孤独な戦い 1 ~セリス・ヴェルタ・アガウール~

「……驚かないのですね」


「……何について、ですかな?」


 私の視線の先に座す者。

 宰相、ドゥネイル・オルゴーダ。

 歳は確か、70に迫るはず。

 ですが、他種族との混血である彼は、純粋な人族に比べて若く見えます。

 白髪の髪が黒々としていれば40代でも通るでしょう。

 生粋の文官であるため肉付きは控えめですが、目つきだけは武官以上に鋭く、射抜かれるようです。


 私が生まれる前よりこの国の内政を支え、貴族達を取り纏めてきた国王に継ぐヴェルタの頭脳。

 立場上あまり会話をしたことはありませんが、父に聞いたところに寄れば寡黙で実直、私生活よりも仕事に生きる働き者だとか。

 この国を支え続けてきた、そんな彼が、何故?


 その想いは少なからず私の内にありました。

 しかし、毒に倒れる前に調べ出したことが正しければ、彼が推進派の纏め役。

 今の私の、民の敵。


 私の姿と質問に、鋭い眼をした老人は一切表情を変えません。

 一筋縄ではいかないということ。

 腹の探りあいは彼が一枚も二枚も上手……いえ、下手をすれば私の想像の範疇外なのかもしれません。

 それだけこの世界を生きるには相手の裏の裏まで読み、自分の弱みは一切見せずにい続ける、ともすれば人外めいた強かさが必要になるということに他ならない。


「……いいでしょう。では、理由をお聞かせ願えますか?」


「繰り返しになりますが、何について、ですかな?」


「言わなければわかりませんか?」


「ええ、是非ともお聞かせ願いたい」


 余裕。

 深く腰掛け、力む様子もない彼の態度の全てに、それが見受けられます。

 私はこの老人に恐怖を感じていました。

 気を抜けば指先や声が震える。

 そんな身を侵す、未知の怪物と対峙したかのような底知れぬ恐怖。


 さすがは数十年もの間、魑魅魍魎が跋扈する貴族、延いては国家間のやり取りを行ってきた者。

 経験だけではなく、これだけの器量が無ければ勤まらないのでしょう。

 内臓を圧迫する言い知れない重圧に抗いながら、言葉を紡ぎます。


「そう、ですか。非を認める気は無いと……そちらがそのつもりであるならば、その前に……」


 一拍置いてから、ドゥネイルの隣に座る者に向き直りました。

 白に金刺繍の入った法衣を纏う、30代前くらいに見える金髪の美丈夫。

 その後ろにはヴェルタの騎士が用いる物とは意匠の違う鎧を着込んだ騎士───神殿騎士が控えている。

 そして更に眼を引くのは……。


「……教会、ギルド連合、国家群は不干渉協定を結んでいるはず。これは内政干渉です。

 場合に因っては教会との軋轢も覚悟した上で、強硬手段を取らせてもらうことになるでしょう。セラネシラの差し金であるならば、周辺諸国をも巻き込む重大な外交問題にもなりますね。それを考慮した上で、慎重にお答え下さい。

 卿がここにいる理由をお聞かせ願えますか? それも神殿騎士だけではなく、使徒まで連れ込んでいる理由を……」


 教会のヴェルタ教区を統括する管区枢機卿連……その五人のうちの一人、名は確か、ノイマン・グレベル。

 こちらも、ドゥネイルと同様、特に取り乱す様子は無い。

 宗教国家セラネシラと、各国に展開する教会は別物ではありますが、同じ神を信仰し、信仰の為なら手段を選ばない側面がある点などは同じ。

 繋がりが無い理由は無い。


「これはセリス王女殿下。御機嫌麗しゅう。我々が派遣した治癒魔術師でも御目覚めになられなかった殿下を、一体どなたが治療したのでしょうかね?」


「……質問にも答えられない無能が枢機卿とは、教会も墜ちたものですね。いえ、無能だから協定のことも知らずにここにいるという答えなのでしょうか?」


「はは。御尤もです。私は生まれて之、修行一筋、政治にはとんと疎く、勉強不足でしてね。私のような若輩を此度の会合に送り出すなど、枢機卿連の意は察しかねます」


 軽い言葉に余裕の笑み。

 質問に答える気は無いということですね。

 詰まるところ、私が彼を追い詰めるには役不足ということ。

 しかし、この会話で彼の背後に控える者達の空気が変わりました。


 神殿騎士達は殺気を露わにし、ガチャリと一歩前に踏み出し、中には剣の柄に手を掛けているものもいます。

 このような場でこうした行為を取れば、国家間なら外交問題どころではありません。


 そして目深まぶかに法衣のフードを被った二人。

 使徒、または天使と呼ばれる、魔法とは違った神秘を行使する教会の異能者。

 それぞれが特異な能力を持っているといわれますが、あまり表に出てくることが無く、詳細はよくわかっていない。

 こちらも何かをするように手を動かしていました。


「やめろ」


 先程まで私に向かって余裕を崩さなかったノイマンが、凍るような冷たさを含んだ声と瞳を騎士達に向けると、それだけで騎士達の殺気は収まりました。

 そして私に向き直ると冷酷な表情が一変し、先程までの体面の良い笑顔に戻っています。


「これは大変失礼致しました。私のこととなると見境が無くなる連中ばかりでして……良く言い聞かせておきますので、どうか御容赦を。

 私共教会が手を貸すのは人助けという信仰上の理由のみです。他に私から申し上げられることは何もありません。なぜなら私は無知で何も知らないもので。

 そしてこの者達は私の護衛です。それ以外に意図はありません。私は要らぬと言ったのですが、聞かないものでしてね」


「部下に押し切られたというわけですか。上に立つ者としては情けない話ですね」


「ええ、本当に。私にも威厳が欲しいものですよ。

 で、どなたが殿下を治療したのか、気になるところではありますが、答えては頂けないのでしょうな。私ももう、言うことはありませんので、まぁ御相子ということで御勘弁下さい」


 よく言う……。

 その言葉を何とか飲み込みました。

 やはりこの男も只者ではない。

 少なくとも、今話したような何も知らない愚者ではないということだけは確か。

 下手をしたら、ここにいる誰よりも狡猾で残忍なのかもしれない。

 そう思わせるだけの闇が、光を司るはずの彼の中にはある。

 態度を見るに、何を言っても煙に巻くか誤魔化されるだけでしょう。


 ……確かに不干渉を謳っている教会が国家間の戦争に介入したことはある。

 それはどちらかに加担するというのではなく、巻き込まれる都市を守ったり、民や負傷者を救ったりといった事柄です。

 それによって神殿騎士と軍が事を構えた記録も残っています。


 裏はどうあれ、こう言われると現段階では追及も糾弾も難しい。

 これが事実関係のある事態であれば抗議もできますが、今はまだそうした事実もない。

 彼の独断なのか、それとも教会の総意としての行動なのかもわからない。

 今はまだ、教会の真意を測るのは無理のようです。


「わかりました。ではこちらも教会に対してそれなりの対応を取らせて頂きましょう。次に……」


 そう言ってドゥネイルの向かい側の椅子に座る男に向き直りました。

 コートニー・グランド。

 国王付きの執事兼、尚書官を担う者。

 そして……。


「独断で諜報部を動かし、私を狙わせた理由をお聞かせ願えますか?」


 父王より、諜報部の実権を預かる者。


「確かに陛下が御倒れになられ、一時的にではありますが私に諜報部の裁量権が移っているのは事実……ですが失礼ながら、私が王女殿下に刺客を差し向けた、とは言いがかりでは?」


 嘘。

 恐らく彼は、私が知らないと思っているのでしょう。

 諜報部に関する情報は厳重に守られている。

 それは組織の長も同じ。


 国王に代わって指示を出すことを任されている者にも、〝枷〟の魔道具を装着することが義務付けられているため、諜報部に関する秘密を彼が第三者に漏らすことはできません。

 どんな方法であっても、仮に何らかの魔法などにより彼の意と反して情報を奪われたのだとしても、僅かなりとも情報が漏れた時点で、彼の心臓は止まることになる。


 彼以外に諜報部についての情報が渡っているのだとしたら、彼は既にこの世にはいないはず。

 しかし、彼の言うように証拠は無いというのも事実。

 ならば……。


「ええ、そうですね。死体の確認はできますが、確かに貴方が命令を下したという証拠は出ないでしょう。

 では、こう言い換えましょうか。

 陛下が命令を下せない状況に陥った場合の指揮権と全ての責任は貴方にあります。暗部の掌握はおろか、勝手な行動を許すなど言語道断。

 ましてや賢人会議の承認もない状況下で暗殺行為を許したとあっては言い逃れようなどありません。解任などという生ぬるい罰で許されるとは思わないで下さいね。

 王国の民、全ての命を握る組織の長として、その命で償ってもらいましょう」


 その特性上、諜報部が独断で何かをするということは在り得ない。

 そうならないよう横の繋がりも縦の繋がりも、一部例外はあるもののほぼ全て秘匿されている。

 故に、誰かが指示を出さなければ、今回のように組織立って暗部が動くことは無い。

 国の生命線を預かる諜報部の長を、一時的にとはいえ任せられた以上は、その重責も負わねばなりません。

 彼の言い分で許されるほど、この責は軽くは無い。


「……!」


 前者二名とは違い、彼は死刑宣告とも言える言葉を聞いて、明らかに動揺しました。

 しかし、まだ余裕の方が勝っている感じは否めない。

 私が圧倒的不利な立場にいることがそうさせているのでしょう。

 大した護衛も無くここに入ってきた私を、この場で殺してしまえばどうとでもなるということが。


 ですが、やはり推進派の暗躍によって諜報部が動いていたという確信は得られました。

 彼がドゥネイルの向かいというこの席に座っていることが何よりの証拠。

 父が壮健である時は密かに、倒れてからは堂々と。

 ドゥネイルの指示かコートニーの意思か、どちらにしても推進派の尖兵として暗部を動かしたのは彼であり、それに間違いはない。

 さすがに父に気付かれずに暗部を動かすのは難しくても、数名に指示を出す程度なら彼の持つ情報があればさほど難しくは無い。


 私は静かにドゥネイルを見詰めました。

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