顕れた獣

 あたたかい……。

 もう戻れない……帰れない……わたし……。

 早く……終わりを……逃げたい……でも……いや……。


 だけど……流れ星のように……突然……。

 わたしの中にあった……全ての暗い感情が消えてゆく……。

 諦めの中に……不意に灯った……あたたかいもの……。


 わたしの中を巡り……一瞬で……闇を取り払ってゆく……。

 白んでゆく暗闇の中で……声が、響いた……気がした……。

 もう一度……望んでもいい……と……。


 ……現れたの?

 わたしに……父と母が教えてくれたもの……全てを……。

 それが……わたしの前に……中に……。



 ◆◆◆



 アンナはスティカに自分の予備の旅装束を持ってきた。

 歳が同じということもあり、体格は同じくらいだし問題なく着られるだろう。

 女性陣で協力し、シャツとズボンを履かせている。


 女性陣がスティカに手早く服を着せている間に、こちらも【転身】で人間の姿に変わっておく。

 中途半端な時間ではあるが、スティカもライカも空腹だろうし、戻る前に軽く食事をすることになりそうだ。

 それには竜の姿よりも人間の姿の方が食べやすいし、会話もしやすい。


「どうしようかね……こんな副作用があるなんて記録に残ってなかったけどなぁ」


「自信がありそうだったからその辺も考えてのことだと思っていたら、なんだ、違ったのか。

 私もクロ以外に竜の知己がいるわけでもないから話に聞いたくらいにしか知らんが、他の生物にとって竜の血は毒だと言われている」


 人間に変身して服に袖を通しつつ、独り言をぼやいたら、ライカが反応した。


「えっ……そうなの?」


「竜種の血は、その強靭な肉体を支えるために高純度の生命力で満ちているそうだ。竜の力の源となる生命力の塊をそのまま取り込むというのは、小さな皿に一気に大量の水を流し込むようなものだろう。溢れるのは目に見えている。

 僅かとはいえ、古竜種の血をそのまま飲み込んだのだ。あの角はその力が普通の人間である彼女の体に収まり切れず、表面に発露したものじゃないか?」


 確かに強すぎる薬は毒にもなるというが、まさか体が変異するとは……。

 まぁ副作用で死んでしまうよりは全然いいのかもしれないが。

 今回は血を分け与えるとき、星術と同じように体を癒すよう意識していた。

 それもあって癒すことには成功したのかもしれないが、有り余った星素が体に異変を起こしたのかもしれない。

 次はもっと量を減らすか、何かで薄めるか……何にせよそのまま使うのは控えよう。


「まぁいいじゃないですか。命が助かったんですから」


「ああ、どの道ほかに手は無かったんだろう? なら、結果論かもしれんが正しい選択だったと思っていいんじゃないか?」


 服を着せ終わったアンナとメリエがそう擁護する。

 確かに結果論だが、結果的に命の危機は取り除いた。

 ちょっと体に余分なものがついてしまったが……。


「んー。そうだね。これに胡坐をかくのはまずいかもしれないけど、今回はよしとしておこうかな。次はもうちょっと工夫してみるよ」


「ふむ。ただ黙って死なせるよりは確かに良かったのだろうが、まだ楽観しない方がいいぞ。角だけならいいが、まだ表面に現れていない変化があるかもしれない」


「ふーむ」


「あっ。目が覚めたみたいですよ」


 治療が終わってまだ数分だったが、スティカの目が開いた。

 薄っすらと開いた瞳は、風に揺れる頭上の木の葉をぼんやりと眺めているようだった。

 そして何度か目を瞬かせると、ゆっくりと上半身を起こした。


「スティちゃん! 良かった! 良かったよぉ~」


 それに気付いたエシリースがバッと飛びつき、強引にその胸に抱き寄せる。

 年相応に豊満な胸に押し付けられたスティカは、意識がはっきりしてきたように身じろいだ。


「エ、エシー姉……? くるしい……」


「あっ! ご、ごめんね……でも、嬉しくて、嬉しくて……あぁ~ん」


 ワシワシと撫でられ、頬ずりされるスティカは薄っすらと優しい微笑みを浮かべてなすがままにされる。

 そして強く抱き締めるエシリースの手にそっと自分の手を重ねた途端、目を見開いた。


「……手……? これ……わたしの?」


 傷一つ無い、少女らしい白くて柔らかそうな肌の手をじっと見詰め、疑うように掌を閉じたり開いたりする。

 思い通りに動くことを悟り、続いてもう一方の腕、そして両の足。

 全てを見てから呆然とエシリースに視線を向ける。


「……私……何で?」


 何で。

 その一言には色々な意味が含まれていた。

 奴隷商館に戻された後のこと、この場所、悲しんでいたはずのエシリースの喜び……そして自分の体の状態。

 それ以外のたくさんの〝何故〟。

 それを受け止めたエシリースは、嬉し涙で崩れた笑顔を離し、ただ一つの答えを返す。


「全部、全部ね。あの人がね、助けてくれたんだよ」


 そう言ってこちらを向いた二人。

 自分を見るスティカの目には、この世界で出会った誰にもない色が宿っていた。

 その意味に疑問を抱いたところでスティカが言った。


「あなたが……? 私の……?」


「そうだよ! クロさんはスティちゃんのことを知っても、私と一緒に奴隷として買ってくれたの。それから凄い力で治してくれたんだよ!」


「クロ……? それが、あなたの……?」


 半分上の空だったスティカの声に、徐々に力強さが戻ってくる。

 現実を受け入れるにはもう少し時間が必要かと思ったが、なかなかどうして芯の強い心を持っているようだ。


「僕はクロ。彼女はアンナ、そっちがメリエ、そこにいるのがライカ。

 エシーの言ったことは本当だけど、エシーとスティカを奴隷として買ったのは同情からじゃない。二人の知識を貸してほしいからなんだ。それも含めて、順番に説明するね」


 簡潔に説明したが、スティカは黙ってこちらを見詰めたままだった。


「まぁまぁ。もう急くこともないですし、食事にしながらにしましょう」


 アンナがにこやかにそう言ったところ、ライカが割り込んだ。


「クロ、何か来るぞ……上だ!」


 ライカの声に、全員が反応する。

 確かに、何かが近づいてくる気配を感じた。

 この感じは……僕と母上が住んでいた山の頂にいたヤツか。


 それの姿は森の木々で見えなかったが、一直線に向かってくるのを感じる。

 気配が強くなっても、それ程強い存在の気配には感じなかった。

 山の上を通った時に感じたように竜のような強大なものではない。

 それは泉の上空まで来ると、遠慮なしに着地してきた。

 ドシンという地響きで、泉の水面が僅かに波立つ。


 それは巨大なニワトリだった。

 地に立つ高さは5m以上はある。

 鶏冠も雄々しく、ギョロリとこちらを見た目は鳥類ではなく爬虫類のような瞳孔をしていた。

 そして、明らかな敵意。

 一直線にこちらにやってきたところを見ても、こちらを敵と認識してやってきたということだ。


「コォェェェェエエエ!!」


「!! 鶏獣コカトリスだ!!」


 鳴き声を上げたそれを見て、メリエが叫ぶ。

 鶏獣と呼ばれた巨大なニワトリはドシドシと二歩、こちらに近寄ると、バサリと翼を広げて威嚇してきた。

 翼を広げるとその横幅は20mはありそうだ。


「メリエ、ライカ! みんなをお願い! 僕がやる!」


 怒り狂っている。

 縄張りに入り込んだからか、それとも……。


 もうこうなったらぶつかることは必定。

 こちらの強さを見極められない。

 気配からしても、強さ的にはそれほどでもない。

 人間の姿でもどうにかなるか?


 そう考えた矢先、鶏獣の顎が、カエルが鳴く時のようにモコッと膨らんだ。

 その直後、ボボッという音と共に、溜めた息を吐きかけてきた。


「クロ! 吸い込むな! 毒煙だ!」


「っっ!!」


 メリエの声に、慌てて防護膜を出しつつ、息を止める。

 膜の内側に僅かに入った吐息が目に入ったのか、ワサビを強烈にしたかのような痛みで涙が出る。

 即座に癒しの星術を使い、目を戻す。

 涙に霞んだ視線の先で、鶏獣がこちらに駆けてくるのが見えた。


「コェェェェ!!」


 飛び上がっての前蹴り。

 ドシンと防護膜にぶつかるが、びくともしない。

 その後も地団太を踏むようにゲシゲシと蹴ってくるが、やはり通らない。


 毒煙以外は特に脅威はなさそうだった。

 だが、与り知らないところで異変は起こった。


「あ!? 待って! ダメですよ!」


「スティちゃん!? ダメだよ! せっかく元気になったのに!」


 異変が起こったのは、鶏獣ではなく、スティカ。

 スティカは先程まで動けなかった人間とは思えない程、軽やかに立ち上がると、傍らに置いてあったアンナの稀水鉱製の短剣を握り、こちらに数歩近づいてくる。

 そのまま腰を僅かに落とすと……。


「わたしの、カミさまに……!」


 その目は、先程までの人間の目ではなかった。

 竜種のように瞳孔が縦に割れ、金色の光が宿っている。


「近づかないでっ!!」


「待って! スティカさん!?」


「スティちゃん!?」


 飛び掛かる。

 これまた今まで寝たきりだった者の動きではない。

 自分やライカには及ばないが、全力のメリエよりも数段速く、鶏獣目掛けて駆けるスティカ。


 何とか自分に蹴りを浴びせようと防護膜の上で暴れる鶏獣の側面から跳躍すると、羽毛に覆われた首元を横薙ぎに短剣で切りつけた。

 即座に頭と胴が切り離され、生首が宙を舞う。

 それに僅かに遅れて血が迸った。


「う、うわぁ……」


「これは……」


 嫌な予感に、思わず微妙な溜息が漏れてしまった。

 丸太くらいはある鶏獣の首を一瞬で切り飛ばし、ドンッと落ちる生首と共に何事も無かったかのように着地したスティカは、その場でガクリと膝をついた。

 鶏獣は首を失い、後ろに傾いで倒れる。


「ス、スティカさん!? 大丈夫ですか?!」


「スティちゃん!」


 膝をついたスティカにアンナ達が駆け寄るが、スティカは短剣から手を離し、呆然とした声を漏らした。


「う……私……?」


 そのスティカの目に、もう異常は見られない。

 元の人間の瞳に、普通の少女の顔だ。


「……これはまた見事に……クロ、頑張れよ」


 ライカが生暖かい同情を含んだ声でボソリと言う。


「げ、元気になりすぎでしょ……。これって、やっぱり血の影響だよね……」


 確信めいた嫌な予感。

 スティカの表面に現れなかった異変。

 少女とは思えない身のこなし、力、そしてあの瞳。

 僅かだが、スティカの身には古竜の力が宿ってしまったらしい。

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