幕引き

「んー……ん。……んん?」


「あっ」


 ザッシザッシと森の草木をかき分けながら歩いていると、背中から声が聞こえた。

 首を捻って目を向けると、アンナの腕に抱かれていた狐姿のライカが、寝ぼけ半分な声を上げたようだ。

 ようやく目が覚めたらしい。


「ふあーぁ……よく寝たな……」


 アンナの腕を蹴飛ばしながら、ぐいーっと伸びをすると、次いで大きく欠伸をする。

 そんないつも通りのライカの仕草に苦笑を浮かべつつも、アンナは嬉しそうにライカのほわほわの背を撫でた。

 撫でられるのが気持ちいいのか、ライカの表情がゆるゆるだ。


「おはようございます。ライカさん」


「んー? あー。おはよう……どこだここは?」


 だらしなく弛緩していた体を戻し、体勢を直したライカは周囲を見回す。

 出発してからまだ二時間ほど。

 木と草しかない森の景色は相変わらずだった。


 陽は間もなく最も高い位置に差し掛かるくらいか。

 そろそろお腹が空く頃だ。

 ライカは場所も時間もよくわかっていないようで、寝ぼけ眼のまま不思議そうにゆっくりと背後に流れていく森の景色を眺めていた。


「昨日の夜に居残り組のメリエ達と、城組の僕達で別れた森。今は王都に向かって移動中」


「昨日……あー……そんなに寝ていたのか……」


 相変わらずの森の中を進む歩みは止めず、寝起きで現状の把握ができていないライカにざっくりと説明する。

 雑な説明だったが、ライカはすぐに理解して状況の把握に動き出す。

 アンナの腕の中からピョンと飛び出ると、なるべく揺れないように注意して歩いていた自分の首の後ろまでやってきた。


「体は?」


「問題ない。十分に休めた。……腹が減っている以外はな。意志ある生物の呪詛……想いの力は侮れんものだ。

 む? 見慣れない顔がいるな」


 ライカが前を歩く護衛二人の方を見て、訝し気に言う。

 やや警戒感を含んだ声、そして鋭い視線だった。


「紹介しておこうか。王女様がアンナに付けてくれた護衛の人だよ」


「お初に。ヴェルタ王国諜報部、実働班所属。カーネンです」


 体格のいい、剣を佩いた女性が喋る狐のライカに驚くことなくペコリと頭を下げた。

 騎獣を操りながらなので雑な所作になってしまうのは仕方がない。

 続いてエルフの女性も振り返って頭だけを下げる。


「同じくヴェルタ王国諜報部、内偵班に所属しています。ジョゼッタとお呼び下さい。我々はその仕事柄、実名を明かせません。どちらも偽名ですが、ご容赦下さい」


「……クロが普通に喋っているということは、事情は知っているということか……寝ている間に随分と事態が動いたようだな。私にもあの後のことは教えてもらえるのか?」


「ちょうど今みんなに説明しながら歩いているところだよ」


 さすがに鬱蒼としている場所では歩くのに集中しなければならず、話している余裕はなかった。

 しかしいくらか開けてくると話をしながらでも問題なく歩を進められる。

 初めに新顔に自己紹介をし、次いで昨夜の別れてからの流れをメリエ達に説明しているところだった。


 諜報部の二人は王女から説明を受けているとのことで、アンナと自分との関係やライカのことも既に知っていた。

 実力も確からしく、王城で戦った推進派の刺客程では無いが、それなりの使い手らしい。

 そんな二人もメリエ達と同様に、興味深そうにこちらの話に耳を傾けていた。


「成程な。私もあの後どうなったか気になるところだ。腹は減ったが先に聞きたいぞ」


「はいはい。もうすぐ昼時だし、休めそうな場所を見つけたらお昼にしよう。こんな場所じゃ寛くつろげないし、それまでは我慢してて。

 ……で、どこまで話したっけ?」


 ライカが目覚めたことで話の腰が折れてしまった。


「クロが王城で大暴れした後のところだな」


 かなり簡潔にメリエが言うと思わず溜め息が出そうになる。


「大暴れって……いやまぁ確かにそうかもしれないけどさ……」


 これでも頑張って被害を抑えめにしようとしたのだが、そこに不確定要素を加味するとどうしても思い通りにいかない場面がでてきてしまう。

 終わった後の惨状を見た者に聞けば、ほぼ全員が大惨事と答える程度にはボロボロにしてしまったのも事実。

 釈然としないが、この評価に甘んじなければならないのは仕方がないのかもしれない。


「クロさんはちゃんと周囲も気遣っていましたよ。それでもああなっちゃうのは仕方ないですよ。じゃないと逃げられていたかもしれませんし」


 アンナが苦笑交じりにフォローしてくれる。

 うん。

 優しい少女である。


 実際の戦闘時にはそんなことをのんびり考える余裕など無かったが、今考えるとあそこまで壊さなくても無力化できる方法は他にもあったように思う。

 それを考えるとアンナの言葉を素直に喜べない自分がいるのだった。


「ま、まあいいや。

 で、あの後すぐに言われた国境まで飛んで行ったんだ。結構距離はあったけど一人だから速度も出せて割とすぐに着いたんだよね」


「お、王都からドナルカと接するローテ方面の国境までは、竜騎士でも丸半日かかる距離ですよ?」


「クロさんですし」


「クロだからなぁ」


「クロだしな」


「……」


 びっくりした様子で護衛のジョゼッタが声を上げると、すぐさまアンナ達が反応する。

 それにやや憮然としつつも、言われたことを咀嚼してみた。

 この世界では音速に匹敵する程の速さで移動する方法など限られているだろう。

 それを考えると当然の反応だ。


「か、かなり速度出したからね。で、到着した時には両国とも陣を布き終わっていて、危ない状況だったんだ。だからすぐに竜語魔法で雨を降らせて妨害することにした」


「天候まで……大昔から多くの魔術師たちが研究し続け、それでも未だ成しえない天候操作魔法……最高位と謳われる魔術師でも、神の手の領域たる天候を操ることはできないといわれているのに……」


「クロさんですから」


「ま、クロだからな」


「だってクロだしな」


「……」


 またも息を合わせてアンナ達が頷く。

 実際、複雑な事象が絡み合って起こるのが天気の変化だ。

 如何に魔法という超常の力があれど、それを人間の身一つで変化させるなど並大抵のことではないだろう。

 さすが星術といったところか。


「ま、まぁ僕達の使う竜語魔法でもかなり難しい部類ではあるよ。他に気を取られていたら使えないと思う。今回は邪魔も入らなかったしね。

 で、すぐに開戦って状況は防ぐことができたんだけど、どっちの軍もすぐには退きそうもなかった」


「それは……そうだろうな。どっちも国の面子と益がかかっている。安易に退こうものなら指揮官の首が飛ぶ」


「まあね。それにヴェルタは竜騎士も到着していた。切り札が健在じゃ退く判断なんてしないよね。

 そこで、残しておくと色々と面倒な竜騎士を片付けることにしたんだよ。三匹いたけど、すぐに片付いた」


「……アルドレッドが派遣されたと聞き及びましたが……」


「ああ、うん。いたね。そんな名前の一番大きい飛竜」


「近隣諸国を含めても個体としては群を抜いた力を有するのに……それを歯牙にもかけないとは……正直寒気がします」


「クロさんですからね」


「クロだからな」


「クロだしな」


「……さっきから釈然としないよ……」


 またしてもアンナ、メリエ、ライカがうんうんと頷きながら言う。

 何というか、嫌な納得のされ方である。

 ともあれ、護衛のジョゼッタが見せる反応が正しいものなのだろう。

 この反応が、この世界にとっての常識から大きく外れたことをしている証左ということか。


「でもさ、虎の子の竜騎士を失い、雨で物資を行き渡らせることも困難になったのに、まだ退いてくれなかったんだ───」


 そう。

 物資の補給路を断てばすぐにでも撤退することになるだろうと思っていたのだが、両軍は思いの外粘った。



 降りしきる雨の中、広大な草原に息を潜めること半日ほど。

 両陣営は止まぬ豪雨の中、変わらず睨み合いを続けていた。

 しかし、事態は着実に人間達を追い詰めていった。


 まず夜に差し掛かったにも関わらず、兵達は寝床が確保できていない。

 水が上がった大地では横になることも出来ず、眠気を堪え、ただただ雨音と増水した川の水音を聞き続けていただろう。

 雨で焚き火も満足に行なえず、冷えた夜の風は兵の体力と士気を吸い上げる。


 そして早くも食糧事情が悪化し始めていた。

 浸水で濡れた食糧の大部分はダメになり、兵が何かを口にしている姿を殆ど見かけなくなった。

 こちらから見ることはできないが、恐らくそれは川向こうの敵国側も同じだったはず。


 更には増水した川から溢れ出る泥水が、陣地を着実に削り取っていた。

 街道と川の交わる場所に設けられていた一つだけの橋は流されて無くなり、三倍近くにまで川幅は増し、雨に煙る今の状況では川向こうにいる相手の様子も満足に窺えないだろう。


 長い膠着に飽き飽きしてきた頃、ようやく変化が訪れた。

 事態を動かしたのは一匹の飛竜だった。


 夜明けの時刻頃、ヴェルタの街道上空を飛行してきた飛竜が視界に入り、厄介な援軍が来てしまったのかと警戒したのだが、乗っていたのは見覚えのある顔だった。


(……あれは、イーリアス?)


 乗っていたのは二人。

 見覚えの無い衣装に身を包んだイーリアスと、王女奪還時、王都に戻る時に併走していた竜騎士の一人だ。

 イーリアスは最後に見た時とは違い、豪奢なマントに国旗らしきバナーを付けた槍を持ち、何やら仰々しい書簡を携えていた。

 後で聞いたところ、使者としての正装だったらしい。


 そのままイーリアスを乗せた竜騎士は、ヴェルタ軍の陣地の中に入る。

 そしてすぐにまた飛び上がり、今度は川向うの敵軍の方へと消えていった。

 それから僅かな時間で両軍に大きな動きが現れた。


 まずは敵軍が、僅かに遅れてヴェルタ軍が陣を撤収し始める。

 一部の監視と思われる者達を残し、雨の中、街道を引き返して行ったのだ。

 その様子を息を潜めて眺めていると、敵軍側からイーリアスを乗せた竜騎士が戻ってきた。

 体を起こし、【伝想】を使ってイーリアスに呼びかけると、すぐに気付いてこちらにやってくる。


「(イーリアスさん)」


「クロ様。御待たせしました。たった今、陛下からの勅命を伝えたところです。

 ドナルカには後日、特使を派遣し、此度の件の話し合いの場を設けたいという旨の申し入れを、そして陛下からの親書を届けました。また軍を退いてもらう担保として、先程こちらの軍の総責任者である将軍の身柄を引き渡してきました」


「(将軍……よく納得したね)」


「ええ、従わなければ領地と財産を没収し、血縁全ての根絶やしも辞さないと陛下が仰ったことを申し伝えましたので。さすがの将軍もすぐに折れましたよ」


 ……かなりご立腹のようだ。

 まあ今までのことを鑑みればそれも当然か。


「(わかった。じゃあ僕も帰るよ。これでもう大丈夫みたいだし)」


「はい。後のことはお任せを。アンナ様は護衛を伴い、既に王都を離れられました」


「(そっか、なら急いで帰るとするよ)」


「ありがとうございました。クロ様」


 イーリアスの感謝の言葉を背に受け、飛び上がってそのまま来た道を戻る。

 星術を切ったことで雲も薄れ、夜明けの明るい空が顔を覗かせていた。

 かなりの時間がかかってしまったがこれで終幕だろう。

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