
どちらか片方でも事足りたはずだ。
同情したというのも無いわけではないが、それ以上に長い間つきっきりになれる人手が欲しかったというのが大きい。
アンナやメリエを含めて自分達にそこまで介助に手を割ける余裕はないし、かといって数ヵ月もの間シェリア達に助けてもらい続けるというのも気が引ける。
「ええ、部屋については問題ありません。使用人も専属でお付けしましょう」
「ああ、いえいえ。部屋だけあれば大丈夫です。なるべく早く宿も探してきますので」
「そんな遠慮なさる必要はありません。いつまで居て頂いても結構ですよ」
そう言いながら柔らかく微笑むシェリア。
しかし、こうは言ってもシェリア達だってずっと王都に居るわけじゃないだろう。
元々公爵であり、管理しなければならない領地もあるようだし、落ち着けばいずれ王都を離れてしまう。
いつまでも甘え続けるわけにはいかない。
「まぁ少しの間だけ言葉に甘えますね。シェリアさん達だって暇じゃないんですし」
「ふふ。お気遣いありがとうございます。
……ところで、一つ宜しいですか?」
「ええ」
「王女殿下からクロさんへ
「え? すぐって、今からですか?」
「はい」
これまた随分と急だ。
今回のゴタゴタを考えると数十日、長ければ数ヵ月は忙しくて無理だろうと思っていたのだが……。
「……今から行くとなると夜中になりません?」
「ええ。ですが、むしろ夜の方が都合が良いと仰っておりました。
今、王女殿下は日中はずっと公務で色々な貴族と会談をし、各部門との折衝や和平使節の準備に軍部の再編成などでほとんど時間がありません。
恐らくこれは暫く続くことになるでしょう」
病み上がりだというのに随分無理をしているようだ。
これではまた倒れてしまうのではないだろうか。
しかし、今のヴェルタは半分を占めていた推進派が根こそぎ公務から退いている状況だ。
人員の再配置だけでもしておかなければ国が回らなくなるのも事実。
「多忙でいつまでも時間を作ることが難しいことも理由の一つですが、クロさんを含めた皆様が他の貴族の目に留まるのを防ぐという狙いもあるようです。
いくら王女殿下側の穏健派といえども、やはり貴族はそれぞれ腹に一物抱えています。この状況下で王女殿下に堂々と謁見するとなれば、そうした者達に目を付けられることになるでしょう。
夜半になれば会談も公務も落ち着き、城勤めの貴族達も数が減ります。日中に堂々と登城するよりは目立たないのではないかと思いますよ」
そういうものなのだろうか。
逆に夜コソコソと王女に会いに行く方がいらぬ誤解を招きそうなものだが……。
まぁ確かに重鎮でもない者が天手古舞になっている昼間に時間を取らせて会う方がまずいか。
それだけで周囲の人間は国政を再建することよりも重要な存在と捉え兼ねない。
「……わかりました。じゃあこの後行ってきますね」
「ええ、その際には私も同伴致します」
シェリアも一緒に来てくれるようだ。
これなら色々な手続きを任せられるのでありがたい。
「じゃあ宜しくお願いします。
アンナ達は休んでていいよ。疲れているだろうし」
アンナ達にそう言ったところ、シェリアが申し出た。
「クロさん、王女殿下から、できればアンナさんも一緒に連れてきてほしいと……なんでも重要な話があるとか」
「え? アンナに?」
王女からアンナに大切な話……推進派を何とかするため王女を連れて戻って来た時にアンナが関わっていたので、それに関することだろうか。
契約者だの聖女だのと色々言われたので、そうしたことを説明してくれるのかもしれない。
「……らしいけど、アンナどうする?」
「わかりました。でもちょっと待っててもらえますか? さすがに着替えたいです」
「ええ、着替えでしたら部屋を用意しましょう」
「ありがとうございます」
シェリアにそう言われたアンナは着替えの入った荷物を持って屋敷の使用人のところに駆けて行った。
正式に城に入るのだし、旅装束ではなくフォーマルな服にするのだろう。
「じゃあメリエ達は留守番しててくれる?」
「わかった。さすがに疲れたしな、ポロに今回のことを説明したら先に休ませてもらうとしよう」
「じゃあ僕も一回人間の姿になろうかな」
そう言ったところで、背中から丸いものがボムンと地面に落っこちた。
「あら……? 何かしら、毛玉?」
シェリアが訝し気に落ちた物を見詰めると、それがモゴモゴと動いた。
「(誰が毛玉だ誰が! ……ゲプッ)」
「(だから食べ過ぎだって言ったのに……)」
背中から落ちた丸い物体は、ライカだった。
文字通り毛の生えたボールのように丸々としたお腹のせいで、いつもの機敏な動きは見る影もない。
いつもなら自分が着地すると同時にサッと大地に飛び降りているはずなのだが、今はくちくなったお腹のせいで動くのも大変なようだ。
あの後、元々食事の前だったこともあり、治ったばかりのスティカに事情の説明などもしなければならなかったので、食事をしながら休憩することにした。
そこで急遽手に入った新鮮な
鶏獣の肉は鶏肉のようでありながらも脂がのっていてクセが無く、焼き肉には打って付けだった。
ライカは空腹だったというのも相まって、そんな鶏獣の焼き肉を遠慮なしに食べた。
食べまくった。
ライカだけであの巨大な鶏獣の大体四分の一を食べ尽くしたほどだ。
まぁ四分の一と言っても、羽毛があったり食べられない部位があったりで完全に四分の一というわけではないが……。
しかしそれに比例して体が真ん丸になり……ブタギツネ、いやボールギツネのような珍妙な見た目になってしまった。
「(ゲッフ……さすがにちょっと食べすぎたな。私は今日は寝ることにするか)」
……あれでちょっと……?
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