アンナの想い

「……クロさん」


「ん?」


「……あの……レアさんの目を治してあげられませんか? ……森での、私の時みたいに……」


 この言葉を聞いて、シェリアとスイが驚いたような表情でこちらに振り返った。


「……治せるの? レアの目を治せるの!?」


「え!? あ、あの……その……」


 必死の形相でスイに詰め寄られ、アンナはまずいことを言ったと思ったのか、しどろもどろになる。

 そんな逸るスイをシェリアが押し留めようとする。


「スイ。落ち着きなさい」


「お姉ちゃん。いいの。私、みんながいてくれればこのままでも辛くないから」


「レアが良くても、私は良くない! 私は……どんな小さな可能性でも諦めたくない……。お願い、治せるなら……何でもするから……」


 アンナの腕を取って縋るスイをシェリアが優しく引き離した。

 スイは下を向いたまま悔しそうにポロポロと涙を零している。


「ごめんなさい。そして、優しいのですね。レアのことを気にかけてくれてありがとう」


 苦しそうな笑顔を作って礼を言うシェリアを見て、アンナは泣きそうな顔になった。

 アンナは自分と出会った時、死に至る毒で苦しんでいた。

 しかし運よく自分に出会ったことで助かることができた。

 助からない、治るはずのなかった自分の姿と、レアの姿を重ねているのかもしれない。


「お気持ちは嬉しいのだけれど、仮にあなた方が高位の魔術師だとしても、レアの目は治せないと思うわ」


 なぜ目にそれだけの怪我を負う事になったのか、初対面の人間がいきなり聞いていいものかと思い、なんとなく聞くのを躊躇っていたが、アンナがきっかけを作ってくれた。


 普通であれば、子供が顔の上半分を火傷するなんてことはあまりなさそうだが、この世界では火を吹く魔物だって居るのだ。

 何か地球では考えられない原因があるのかもしれない。

 やや申し訳無さそうに、目を伏せながら言うシェリアに気になっていた失明した原因を尋ねてみる。


「なぜレアさんはそのような怪我を?」


「……強い毒水がかかってしまったの。3ヶ月ほど前にね。教会の総本山から高位の治癒魔法の使い手を招いたり、商業ギルドを通じて薬を探したりしたんだけど……」


 毒水……皮膚が爛れているところを見ると強酸などの類だろうか。

 自分の知識ではそれくらいしか思い浮かばない。


 熱湯を被ったなどのただの火傷であるなら眼球まで傷ついているということは無いか、あっても軽度だろうと思ったが、毒水がかかったとなると恐らく目の中まで浸潤し、障害を負っているのだろう。


 自分は前に高空に行った際、凍傷を痕も残さずに治したことがある。

 火傷も同じように温度の変化で細胞や組織が破壊されている状態なので、癒しの星術を使えば火傷のような怪我なら癒すことができると思うが、時間が経って痕になっている場合はまた少し違ってくる。


 癒しの術は壊れた細胞を新しい健康な細胞と置き換えるイメージで術を行なっているので、火傷などの傷痕も消すことが可能だろうとは思う。

 しかし実際に時間の経った傷痕で試してみたわけではないので、絶対にできると断言はできなかった。


「……絶対とは言い切れませんけど、治療する事ができるかもしれません。そちらがいいと言うなら試してみますか?」


「え!?」


 星術の特性を考えながら顎に手を当てて口にしたこの言葉に、再度シェリアとスイが目を剥いた。

 レアも口を開けて驚きの表情を作っている。


「ただし、条件があります」


「……何でしょうか?」


 条件と聞いて、まずシェリアが苦い表情をつくり、そのすぐ後にスイも難しい表情になった。

 無理難題を条件として言われるのだろうかという疑念と、治せるかもしれないという淡い期待感が二人の瞳の中で揺れている。


「そんなに難しいことではありません。条件とは、どうやって治したのかや我々に関してを誰にも言わない事。これだけです」


 条件を提示されると二人とも呆気にとられた顔になった。

 予想していた内容とだいぶ違ったのだろう。

 その予想を裏付けるようにスイが言う。


「……え? それだけ? それだけでいいの? 教会の司祭みたいに法外な謝礼とかを要求されるのかと……」


「こっちが勝手にやろうと思ったことなので謝礼なんか要りません。でも絶対に治せるとは言い切れないんです。試したことが無いので。だからあまり期待されるのも困ります」


「……それでもいいよ! 約束は守るから、可能性が在るならお願いします!」


「……私からもお願いします。今日、出会ったばかりの方に……それも一度命を救ってもらった方に図々しいことかもしれませんが……」


「クロさん! ありがとうございます!」


「気にしないで下さい。アンナもね。こちらにも益があるので。ただし念を押しますが、吹聴しないという約束と過剰な期待はしないということは忘れないで下さいね」


 口には出さなかったがこれは好都合だ。

 今まで癒しの術がどこまでの怪我なら治せるのかを検証することができなかった。


 簡単な打撲や切り傷、手や足などであれば重傷でも治せるという事はわかっていたが、レアのように時間の経った火傷、再生の難しい重要な臓器や感覚器を完全に治癒できるのかどうかは試せていない。


 まさか手近な人間に重傷を負わせて実験台にするわけにもいかないし、自分がそんな怪我を負うのもまずい。

 町や村にはそうした怪我を負っている人間もいるのだろうが、見ず知らずの人間に対して無闇に星術を見せるわけにもいかない。


 まぁ試してみると言っても医療の臨床試験のように被験者に何かリスクがあるという訳でもないし、失敗してもそのままというだけだ。

 プラスになることはあってもマイナスになることはないので問題は無いだろう。


 問題が在るとすれば、それは星術に関しての事がこの三人に知られるということか。

 メリエが指摘した走車の件といい、見た感じや雰囲気といい、ただの平民ではなく割と身分の良い人間というのは何となく分かる。


 先程言っていた通り、経済的に裕福であるのならばレアの目の治療のために治癒魔法や薬など、ある程度は試したはずだ。

 今現在治せていないということは人間の使う魔法や薬、この世界の医療技術では時間の経った火傷や目などの治療は難しいか、少なくとも簡単には行なえないものだということは想像に難くない。


 もしそれを治すことができたとすれば、必ず疑念を持たれるだろう。

 この三人に悪意が無くしっかりと約束を守り、この件を黙っていてくれたとしても、レアの目が元通りになったということが周囲の人間に知られてしまうのは防げない。


 だが、今回はそうしたしがらみを抜きにして、治してあげたいと思ってしまった。

 子を慈しむ母上に似たシェリアの想いの一端に触れて。


 まだ自分に子はいないけれど、『恩を感じたなら自分の子に同じように愛情を注げ』と言った母上の言葉を思い出し、同じように子を想っているシェリアやレアの手助けになればと思ったのだ。


「アンナ、癒しのアーティファクトを」


「え? あ! はい」


 アンナは思い出したようにカバンから白いミトンに似たグローブ型のアーティファクトを取り出す。

 先程重傷を負った騎士に使ったものだ。

 本当なら自分が術を使うのが一番早く確実なのだろうが、まだ時間も十分にあるし、アーティファクトの方も試させて貰うことにしよう。


 レアの不幸を利用しているようで良心が咎めたのだが、この治療に関する情報を得るというのは自分達にとっても攻撃手段を研究するのと同等かそれ以上に重要なことだ。

 自分達がそうした怪我を負った場合に、治癒の術でどこまで対応ができるのかを把握しているかどうかというのは死活問題につながるからだ。


 簡単に試すことができない以上、こうした機会を逃すことはしてはならないと思った。

 優先順位で最も上位に来るのはあくまでも自分やアンナなどの安全だ。

 感情に流されてそれを履き違えてはならない。


 アンナに渡してある癒しのアーティファクトは自分で星術を使うほど強力ではないが、時間をかければ重傷でも治すことができそうだとわかったので、本当に治せるかどうかも試しておくことにした。

 この結果次第でアンナにどの程度までの怪我を任せることができるかが変わってくる。

 それは戦場で大きな違いを生む事になるだろう。


 半ば信じられないという顔をしているシェリアとスイに断り、レアの手を引いてアンナの傍に連れて行きアンナに膝枕をしてもらう。

 そのままアンナに癒しのグローブを嵌めてもらい、火傷のあるレアの目に当てて術を起動する。


 最初レアは何が始まるのかと若干不安そうにしていたが、ただ目の上に手を当てるだけだと言うと安心したようだった。

 そんなレアの手をスイが優しく握ってあげている。


「時間がかかるかもしれませんけど、少しこれで様子を見ましょう」


「あの……これは?」


「さっきも言いましたが、アーティファクトです。癒しの魔法が込められています。どれ程の時間がかかるかは僕にもわからないので、暫く待っていて下さい」


「!! まさか……治癒の術が込められたアーティファクトでもそこまでの怪我を治せるものは発見されていないはず……。我々エルフでも遥か昔に大怪我を治療するアーティファクトの作成は不可能とされたのに……一体どこで……?」


「それは教えられません。……これも含めて他言しないで下さいね」


「……そう、ですね。この子が治るのなら他に何も求めません。無論他言もいたしません」


 しつこいくらいに念を押しておく。

 こちらの手の内をホイホイと吹聴されるのは困るので、脅しの意味も込めてやや威圧しながら警告しておいた。

 アーティファクトの方に酷く驚いていたシェリアとは違い、スイはアンナに膝枕されるレアを心配そうに覗き込んでいる。


「レア……大丈夫? 痛くない?」


「うん。何とも無い。……なんだか手の置いてある場所がポカポカあったかいよ」


 日はだいぶ地平線に近付いてきてはいるが、まだ時間には余裕があるし、じっくりやっても大丈夫だろう。

 アンナは身じろぎ一つせず自分の使うアーティファクトに集中している。

 その真剣な表情からスイもシェリアも話しかけることなく、ただ黙って事の成り行きを見守っていた。


 アンナがアーティファクトを使い始めて20分くらいが経った頃、目に見える変化が現れ始めた。

 レアの顔の上半分を覆っていた痛々しい火傷の痕が徐々に小さくなっていったのだ。

 治療を始めた当初は、アンナが顔に当てた手の平から大きくはみ出していたのだが、やがてアンナの手で隠れるほどになり、最後には完全に無くなる。


 徐々に元通りの整った顔に戻っていくレアを見て、シェリアとスイは口を開けて固まっていた。

 当の本人であるレアは自分の状況がどうなっているのかわからず、特に何か反応するでもなく、アンナに頭を預けている。


「ど、どう? レア。何か感じる?」


「え? さっきまでと同じでポカポカあったかいままだよ」


 自分の皮膚が元に戻っていくというのは本人からすれば何かを感じるものではないようだ。

 疼痛などが出るかとも思ったがそんな事もないらしい。

 薬などで抑えていたのか、元々痛みがあるということも無さそうに見えたのでわからないのだろう。

 かかった毒水の成分が阻害要因として火傷部分に残っていたとしても、眠らされた薬を除去した時にかけた解毒の術でそれも消えているはずだ。


「信じられません……。火傷は高位の治癒魔法を使う人間でも完全に元通りには治せないのに……一体どれ程強力な治癒の魔法が込められているのでしょう……」


 シェリアもかなり時間がかかっていた事もあり疑い半分で治療の様子を窺っていたようで、本当に治っていくとは思っていなかったようだ。

 レアの顔から火傷の痕が完全に消えるのを目の当たりにして、呆けた表情で呟いていた。


 しかしその後、火傷の痕が消えてから更に30分ほど時間をかけて治療を続けたが、レアの目が開く様子は一向に無かった。

 治療のために膝枕を続けるアンナにも、手を握ってその時を今か今かと待つスイにも、そして祈るように手を組んでいたシェリアにも、段々と諦めの色が見え始めてくる。


「……クロさん……」


「やはり、これ以上は……」


「……」


 アンナが悔しそうに自分の方に視線を向けた。

 火傷が消えたときの喜び様は消え去り、シェリアやスイもこれはダメかと思い始めているようだった。

 スイが心配そうにレアに声をかける。


「……レア、目はどう?」


「ポカポカあったかい以外は、今までと同じかなぁ……」


 レア本人にも光が戻るという感じは無さそうだ。

 ……かなり時間をかけて治療を続けても変化が現れない以上、これで一つの結果が出たと思っていいだろう。


 アーティファクトに込めた癒しの星術では重要な臓器や感覚器の治癒は難しいか、不可能だということがわかった。

 つまり、戦闘中に誰かがそうした部位に傷を負った場合はアーティファクトでの治療ではなく、自分が直接癒しの星術をかける必要があるという事だ。


 これを知っているのといないのとでは、戦闘でのリスクが大きく変わってくる。

 防御の重要度や撤退のタイミングなどを判断するための貴重な情報となる。


「……アンナ、ありがとう。一度終わりにしていいよ」


「アンナさん。ありがとうございました」


「いえ、私は……」


 レアにお礼を言われたアンナだったが表情は晴れなかった。

 それはそうだろう。


 治してあげたいと思ったのは火傷の痕も勿論だが、一番は光を取り戻してあげることの方だったはずだ。

 森で命が消えかけていたアンナ自身と同じように、治ることのない目に、もう一度……と。


 今のアンナの想いは【伝想】を使わなくてもその表情から簡単に読み取れる。

 やはり、アンナにはそんな顔をせず、笑っていてもらいたいと思った。


 ちょっと過保護にしすぎかと思うこともあるのだが、やはりこの世界で古竜の自分という存在を認め、人と同じように接してくれた初めての人間だ。

 その境遇も相まって出来る限りのことをしてあげたいと思ってしまう。


 では、ここからは自分の出番だ。

 魔法やアーティファクトをも超越する、古竜の星術でレアの治療に当たる事にする。

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