老人の願い ~セリス・ヴェルタ・アガウール~
「ドゥネイル卿……貴方は……!」
「ええ、そうですとも。私は、この国を、愛している。人生を捧げても惜しくは無い程に……私にとってこの国は宝、宝です。私は、奪われた宝を取り戻したいのですよ」
「……そのために戦争を?」
「必要とあらば」
「多くの人々が死ぬことになるというのにですか!?」
「必要とあらば」
私だけで考えても、理解できるはずが無かった。
彼と私は、決定的に見ているものが違っていたのです。
私や父、ヴェルウォード夫妻やスイ、レアは、この国の民のことを想っていた。
過去の戦の教訓から人々が命を脅かされること無く、少しでも幸せであるように、延いてはヴェルタが少しでも幸せであるようにと。
しかし、ここにいる者達が見ていたのは……彼が見ていたのは〝ヴェルタ〟であって、民ではない。
私達は、人を通して国を見ていました。
しかし彼らは、国を通して人を見ている。
それは似ているようで、全くの別物。
「和平などすれば、奪われた領土は永遠に戻りませぬ。そこで暮らしていたヴェルタの民は、敵国で辛い想いをしていることでしょう。奴隷に身を落とした者も多いはず……国が弱るだけではなく、殿下が気にかけておられる多くの民のためでもあるのです。
取り戻すには、戦うしかないのですよ」
私は込み上げてくるものを抑えきれなくなりました。
目の前が涙に歪み、昂った感情で視界に赤がかかります。
「それを誰が望んでいますか! 領土などくれてやりなさい! そんな線引きがなくとも、そこに住まう人々は生きていける。血みどろの戦いよりは! 多少不便でも! 命を脅かされる心配の無い暮らしの方がマシに決まっています!」
生まれて初めてかもしれません。
家族でもない者に、ここまで怒りの感情を露わにするのは。
ですが、私の口は勝手に動いていました。
私の怒声に対しても、ドゥネイルは穏やかな口調を崩しません。
「それはそこにいる者達に聞いたのですかな? 誇りを奪われ、屈従を強いられて幸せだと? 何故助けに来ないのか、何故見捨てるのか、そうは問われませなんだか?」
「確かに一時の不満は出るでしょう。ですがそれも時間をかければ癒えます。少なくとも、大切な者の命を奪われる争いに巻き込まれるよりは余程いいはず!」
「愚かですな。率いる者が、王族に名を連ねる者が、そんな負け犬じみた性根だからヴェルタが腐るのです。命を賭してでも雪辱を晴らし、誇りのために、同胞のために戦う。この国の兵達はそう教えられ、戦場に送られてきたのですぞ? それを否定なさるか。兵達の死を否定なさるか。
例え命散らそうとも、国のためとあらば無駄にはなりますまい。何故それがわかりませぬか」
「……わかりたくありません。人を死に追いやることを何とも思わない、人の命を数字でしか見れない貴方達の考えなど、私には……。
一人一人に、大切な何かがあるという事実を見れないとは、その方が余程人を率いる資質に欠けているでしょう! 貴方の考えは、自分を英雄と履き違えた殺人者の思考です!」
「何と言われても結構。殿下に必要なくとも、今、この国には必要なのですよ。そうした考えによって、多くの大国が築かれた。そして、そう考えられない国は、滅ぼされる定めにある。弱きは淘汰される。それが、この世の常」
彼の瞳に燃えるもの、それは私の言葉で消すことはできないようです。
私は悔しさと悲しさで言葉に詰まりました。
涙が頬を伝い、紅潮した頬を冷まします。
「多くの犠牲が出ると判っていながら、自己中心的に……そんなことを父が、陛下が赦すはずが無い!」
「例え私の考えを陛下が御認め下さらなくても、それが国のためとあらば私は躊躇わない。陛下が首を差し出せと言うならば、喜んで差し出しましょう。この老人の首一つで済むと言うなら、安い対価。
殿下、この老人のささやかな願い、望みは、只一つです。それは、愛してやまないこの国を、あるべき姿へと立ち戻らせること。かつてのヴェルタを取り戻したいだけなのです。
そのためならば、私はどんな犠牲も、労力も惜しまない。それは私だけの願いではないはずだ。
機は今しかないのです。我々が疲弊したように、ドナルカも疲弊している。それが癒え切る前に斬り付けねば、我々の領土を取り戻すことは百年をかけても難しくなる」
狂人。
私には、彼がそう思えてなりません。
目的のためならば他者はおろか、自らの命でさえも差し出すことを厭わない。
「そんな欲望のために……そのために、私だけではなく……親友までも手にかけたというのですか……! そして更に多くの人々を!」
「勘違いなさらないで下さい、殿下。私は殿下に対して恨みも憤りもありませぬ。
ここにいる者達の中には、怨嗟の念を持つ者もいるのかもしれませんが、私にそのようなものはない。私の周囲を嗅ぎまわっていたことも、私を糾弾しようとしたことも、特に何も感じておりませぬ。何ならあのまま、陛下に調べ上げた私のことを上申して頂いても一向に構わなかった。
ああ、ヴェルウォードの息女に関しての一件は与り知りませぬ。私ではなく、コートニー卿が独断でやったことなのでね。私には興味も無ければ、何かをするつもりもありませんでした。
むしろ、私は殿下をとても大切に思っていましたとも。ただ、機が重なったに過ぎませぬ」
私の暗殺は、推進派の動きを探って集めていた痕跡や証拠を消去するという目的のためだと思っていました。
しかし、それは違った。
彼は言い切りました。
そんなことはどうでもよいと。
彼にとって、私は障害ですらなかった。
私が勝手に思い込んでいただけ。
私が屈したのはこの国の闇ではなく、彼の底知れない虚無。
目的のために全てを飲み込む、暗い穴。
「……私は、大きな勘違いをしていたのですね……思い上がって……。卿にとって私は、人ですらなかったということですか。私の命は、父王の気を変えさせるための道具としての価値しかない……ということですか」
「いいえ。それは副次的なものです。
セリス様が倒れて、陛下が復讐に囚われるとは私も思っていませんでしたからな。陛下がセリス様を大切に想われていたのは存じていましたが、国よりも子を選ばれるまで執心とは……。王としては些か軽率……いえ、これ以上は私から申し上げるのは不敬ですかな。
ともあれ、戦争を起こすだけならセリス様の命を狙う必要などありませぬ。
例えば第三国に根回しをして、ドナルカがこちらを攻めるように情報操作をして仕向けたり、ドナルカの使節団を襲撃するといった手の方が簡単に事を起こせます。
結果論を言うなら、陛下自らが開戦に向けて動き、更には病で床に臥し、こちらが思い通りに動けるようになった。副次的なものだったとはいえ、良い方向に働いたと言えなくもない」
ドゥネイルが言うことは、いうなればついでということ。
なら、私を狙った本来の目的とは……?
「では、何故……」
「言ったでしょう。殿下はとても大切な存在だと……殿下の命は、戦いに勝つための大切な要素なのです。殿下は自身が、民草からどう見られているか、ご存知ですかな?」
「……!」
「ええ、ええ。多くの者が慕う心優しき殿下の死は、兵達を奮い立たせるでしょう。殿下の仇、仇敵を倒せという気運、それは兵達の士気を否応無く高めてくれる。いや、兵だけではありませぬ。多くの民が戦いに前向きになる。奮起する。
ドナルカの疲弊、教会の支援、そして兵を、いや、民を奮い立たせる王女殿下の死……。たまたま機が熟した時が、殿下が私を嗅ぎまわっていた時と重なったに過ぎない。コートニー卿や一部の者は口封じもできると喜んでいましたがね。
この三ヶ月の間に、想定外のこともいくつかありましたが、大きな流れは変わっておりませぬ……後は、動くだけなのです」
皮肉なこと。
家族より、自分より、友より……何よりも民を思って行動してきた私の存在が、民を戦いに向かわせるための口火とは。
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