帰還
闇夜の町に紛れた妖狐を見送った後、自分も宿に戻ろうと考える。
しかしここで問題に気付いた。
変身で服が破けてしまい、素っ裸の状況なのだ。
夜だと言っても人通りはまだあるし、裸で町中をうろついたりしようものなら警邏に捕まってしまうだろう。
道具類は全てメリエとアンナに預けてしまってあるのでカバンも何も持ってきていない。
勿論お金も無いので町で買うこともできない。
さてどうするか……。
いくら夜でも竜の姿で飛んで行くのはさすがに危険すぎる。
鳥に変身してみることも考えたが、鳥の体では【飛翔】の星術は使えない。
それに鳥になったとしても体一つで自由に空を飛ぶには練習が必要だろう。
暫く考え込んだ末、ここは現状で一番確実な狼の姿で戻ることにした。
毛皮があれば裸でも関係ないし、黒い毛並みで夜景に紛れる事ができる。
早速狼の姿に変わると、屋上の端に移動して夜の町を見下ろす。
丁度良くこの闘技場の隣の建物は三階くらいの高さがある。
ここから飛んでも十分に届く距離だ。
先に夜の町に消えた妖狐のように、建物の屋根を伝って宿まで戻ることができそうだ。
かなりの身体能力があるので屋根の上を飛び回って移動することもできる。
物音を立てないようにすることと、屋根を踏み抜いてしまうことに注意すれば大丈夫だろう。
タンと小気味良い音と共に床を蹴って空中に飛び出し、そのまま狙っていた隣の建物の屋上に音も無く着地する。
体のバネで衝撃を殺し、音を立てることなく飛び移れた。
この調子で移動していけば無事に宿まで戻れそうだ。
木でできた建物は音がしたり踏み抜いたりしそうだったので、なるべく石造りの建物を選んでピョンピョンと飛び移っていく。
屋根の上の移動は人間に気付かれることもなく、移動するだけなら問題なかったのだが、道がとてもわかりにくかった。
まだ大して歩き廻ってもいないので道順があやふやというのもあるのだが、それよりも夜と屋根伝いという状況のため、まだ明るい時間帯に歩いてきたのとは景色が全く違うのが困りものだった。
何度も立ち止まって下の道を確認し、あっちにいったりこっちにいったりして迷いながら、ようやく〝深森の木漏れ日〟亭のある宿街まで戻ってきた。
そしてそこまで移動してから気付く。
アンナとメリエに渡してある自分の鱗製アーティファクトの気配を探ってくれば良かったと……。
強い幻獣との戦いの後で疲弊している上に、無駄に道に迷った苦労が無駄だったとわかったため、どっと疲労感が押し寄せてきた。
とぼとぼと屋根の上を歩いてポロのいる走厩舎の上まで移動し、周囲に人間が居ないかを念入りに確認してから影の蟠った道の隅に飛び降りた。
そのまま素早くポロの小屋の扉をゆっくりと押し開けて中に入る。
「ただい……」
「クロさぁん!!」
「まぁ!?」
涙目のアンナがそっと扉を開けた自分を見るや、駆け寄って飛びついてきた。
「大丈夫ですか!? 怪我とかしていませんか!?」
「大丈夫。あんまり騒ぐと近所迷惑だから落ち着いて」
下手に騒いで人が見に来たりしたら大変だ。
怪我をしていてもここに戻る前に癒しの術で治してこれるのだが、アンナは気が動転していてそれに気が付いていないようだった。
一緒に居たメリエはアンナの様子に苦笑しながらこちらに歩いてくる。
宿の部屋に置いてあった荷物もこちらに持ってきてあり、いざという時にはすぐに逃げ出す準備もしてくれていたようだ。
「うぅ……よかったです。メリエさんからもしクロさんが戻らなかったら町を離れるって聞いて……」
「(古竜種でも幻獣種の相手は楽なものではないと心配しましたが、ご無事で何よりです)」
「お帰り、クロ。どうして狼の姿になってるんだ?」
メリエはアンナのように取り乱したりはせず、落ち着いているようだった。
いざという時はメリエにアンナを任せていたので、ハンターの仕事の時のように冷静でいてくれたようだ。
ポロは休んでいたらしく、寝転がっていた体を起こして労いの言葉を掛けてくれた。
逃げるとなった場合にはポロの足が重要になるので、それを見越して体を休めていたのだろう。
「ああ、竜の姿に戻った時に服破いちゃって、代わりが無かったからこの姿で戻ってきたんだよ。さすがに素っ裸で道を歩いてきたら捕まるし。
……色々と話したいことはあるんだけど、疲れたから手短に要点だけ話して細かいことは明日でいい? 眠いよー」
今日は色々なことがありすぎて疲れた。
体力はあっても精神までがタフというわけではない。
気を張り詰めたり星術で集中したりとメンタル面が疲労困憊である。
「わかった。アンナも心配して気を張り詰めていたから疲れただろう。早めに休むといい」
メリエはそう言って自分に抱きついているアンナの肩に手を置いた。
それを見てポロが言う。
「(ご主人もクロ殿が部屋を出てから涙目になってそわそわしていました)」
「ポ、ポロ! 余計なことは言わなくていいから! 私はクロの強さを知っているからそんなに心配はしていなかったぞ!」
「(何を言っているんですか。ホラ。ご主人もアンナ嬢のように……)」
冷静でいたのかと思いきやそんなことはなかったようだ。
やはり部屋を出る前に万が一を考えて自分が戻らなかった時のことを伝えたのはまずかったか……。
いや、でも万が一のことは知らせておかなければならなかった。
もしも自分が殺されて妖狐の標的がアンナ達に移っていたら、アーティファクトで防備を固めていたとしても三人が無事に逃げ延びれたかは怪しい所だ。
それほどに妖狐の強さは本物だった。
自分が原因で信頼する三人が命を落とすということはあってはならない。
そのためには考えられる危機への対策は必須だ。
「一応もうこの町に棲み付いた幻獣に襲われることは無いはずだから、安心していいよ」
「はいぃ。良かったですぅ」
涙声で鼻を啜りながらアンナが返事をする。
未だに抱きついて狼の毛皮に顔を埋めているアンナに心配を掛けたことへの謝罪をし、メリエの方に視線を向けた。
メリエはモジモジとしながらちょっと羨ましそうな目でアンナを眺めている。
そんなメリエの背中をポロが後ろから鼻でグイグイと押していて、メリエに鼻先を押し返されていた。
「メリエもありがとうね。ポロも心配掛けてごめん」
「あ、その……無事に帰ってきてくれて良かったぞ」
「(ご主人……こんな時こそアンナ嬢を見習ってもうちょっと素直にですね……)」
「ポロ! 余計なことは言うなと!」
「あー……人が来たらまずいから、まずは人間の姿に戻るね。丁度良く着替えも持ってきてあるみたいだし」
戦いで破いてしまった服の代わりは何着か買ってあるので問題は無い。
狼の姿では荷物を漁れないので、落ち着いてきたアンナに荷物から服を出してもらい、そのまま【転身】で人間の姿になって服を着た。
その後、ポロも交えて事のあらましをざっくりとだが説明しておいた。
説明したのは幻獣と戦って勝ったということだけで、バークに言われたことは話していない。
幻獣の細かい部分も含めて明日説明すればいいだろう。
「これで一安心か。また暫くは自由に動き回れそうだな」
「そうですね。買い物の続きもできそうです」
「後はシェリアさんからの連絡待ちになるかな。その間にまだやれていないことをやらないとね」
「ああ、そうそう。私とポロは明後日にでも依頼を受けに行ってこようと思う」
「依頼? 何で? お金足りなくなったの?」
お金なら腐るほどカバンに入っている。
必要ならメリエに分けても問題ないし、それは以前にも伝えてあったはず。
3ヶ月の期限もコタレでの護衛依頼を受けているからまだまだ余裕があるはず。
思い当たる所では依頼を受けなければならない理由はなさそうなのだが……。
「いや、金銭やなんかは関係ない。動かないと私もポロも体が
「(それは有り難い!)」
ポロはよほど嬉しいのか、立ち上がってドシドシと足踏みをしている。
確かに一日中こんなところにすし詰めでは息も詰まるだろう。
かといってポロのような従魔が理由もなく町中を自由に歩き回るのも難しい。
荷物運びなどでもいいからポロが体を動かせるような機会を作ってあげなければ気の毒だ。
「じゃあ明後日はメリエはお出かけと。それなら明日は今日行けなかった武器屋でも見に行こうか」
「そうだな。それからまだ見ていない王都の中の案内もしておいた方がいいか」
「わぁ。私お城にもっと近付いてみたいです」
「あれ? そう言えばメリエは師匠に会いに行くとかも言ってなかった?」
「まだ師匠が王都に居るかどうかもわからないから、明後日依頼を受ける時にでも総合ギルドで聞いてみる。今も王都に居るようなら時間がある時にでも会いに行くさ」
「そっか。じゃあシェリアさんからの連絡が来るまではそんな感じで順番にやることをやっていくってことで。……ふあー……疲れたー。今日は早く寝よう」
話し終えると同時にぐーっと伸びをして欠伸をした。
まだ夜になってそれほど時間も経っていない早い時間だが、眠気も大分押し寄せてきている。
「そうですね。部屋に戻りましょうか」
「(お疲れ様でした)」
出かけられるとわかって終始嬉しそうにしていたポロの小屋を、持ち出してきた荷物を抱えて出る。
そのまま宿に入って部屋に着くと、あてがわれたベッドにボフンとダイブする。
スプリングなどは無いのでちょっと硬めのマットレスだが、洗い立てのシーツから香るお日様のにおいが更に眠気を誘った。
「じゃあ細かい連絡などの話は明日にして今日は休もう。クロも大分疲れているようだし、アンナも心配して待っていたから疲れただろう」
メリエはまだ体力に余裕がありそうだが、アンナは訓練場で体も動かしていたから肉体的にも結構疲れているはずだ。
心配もしてくれていたので心労も溜まっているだろう。
明日も歩き回ることを考えれば早めに休んでおく方が良さそうだ。
「そうですね。私もほっとしたら眠くなりました」
「私も今日は早めに休む。あ、そうそう。アンナは明日も訓練場に行くからそのつもりでな。継続しないと体力もつかないからなるべく毎日体を動かすようにしよう」
「わかりました。……あ、クロさん」
「んー?」
「あ、その……今日だけ一緒に寝てもいいですか?」
「どうせベットは隣じゃない。それに僕寝相悪いかもよー?」
「それでもいいので……」
ちょっと悲しそうな表情で懇願するアンナ。
不安な気持ちを抑えて待っていてくれたのだ。
メリエに自分が戻らない場合のことを聞いていたようだし、家族と離れ離れになった時の感情が蘇ってしまったのかもしれない。
まぁ今日くらいは一緒に寝てもいいか。
メリエもそんなアンナの心情を察したのか、しょうがないなという顔をしつつも特に何かを言うこともなくベッドに入っていた。
「ん。じゃあ枕持ってきてね」
そう言いながらベッドの中心から体をずらして場所を空けてあげると、アンナはぱっと表情を明るくして潜り込んできた。
「えへへ。嬉しいです」
「野宿の時みたいだね」
「じゃあ消すぞ?」
「うん。おやすみー」
「おやすみなさい」
蜀台に灯った蝋燭の明かりをメリエが吹き消すと、静かな暗闇が訪れる。
暗闇の中、アンナの手を握ってあげると安心したような顔で静かに目を閉じていた。
自分も数分と待たずに眠気が訪れ、意識を手放した。
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