警告
「(何?)」
「(ど、どこですか?)」
アンナとメリエも驚いた様子で自分の視線の先に目をやろうとするが……。
「(二人とも待って! 視線を向けたらダメだ!)」
「「!!」」
慌てて探そうとする二人を制止する。
強い口調で意思を飛ばしたので、驚いた二人はビクリと肩を振るわせた。
ここで自分と一緒にいるアンナ達が視線を向ければ、相手から敵対者と認識されてしまう恐れがある。
すぐに【伝想】に切り替えたが、既に会話をしていたところを見られている可能性が高いので手遅れかもしれない。
しかしやらないよりはいい。
今のところ害意のようなものは感じないし、周囲の人間に対しては特に何かする様子も無い。
なら少しでも他人を装って、すぐに離れてもらうべきだ。
吸い寄せられた視線の先にいたのは見目麗しい少女だった。
年の頃は10歳と少しくらいだろうか。
アンナよりも幾分幼く見える。
ストレートでサラサラの明るい茶髪を腰まで伸ばし、頭には獣耳がちょこんと乗っていてピンと天を向いている。
やや釣り目がちな目元と整った顔立ちに、服装は薄黄色の簡素なノースリーブのワンピースのようなものにサンダルだけ。
自分の服装と似ていた。
人間に擬態できるというだけあって見た目はどこから見ても獣人の子供と同じだ。
その異様な気配が無ければ人外の存在と気付くことはできそうもない。
しかし、何だろう……あやふやで判然としないが、どこか違和感を感じる姿だ。
人ごみの中にあってもその視線は間違いなく自分を捉え、無表情にじっと見つめている。
ただの人間でないのは間違い無い。
その瞳から自分に向けられている威圧感は、アスィで対峙した巨人種のものよりも強大なものだった。
そんな威圧感を放つ人間は今までに出会ったことが無い。
コタレ村到着前に襲い掛かってきたあの人間離れした剣士でもここまでではなかった。
そんな気配が人で賑わう通りの中、数十mは離れているあの少女から放たれていると感じる。
今の今まで感じなかったこの異質な気配を突然感じたのは、こちらに気付かせるためにわざと……?
「(……二人とも知らん顔してこのまま宿に戻っててくれる?)」
「(! ……どうしてですか?)」
「(向こうは僕に気付いている。僕よりも先に気付いてこちらに意識を向けたから、その気配で僕も気付いたんだ。確かにアンナ達が聞いてきた噂の通り、今までに見たどの魔物よりも強い気配を放ってるよ。もし戦う事になったら二人の安全を保障できない)」
気配は強いものだが、母上や竜の森にいた翁ほどではない。
しかしそれでも鳥竜や巨人種のものよりは強大に感じる。
相手の力は未知数なれど、自分一人なら倒せるかどうかは別としても戦ったり逃げたりすることはできるだろう。
しかし、二人を気にしながらとなると話は変わってくる。
もしもシェリアやメリエの言う通り人の手に負えないほどの力を持っているなら、近くにアンナ達がいるのはまずい。
「(だ、大丈夫なんですか?)」
「(正直な所わからない。僕の知っている古竜ほどの気配ではないけど、気配と強さが同じとは限らないし、そんな相手と戦う事になったら二人を気にしている余裕はなさそうだから)」
「(わかった。アンナ、他人の振りをして離れよう)」
「(そんな!)」
「(落ち着いてよく考えるんだ。私達がいてどうなる? 足手纏いになっては、逆にクロが危なくなるんだぞ)」
「(……わかり、ました。クロさん、気を付けて下さいね……)」
「(無理はしないよ。それにまだ戦うと決まったわけじゃない)」
アンナとメリエは心配そうな視線を残しつつも、人ごみに紛れて離れていく。
視線の先にいる少女は相変わらず自分の方を見つめており、アンナ達を気にしている様子はなかった。
アンナ達と別れた後も長い距離と人の流れを挟んだ状態で少しの間視線を交錯させていると、少女の方が動いた。
(! ……離れていく)
人の流れに乗って王城の方に向かう道を歩き始める。
動き際にスッと振り向き、僅かに視線をこちらに向けた。
(付いて来い……ということか……どうする?)
追うべきか、それとも関わらないように無視するべきか……。
いや、やはり無視はできない。
相手はこちらに気付いていた。
正体まで看破されたのかどうかはわからないが、少なくとも自分がただの人間ではないという事は、あの様子からして感じ取っているだろう。
向こうが先にこちらに気付いていたことを考えても、気配を察知する能力は人間の姿の自分よりも優れていると思った方がいい。
となれば今見失うと不意打ちされる可能性が出てくるということだ。
そうなればアンナ達を巻き込む危険が高まる。
しかし、このまま付いて行ってもいいものか?
何の意図で自分を誘い出そうとしているのかもわからない。
罠があるという可能性や、他に仲間がいて待ち構えているという事も考えられる。
こんな町のど真ん中で全力で戦う事にでもなったら、もうこの王都には居られなくなる。
それに竜の姿に戻って全力を出したら町や人間にも被害が出るだろう。
向こうがどういう理由で王都に居るのかもわかっていない。
このまま何の考えもなしに付いて行くのは危険。
だが……。
(……仕方が無い)
悩んだが、やはりここは付いて行くしかない。
のんびり熟考していたら見失ってしまうかもしれない。
あれだけの気配を放っていたのに今まで自分が気付けなかった事を考えると、気配を断って隠れられるのはまず間違いない。
とすればこの広い王都で一度見失うと見つけ出すのは困難になる。
竜の姿に戻って索敵の星術を使えば探す事は可能かもしれないが、人の多い王都の中では気軽に竜の姿に戻ることはできない。
人の流れの中をややゆっくりとした歩みで進んでいく少女を追いかけ、こちらもゆっくりと歩く。
距離を一定に保ちつつ、周囲に他の気配が無いかも探ってみたが、今の自分で感じられる人間以外の強い気配は前を進む少女のものだけだった。
(……?)
そして暫く後を付けたところで気付く。
……周囲の人間の様子がおかしい。
擦れ違う人達の様子が今までと違うのだ。
対向側から歩いてくる人間が全て、まるで自分が見えていないかのように振舞う。
さっきまでは自分に気が付いてぶつからないように動いてくれていた。
しかし今は真正面のぶつかるギリギリまで自分が迫ってきたというのに、視線はどこか別なところを向き、避ける素振りさえ見せない。
こちらが避けなければ何度も正面から人とぶつかっているだろう。
前を進んでいる少女の方も同じだった。
あれだけの美しさを持つ少女が薄着で無防備に歩いているというのに、誰一人として振り向かない。
それどころかそこに居る事にも気付いていないように視線を送ることもない。
正体不明の少女は、さもそれが当たり前というようにスイスイと人を避けて歩を進めている。
自分と追いかけている少女以外に対する周囲の人間の反応はごく普通のものだった。
互いに互いを認識し合い、道を譲り合っている。
自分でも気が付かないうちに何かされたのかもしれない。
しかし今考えても答えは出そうも無い。
とりあえず原因を考えるのは後回しにし、人とぶつからないようにしながら前を歩く少女を追いかけ続けた。
十数分くらい歩いただろうか。
まだまだ王城からは遠い位置にいるが、メリエ達といた時よりも城が大きく見えるようになった。
前を歩く少女はこの場所を歩き慣れているのか、立ち止まったりすることも無く何度か道を曲がり、見えてきた大きな看板が掲げられた建物に向かっていく。
四、五階建てくらいはある石造りの大きな建物で、閉まっているらしく人が出入りしている様子は無い。
入り口の前には衛兵が二人立っていて見張りをしている。
しかし、衛兵の二人は他の人間と同じように少女が近づいても何の反応も示すことなく、ただ前を向いて突っ立っている。
少女はそんな衛兵を無視し、そのまま衛兵の間をすり抜けると音も無く扉を開けて大きな建物の中に消えていった。
(……行くしかないか)
自分も後を追いかけるように建物の入り口に近づいて行ったが、やはり今までの町の人間と同じように衛兵は自分に気が付いていないようだった。
まるで自分が透明人間にでもなってしまったかのような、奇妙な感覚に陥る。
注意しながら建物の入り口を潜り、薄暗い廊下を真っ直ぐに歩き続ける。
ところどころに分かれ道や部屋の入り口のような扉があるが、さっきの少女が入ったような形跡はなく、気配も前からしてきているのでそのまま進み続けた。
暫く薄暗い廊下を歩くと入り口と同じような扉があり、そこを開けると広い場所に出る。
上には天井が無く青い空と雲が見え、中庭かと思って見回してみたが周囲は石壁と階段状の席に取り囲まれている。
すり鉢状に観客席があるサッカーや野球の試合場、闘技場のような場所だった。
かなり広く、中央には石でできた試合場のようなものがある。
しかし、人は誰もおらず、しんと静まり返っている。
追いかけ続けた少女は観客席から見下ろせる丁度中央付近の試合場のような場所に立ち、自分が入ってくるのを待っていた。
長い髪とワンピースのスカートが入り込む風にゆるりと靡く。
外見は可愛らしい少女なのに、その佇まいと表情は少女のそれではなく、野生の獣のような鋭さがあった。
気配を探ってみるが、やはりこちらを見ている少女以外に何かの気配は感じない。
「やっと来たか」
こちらを見つめ続ける少女が口を開く。
耳に心地いい澄んだ声音だが、声の調子は大人のような落ち着きがある。
そんな声が誰もいない静寂に包まれた広い空間に響き渡った。
警戒しながらも少女の表情がわかるくらいの距離まで近付き、正面から向き合う。
少女は腕を組み、怒ったように眉根を寄せて問いかけてきた。
「……貴様がこの人間の町に入り込んでから観察していた……では、言い訳を聞こうか?」
「……言い訳?」
「そうだ。貴様が何者かは知らんが、ここは私が先に見つけた場所。私の
縄張り……ということはつまり、この王都に棲み付いているということだ。
生き物が縄張りを構える理由は食糧の安定確保のためだったり、安全な繁殖場所の確保のためだったりといくつかあるが、基本的には生き残る確率を上げるために縄張りを構える。
ということはこの少女も同じような理由でここにいるのだろうか。
「その質問に答える前にこちらも聞きたい。貴女はなぜ人間の町に居る? 人間を食糧にしているということか?」
「違うな。他の獣連中は人間の肉でも平気で喰らうが、私は臭くて不味い人間の肉など喰わん。
私はこの人間の町が気に入っている。だからここに縄張りを構えた。人間達の作り出す道具や食べ物は複雑で多種多様な種類があり興味深い。人間達の行動や娯楽は長い時を生きる私にとって良い暇潰しになる。ここには私を脅かす者もいなかった。……貴様が入り込むまではな」
何となく凶悪な感じはしないと思ってはいたが、どうも自分と同じような理由でここに縄張りを構えたということのようだ。
となれば無理に争う理由は無い。
何とか穏便に収めたいが……。
とりあえず偽らず、素直に言う事にした。
「すまなかった。ここが貴女の領域とは知らなかったんだ。ただ用事で滞在しているだけで、それが終わればここを離れる」
「はっ。この町のいたるところにしっかりと、ここは私が身を置く縄張りだという匂いをつけていた。にも関わらず知らん顔で入り込んできたクセに、信じられるとでも?
騙し合いなど生きる上では当たり前の事。相手の油断を誘って襲い掛かるのは生きるものの常套手段ではないか。仮に本当だとしても、それだけの気配を放つ存在を気にせずにいられるほど私は危機感に疎く無い」
少女の言葉には警戒と敵意が滲み始めている。
王都に入って変な匂いなんて全く感じなかった。
そもそも獣じゃあるまいし、……いや今の自分は獣なのかもしれないが……、そんな事を気にしていない。
なので例え変な匂いを感じてもそのまま入ってきていただろう。
自身の生活に関わりの無い獣の習性を、他の生物が理解するのはなかなか難しい。
そうでなくても人間の特性が強い自分では、そんな事に気を留めるという発想が無かった。
しかし、今更何を言っても無駄だろう。
少女の態度を見るに、言い訳を聞いてやるとは言っていたが聞くだけで対処は変わらないということのようだ。
少女は更に疑問を口にする。
「……貴様は何者だ? 貴様からは人間とも、獣とも違う思考の匂いを感じる。……いや、少し違うな。人間と獣が入り混じっているような匂いだ。
私は貴様のような匂いのする生き物に出会ったことが無い。その強い気配から私と同類、幻獣の同胞かと思って数日様子を窺ってきたが、匂いからしてそれも違うな」
幻獣種……メリエが人間の手に負えない強大な存在と言っていた中に、その名前があった。
つまり今目の前にいる彼女がその幻獣種なのか。
会話を問題なくできるくらいの知性は備えているようだが、今までの言動から推察するにその思考や行動理念は獣に近いもののようだ。
意思疎通ができるとは言っても価値観の違いは如何ともしがたい。
「僕は縄張りに興味は無い。奪うつもりも無いし、貴女と争おうとも思わない。ただ少しの間滞在させてもらいたいだけだ」
「……口では何とでも言える。だが、私は私の管理する領域内に紛れ込んだ異分子を放置することはできない。貴様が何者であれ、私の縄張りを侵した報いは受けてもらわねばならん。太古の昔から縄張りを侵した者は力ずくで排除するのが慣わしだろう?」
やはり駄目か。
野生動物の縄張りに入り込んで「何もしないから襲わないで下さい」は通用しない。
縄張りを構えた生き物にとっては食糧を横取りされたり繁殖相手を奪われたりと、自分の生活を脅かされるということに他ならないからだ。
取り得る行動は無条件に降伏して縄張りを明け渡すか、そうでなければ攻撃して縄張りを守ろうとする。
「……しかし、私も不本意な闘争は望まない。だから、猶予をやろう」
「猶予?」
「ああ。……明日の日の出までにこの人間の町を離れろ。お前の言葉が真実なら、これで争う事無く場を納められるぞ?」
「待ってくれ。それでは時間が足りない」
「これ以上は譲歩しない。本来なら即刻叩き出してやりたいところを我慢してやるんだ。こちらが妥協し譲歩案を出してやった以上、そちらも妥協するのが筋というものだろう。
もし夜明けまでにこの町を離れなかった場合は、遠慮なくやらせてもらう。お前には人間の仲間がいたな? その時はお前の仲間の安全も保障はしない」
やはり二人のことも知られていたか。
この町に入ってからずっと監視されていたのだとしたら、それはもう仕方が無い。
アンナ達にまで手を出すと言うなら慎重に対応を考えなければならない。
「もしそれが不服なら夕方、日が沈み切る前にもう一度ここに来い。その時はお互いの望みを通すために、力で語ってやろう。言いたい事は私を打ち負かしてから言うんだな。弱者は強者に従うもの、そうしたら聞いてやらんこともない」
「! 待て!」
そう言うと少女の姿が透け、空気に溶けるように消えてしまった。
自分だけになった空間に可愛らしい涼やかな声だけが響く。
「……猶予は夜明けまで。それが嫌なら夕方。忘れるなよ……」
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