病巣 ~セリス・ヴェルタ・アガウール~

 近衛騎士達と別れ、広く長い廊下を進み続けます。

 病み上がりのためまだ体が重く、只歩くだけなのに疲労感で足が上がりません。

 私が思っている以上に、私の体は衰弱しているようです。


 しかし、そんなことを言っている場合ではない。

 あれから人に出会うことはなく、騒ぎが起こることもありませんでした。

 というより、心なしか城内の人間が少なく、静まり返った印象を受けます。


 私の後ろには近衛のイリアさん、その後ろには幼体でありながら既に人智を超えた領域の力を振るう古竜種のクロ様と、クロ様の手綱を引くアンナさん。

 そして更には神代の時代からこの世界に存在するといわれる最古の獣の末裔、ライカ様が続きます。


 人間の国程度なら、容易に滅ぼせるだけの力を持つ彼らの協力ほど、今の私にとって有り難いものはないでしょう。

 しかし正直なところ、これだけ心強い協力者がいるというのに、私の不安は尽きません。

 その不安の源は志半ばで私が斃れ、戦いが再び起こるという事態。

 私の失敗は多くの人命を危機に晒すことと同義。

 それを思うと足が竦みます。


 ですが、不安を理由に足を止める時間はありません……協力を申し出てくれたクロ様をはじめ、多くの方々が危険を顧みずにつくってくれたこの機を無駄にするわけにはいかない。

 それが重圧であるのと同時に、私の重い足を前へと動かす原動力にもなっている。

 私はそんな恐怖と使命感が鬩ぎ合う心情を表に出すことなく、幼い頃から言われ続けた通り、顔を上げたまま歩くよう心掛けました。


 いくつかの、本来見慣れたドアの前を通り過ぎ、曲がり角を曲がった頃、二人の兵が番に立つ大きめの扉が見えてきます。

 これまで通り過ぎてきたいくつもの部屋のドアは小さく、クロ様では通れないものでしたが、ここの扉はクロ様でも問題なく中に入れるでしょう。

 もしも入れないなら破壊してもらっても構わなかったのですが、その必要がなくなったのは好都合です。


 ここは御前試合会場もかくやという程の広さがある講堂、謁見の間や舞踏会などを開くホールなどと並ぶ、王城内でも屈指の広さを備える、合議の大広間。

 新城が出来て以来、歴史に残るような重要な決め事を幾度と無くそこで行なってきた、由緒ある部屋。

 そして、今は私の戦場。


 その中で会談をしている者達が、この国を蝕む病巣。

 治療しなければヴェルタを……いえ、人々を死に至らしめるかもしれない、病魔。

 今も尚、戦いを再燃させ、何も知らない多くの民を死に追いやるために蠢いている。

 ……何としてでも、今……。


「……あちらです」


 歩きながら、後ろに続く皆さんに伝えます。

 イリアさんは知っているので既に身構えていました。

 番兵の二人は、廊下の曲がり角から姿を現したクロ様に目を見張り、私のことには気付いていないようです。


「ひっ! 竜!? と、止まれ! 一体何事だ!?」


「無礼者が! 王女殿下に向かってその言葉、厳罰を覚悟せよ!」


 私よりも廊下の角より現れたクロ様の巨体に目が行き、番兵達は狼狽しました。

 小さな私よりも、クロ様の存在の衝撃の方が強いのは当たり前のことです。

 そんな兵達の言葉にイリアさんは怒気を隠さず一喝しました。

 その怒り声で我に返り、私に気付いたようです。


「お、王女殿下……!?」


「あ、その……も、申し訳ありません!」


「構いません。それより、ここを通して下さい」


「そ、それは……」


 番兵達はどうすべきかと逡巡しています。

 立場からして中で行われていることも、今までの私の考えも知っているのでしょう。

 通してしまえば間違いなく問題が起きますが、私を通さないということも問題に他なりません。


「いいからすぐに退くんだ。今はお前達にかかずらわっている時が惜しい。阻むと言うなら、悪いがここで斬り捨てる」


 そう言って前に進み出たイリアさんが、剣の鞘に手をかけました。

 それを見た兵達は顔色を変え、後ずさります。

 一応槍を持っていますが、近衛と一般兵では実力に差がありすぎる……例え二人がかりでも、即座にイリアさんに斬り捨てられると判っているのでしょう。


「うっ……ど、どうぞ……」


「それでいい。すぐにこの場に近衛隊が駆け付ける。その者達に従え。死にたくなければ余計なことはするな。……返事は?」


「は、はっ」


「……行きます。クロ様、始めは私が話をしたいと思います」


「(いいよ。だけど、何か不穏な動きがあったら手を出すからね。それと敵対者の命の保障はしないから)」


 先程までとは違う、不思議な声でした。

 まるで心に直接語りかけているかのような……。

 そして守ってもらえるという安心感、ですが甘えは許されない。

 私には必要とあらば命を投げ出す覚悟が要る。


 それに頷きを返し、扉に向き直ります。

 まだ中の者達はこちらに気付いている様子はありません。

 扉の向こうからは話し声が幽かに聞こえてくるだけで、動いている様子はありません。


 ここはできるだけ時間を稼がなければならない。

 近衛に出入り口の封鎖を頼みましたが、この広い城全ての出入り口を固めるには、少し時間が必要です。


 ましてやここは重要な人間が集まる王城。

 いざという時のための、隠された抜け道もいくつか用意されている。

 当然重鎮たちはそれを知っているでしょうし、近衛くらいしかそうした抜け道の存在を知りません。

 そこにも手を回してもらうとなれば、今暫くの時が必要です。


 私がこの大広間へ入るのを遅らせれば、その分時間は稼げるでしょうが、私が戻ったことを知らされてしまうと先手を打たれる可能性が高くなる。

 やはり私が話を長引かせなければなりません。


 呼吸を整え、静かに扉に手を掛ける。

 手汗で取っ手がぬるりと滑る、嫌な感触。

 引くと、手入れの行き届いた扉は軋み音一つ上げることなく、滑らかに開きます。

 扉が音も無く開かれ、中の空気と外の空気が入り混じると同時に部屋の中に響いていた会話が鮮明に聞こえてきました。


「───現在国境線に確認されている兵数は五分、ですが、こちらには教会からの支援と……っ!!?」


 壇上で話をしていた初老の男性が、私の姿を見て硬直しました。

 それを気に留めず、前に足を進めます。


 合議の大広間には大きな長方形型に三列テーブルが並べられ、その両脇に多数の椅子が用意されています。

 一つの長方形に、50弱くらいの人が掛けられるでしょうか。

 天井も4,5階分の高さ。


 いくつもの天窓と壁のステンドグラスによって、晴れた日中ならば明かりをつけなくても部屋全体を十分な光量で満たしてくれます。

 劇場のように二階席も設けられ、十分な人員を収容できる規模。

 実際、国家間での重要な会議にも幾度と無く使われてきました。


 今はその椅子の殆ど全てが人で埋まっており、更に椅子に座る者達の後ろ、壁際に、ずらりと武装した者達が佇んでいます。

 恐らくは各貴族達の私兵……本来であれば決められた兵士以外が城内で武装することは許されていません。

 これも穏健派寄りの近衛騎士を牽制する為の手ということでしょうか。


 壇上で話していた者の異常に気付き、それ以外の者達も徐々に私の存在に気付き始めました。

 ある者は驚きに身を固め、ある者はこちらを凝視し、ある者はすぐさま周囲の者達と何かを囁き合う。

 共通するのはどの者達も、その瞳の奥には敵愾心が宿っているということ。

 事実、私を見る目に殺意が込められている者も多い。


 中にはそうではない者達もいましたが、それは少数。

 9割以上の者が推進派ということでしょうか。

 王国全てを巻き込んでの戦いとなれば、穏健派であっても重要な役職に就いている者は参加する必要がある。

 そうした者達の眼には殺意ではなく、安堵の光があります。

 僅かでも自分を想ってくれていると者がいると分かると、ここが敵陣ど真ん中でも、一人ではないと感じることが出来ました。


 しかし今はそうした者達に気を留める場合ではない。

 私は一言も発することなく歩み続けます。

 目指すは講壇に一番近いテーブルに着く者達……。


 静まり返った空気の中、私の歩く小さな音だけが反響します。

 やがてその者達の表情まで、はっきりと見える位置にきました。

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