厄介な願い

 日は大分傾き、空が茜色に染まっていく時間帯に差し掛かる。

 シェリア達には仲間が明日にでも迎えに来るからということを知らせ、今夜はこのままここで休む事を提案した。

 三人ともそれに異を唱えることはなかった。


 移動するにしても夜間は危険だし、装備も服もまともなものが無い。

 シェリアなど未だに外套一枚羽織っている以外は裸で裸足だ。

 これで移動するのはさすがに無理があるだろう。


 アーティファクトなどの予備はあるのでそれを使って移動しようと思えば可能だが、それはまだ話すつもりはない。

 治療のために見せたアンナのアーティファクトや自分の正体については成り行き上仕方ないが、それ以外の物は黙っておいた方がいいだろう。


 暗くなる前に篝火を用意し、今夜は残っている保存食を使って簡単な食事を作ることにした。

 といってもアーティファクトでの調理はできないので殆どそのまま食べるだけ。

 アンナが篝火の上に鍋を置いて沸かした湯で、コーンスープのようなものを作ってくれた以外は味気ない保存食だけとなった。


 食事が終わり、辺りも真っ暗な闇に包まれた頃、あとは寝るだけとなったので寝る前に明日の事を少し話しておくことにする。


「今後の事なんですが、とりあえず僕達の仲間と合流したら一番近い交易都市ヒュルに送ろうと考えているんですけど、それでいいですか?」


「はい。それで大丈夫です。私達の連れも恐らくそこにいると思うので。……あの、お仲間というとやはり竜の?」


 シェリア達からすれば、仲間=竜と考えてしまうのも当然か。

 確かに人間同士の仲間意識と竜同士の仲間意識は違うだろうし、そう考えるのもおかしい事ではない。

 人間の時の感覚で、竜なのに人に紛れて生活している自分の感覚がおかしいということを忘れそうになる。


「ああ、いえ、仲間は普通の人間ですよ。変身しているのを知ってはいますけどね。今の所、自分以外で魔物や竜が変身しているのには出会ったことはありません」


「へぇー。クロさんは魔物が人間に化けていたらわかるんですか?」


「うーん。ある程度なら気配でわかるかもしれないけど、上手く隠れていたらわからないかなぁ。竜の姿に戻れば感覚も鋭敏にしたりできるからわかりやすくなるかもしれないけど」


 スイは変身能力や竜語魔法の方に興味があるようだ。

 シェリアの話に寄ると人間達の使う魔法にも姿を変えるものもあるそうなのだが、シェリア達は使えないらしい。


 ちなみにエルフであるシェリアやハーフであるスイ達は魔法への適正が高く、魔法も使えるらしいのだが、本職というわけではないのでそんなに気軽には使えないということだった。

 スイ達はこれから学校に通い、本格的に学んで魔術師としての技能を高めていくのだそうだ。

 その会話でこの世界の学校に少し興味が湧いたので、王都に行ったらちょっと見に行ってみるのもいいかもしれない。


 人間が魔法を使うには触媒となる指輪や杖が必要で、それらが無いと初歩の初歩と言われるような簡単な魔法でも気軽には使えないのだそうだ。

 言われて思い返してみると確かに魔術師見習いのコレットも木製の杖を持っていた。


 スイやレアは自分が古竜種だということを知ると、物語りに出てくるような古竜という存在や竜語魔法についてを色々と聞いてきたので、話しても大丈夫な表面的な部分だけだは食事などの時間の合間に話してあげた。


「へぇー……。あ、ごめんなさい。話が横道に……」


 横道に逸れだすと際限なく脱線していってしまうので、雑談も程々に軌道修正をする。


「そういえば走車に乗っていたと思われる騎士の一人は怪我を負っていたのでヒュルに運んでもらったんです。どこに運び込んだのかを仲間に確認しないといけないですね」


「! あの、走車には護衛の騎士が二人乗っていたはずなんですが」


「残念ながらもう一人は見つけた時には既に息絶えていました。運んでいる余裕が無かったので遺体はそのままにしてあります」


「そう、ですか……」


 やはり顔見知りの騎士だったようで、それを聞いた三人は篝火を見つめながら悲しそうに顔を曇らせた。

 さすがの星術でも死者を生き返らせることは不可能だ。

 心停止後すぐであれば心臓マッサージでもなんでも試すことはできるだろうが、さすがに死亡して時間が経ってしまったら何もすることはできない。


 悲しい気持ちを切り替える意味も含めて、この辺で雑談を切り上げ早くに休む事にする。

 今夜の見張りは状況が状況なので自分一人で行なう事にし、アンナも含め女性陣には休んでもらう事にした。

 今回は今までのようにアンナと一緒に警戒してくれるポロもいない。

 万が一アンナ一人の時に魔物やさっきの人間のような敵が襲ってきたら危険だからだ。


 レアとスイは互いに寄り添い合い、手を繋いで眠りについた。

 アンナも暫くは薪をくべたり、昇ってくる月を眺めたりしていたが、やがて眠気が来たのか荷物の入ったカバンを枕にして静かに寝息を立て始める。

 シェリアは眠ったレアとスイを微笑みを浮かべながら眺め、やがて一言断ってから横になった。


 皆が寝静まると月明かりの下で静かに座り、夜空を見上げながら周囲の気配を探る。

 今の所、時折小動物が大地を走るような幽かな音と風が荒野を吹き抜ける音が聞こえる他には、怪しい気配は何も感じない。


 窪みとなった野営地から空を見上げると、母上と暮らしていた山の頂の住処から見上げた空に似ていた。

 そこまで深く穴を掘ったわけではないのだが、丸く窪ませた野営地の底から空を見上げると、あの山の住処から丸く切り取られた夜空を見ながら眠りについた時のことを思い出す。


 思えばまだそんなに時間は経っていないはずなのに、随分と長い時間が過ぎたように感じてしまう。

 そう感じるのはこの世界を旅して色々な出来事を経験し、濃い時間を過ごしてきたという事なのだろう。


 母上は今頃何をしているのだろうか。

 同じようにこの星空と月を眺めているのだろうか。

 シェリアという母親に出会った事で、何となく母上の事を思い浮かべながら星空を横切っていく雲を眺めた。


 懐かしい住処のことや母上のことを虫の音を聞きながら考えていたが、やがて思考は他の事へと移っていく。

 今回のことで治癒の星術について色々な情報を得ることができたのは収穫だったが、新たな疑問が生まれた。

 それは病気の事だ。


 外傷についてはかなりのものまで治療できるのがわかったが、病気の場合はどうなのだろうか。

 竜は基本的に滅多な事では病気に罹らない。

 【竜憶】には古竜種でも罹患するような病気についての知識や記録もあったのだが、かなり珍しいもののようだった。


 古竜が病気になりにくいという理由もあって、治癒の術で病を治したという記録は殆ど残っていなかった。

 しかし、人間の体になっている自分や一緒に居るアンナやメリエは病気に罹る可能性もある。


 それを考えると近いうちに病気の治療も行なえるかどうかも調べておく方がいいような気がした。

 人間の多い町や村に行けば病に罹った人間もいるだろうから折を見て試してみることにしよう。


 あれやこれやと考え、月の位置が随分と動いた頃、人の動く気配を感じ取る。

 月と星空を見上げていた視線を窪みの中に戻すと、シェリアが体を起こしているところだった。

 何かあったのだろうかとシェリアを見つめていると、真剣な眼差しでこちらを見ながら小声で話し始めた。


「……クロさん。少し、お話したいことがあるのですが」


 眠っているアンナ達が起きないようにと、声の大きさに気を付けながら、そしてどこか躊躇いがちに言葉を紡ぐ。


「今でなければダメな事ですか? 明日でもいいならゆっくり休む事を勧めますけど」


「できれば、二人だけで話をさせて下さい」


「……わかりました。どうせ夜明けまで時間はありますしね」


 小さな声でも届くようにと座る場所をややシェリアの近くに移し、向かい合った。

 月明かりの下、外套一枚で座るシェリアの儚くも魅力的な姿にドキリとしたが、理性を総動員して見ないように努める。


「まずは、改めてお礼と、そして謝罪を。偉大な古竜である貴方様が私達のような人間のために御骨折り下さった事、心より感謝致します。そして、古竜様とは知らず無礼を働いたことをお許し下さい」


「あー、僕はそういうの気にしないので今まで通りでいいですよ。それから、あなた達のためというのは半分です。もう半分は自分のためにやったのでそこまで大げさに恩を感じる必要はありません」


「それは……?」


「まず、言葉遣いや態度についてですが、僕は自分を偉いとも、強いとも思っていません。だから普通に話しかけられたからといって気分が悪くなるということもありませんよ。まぁ悪口を言われたりすれば怒りますけどね。

 ……僕は古竜である自分もあなた達人間も同じ一つの生命として考えている。なので自分を崇高な存在だとは思いませんし、他者からも思って欲しくはないんです」


 これは竜になって様々なことを経験して得た価値観と人間だった頃の価値観とで生まれた、今の自分の考え方だ。

 力がある古竜も一つの生命であることを忘れてはならないと母上に言われたし、逆に個を尊重する人間も個である前に、一つの生命であることを忘れてはならないと思うのだ。

 だから自分に余計な崇敬は必要ない。


「あなた方人間が、我々のような存在を共通認識としてどう捉えているのかは、ある人から聞きました。強大な力を持ち人間を脅かす存在というのが多くの人の持っている魔物や竜というものの認識なんでしょう?

 まぁ大体は合っていると思いますし、それを考えれば機嫌を損ねるわけにはいかないという気持ちもわかります。ですが僕に関しては態度や言葉遣いで謝罪なんか必要ありませし、過剰な敬語や敬意とかも要りません。むしろむず痒くなるので今まで通りでお願いします」


 自分が変わっているという自覚はある。

 しかし一口に竜と言っても絵に描いたような凶暴な個体がいる一方で、自分のような人間臭い性格の者もいる。


 人間でも竜でもその性格は千差万別だ。

 母上のように人間以上に気高い精神や理性を備えた竜もいれば、逆に人間でありながら魔物よりも汚い欲望で動く者もいる。

 例え魔物であっても例外はいるはずだし、単純に姿形で分け隔てるのは性急だと自分は考えている。


 しかしこれは魔物であっても意思疎通を行なえる自分だから行き着く考え方だ。

 人間は無理だという事も理解している。


「そして感謝の言葉ですが、今回のことはこっちが勝手に言い出したことです。自分の都合やアンナの気持ちを想って動いただけですので、恩に着せようとも考えていませんから、気にしなくていいですよ」


 口に出すことは無かったが、今回は治癒の術がどこまでのものを癒せるのかを試したいという思惑もあった。

 必ずしもシェリア達のためだけに動いたわけではないというのは本当なのだ。


 シェリアの母親としての態度に敬意を持ったというのが半分、アンナの想いと治癒の術の限界を知るというので半分。

 言い方は悪いかもしれないが相手と自分の利害が一致したのだ。


「そう、ですか。わかりました。では今まで通り話させてもらいます。……何というか、我々よりも理性的なのですね」


「自分が変わっている竜だという自覚はあるので、僕がそうだから他の竜も同じだとは考えないで下さい。それで問題が起こっても責任は持ちませんから」


「ふふ。わかりました。……では、改めて自己紹介をさせて下さい」


「自己紹介?」


「私の名はシェリア・ヴェルウォード。ヴェルタ王国公爵シラル・ヴェルウォードの妻をしております」


「公爵……ですか」


 メリエが予想した通り、貴族だったようだ。

 しかも公爵というと貴族の中でも上位の身分だった気がする。

 自分の知っている貴族なんかの知識とこの国の身分制度が同じとは限らないので、もしかするともっと上の位があるのかもしれないが。


 こういう身分の人と相対した場合にはそれなりの言葉遣いなどをすべきなのかもしれないが、竜の自分には人間の国の身分なんか関係ない。

 だから高貴な身分だとわかっても対応を改めようとは思わなかった。

 人間だった頃は身分なんか殆ど関係の無い日本で暮らしていたということもあり、高貴な人間だからと言われても、『だから何?』という程度しか感じないのだ。


 それにアスィ村で貴族のヨハンを既に見ているので、物語に出てくるような貴族という存在にも、さほど珍しさは感じなくなっていた。


「あー。すいません。無礼な事かもしれませんけど、貴族とかって自分にはよくわからないので今まで通りでいいですか? 気に障るのならちょっとは言動を改める努力をしてもいいんですけど」


「あ、いえ。気にしなくて大丈夫です。ただ自分の素性を知らせようと考えただけで、作法を気にしてという事ではありません。むしろ私共の方が古竜様に対して無礼すぎるのではないかと考えているくらいです。しかし、私は気にしないのですけど今後も人間の町を訪れるとなると町中で貴族と出会った場合には咎められることがあるかもしれません」


「そうですね。心に留めておきます。あ、心配しなくても変な言いがかりをつけられたからって町を吹き飛ばしたりはしませんよ」


 『たぶん』と心の中で付け足しておくのを忘れない。


「助かります」


「で、話というのは?」


 まさかお礼に謝罪、そして自分の素性を知らせるだけで終わりではないだろう。

 それなら皆が起きている時に言えばいいだけだ。

 二人でする必要性も感じられない。


「……はい。クロさんのお力で、もう一人、毒に蝕まれた体を癒してもらいたい人間がいるのです。どうかお願いできないでしょうか?」


「んー。昼間も言いましたが自分のことを人に知られすぎるのは困るんですよね。僕は仲間と旅をしたいだけなので。できればこれ以上関わりを増やしたくないって言うのが本音なんですけど」


 下手に色々な人間を癒して回って、それが人に知られれば多くの同じような人間が自分に詰め掛けてくる事になりかねない。


 さっきまでの何かを考えている素振りは恐らくこのことだったのだろう。

 言いづらそうにしているところを見ると手前勝手な都合と願いとを考え、頼むべきか悩んでいたという事かもしれない。


「今までのお話から、そうした考えは十二分に理解しています。しかし、それでも、どうしてもお願いしたいのです」


 シェリアは真剣な瞳で、深く頭を下げた。

 その顔つきから並々ならぬ覚悟のようなものを感じる。

 そこまでの相手なのだろうか。


「さっきの自己紹介の流れから癒して欲しいという相手も身分の高い人間だろうというのは予想できますけど、どんな相手なんです? 家族の方ですか?」


「……名はセリスといいます……この国の、ヴェルタ王国の、王女です……」

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