温もり

「あ……?」


「あ、大丈夫ですか?」


「ここは……?」


 最初に目が覚めたのは、20台半ばくらいの年齢と思われる女性だった。

 やや垂れた目元と背中までありそうなふんわりとした銀髪がどこかおっとりとした雰囲気を漂わせ、淡い暗紅色の瞳の色と銀髪、そして透き通るような白い肌が先天性白皮症アルビノを思わせた。

 母性を感じさせるふくよかな体つきで、その女性らしい体を隠している物が外套一枚というのは正直な所、目のやり場に困る。


 まだ意識がはっきりしていないのか、眠そうな目で空を見上げてつぶやいている。

 アンナが傍に寄り添って意識が覚醒するのを待っていた。

 というかアンナは呼吸に合わせて外套を押し上げる豊満な胸元を凝視しているように見えた……。


 さすがに妙齢の女性が外套一枚のみで横たわっている傍に居るのは気が咎めるため、自分は窪みの外で座り込み、見張りをしつつ気配と声だけで様子を窺っていた。

 素性はわからなかったが武器などは何も無いし、落ち着くまではアンナに対応を任せてもいいだろう。


 じろじろ見ようものならアンナの目潰しが飛んでくるため、なるべく見ないように努力はしている。

 女性もまだ窪みの外側に居る自分には気付いていないようだった。


 メリエが戻ってくるまでは身動きもできないので、休む時間はたっぷりとある。

 暫くはここで三人の回復を待つことにし、メリエが戻ってきそうなところで街道の方に向かおうと思っている。


 交易都市ヒュルまでは大分近づいてたが、往復するとなると馬で急いでもまだ一日近くかかってしまう距離はある。

 メリエが到着するのは早くても明日の夜明けくらいではないかと予想している。


「……確か、走車で眠って……? 貴女は?」


 声をかけたアンナに気付き、やや億劫そうに顔を動かす。

 アンナは女性の横に座り、心配そうにその目を覗き込んでいた。


「私はアンナといいます。まずはお水をどうぞ」


 女性はゆっくりと体を起こし、アンナが事前に用意していた水入りカップを受け取り、おずおずと口をつけた。

 女性の反応を見たところ、どうも魔物に襲われた時のことは覚えていないようだ。

 オークに攫われる前には既に眠らされていたのだろうか。


「ありがとうございます……。えっと、どういうことなんでしょうか」


 状況がわかっていない女性に対してアンナがかいつまんで事情を説明する。

 魔物に襲われたらしい走車を発見した事、痕跡を追ったら三人が捕まっていた事、攫ったのは魔物ではなく人間らしいという事、その人間と魔物を退けて救助した事。


 女性はぼんやりとした表情で聞いていたが、徐々に意識がはっきりしてきたのか難しい表情を作りながらアンナの説明を聞いていた。

 最後まで話を聞き終わったところで周囲を見回し、横で寝息を立てている二人を安堵の表情で見つめる。


「そう……でしたか」


 女性は隣で眠る一人に手を伸ばし、愛おしそうにその頬を撫でた。

 その際に外套がハラリとずれ、その豊満な乳房が露わになる。

 その瞬間、鬼の形相をしたアンナがキッとこちらに鋭い視線を向けたのだが、間一髪で顔を逸らし、『自分は何も見ていません』を装う事に成功した。


 危なかった。

 もし見てしまったことがアンナにバレれば、またあの恐ろしいお説教か折檻が待っていたことだろう。

 女性は何かを考え込むように暫く黙り込み、思い出したようにアンナに向き直った。


「ありがとうございます。このお礼はいずれ。……ええっと、どうしてこんな格好に?」


 ずり落ちた外套を羽織直すと、アンナに向き直ってお礼の言葉を述べる。

 次に自分の状態に疑問を持ったようだ。

 当然といえば当然か。

 目が覚めたら素っ裸でしたというのはある意味ショックなことだろう。


「すいません。助ける過程で服をダメにしてしまったので、代わりに……」


「そうでしたか。いえ、謝らないで下さい。無事助けてもらえたというだけで十分です」


「……ん……あれ?」


 話し声で目覚めたのか、隣で眠っていた少女の一人も意識を取り戻した。

 ムクリと起き上がると目を擦りながら周囲を見回している。

 アンナは何事だというような顔をしている少女にも同じように水入りカップを手渡した。

 女性は起きたばかりの少女の意識がはっきりするのを待って、事情を説明した。


「ほら、あなたも御礼を言いなさい」


「あ、うん。助けてくれてありがとうございます」


「困った時はお互い様です。気にしないで下さい。それと魔物から助け出してくれたのはそこにいるクロさんですから」


 いつまでも気付く様子の無い二人に、アンナが気を使って水を向けてくれた。

 アンナが視線を向けたことでようやく窪みの外に座る自分に気がつき、女性と少女が自分の方に視線を向ける。


 少女の方はアンナの時と同じように御礼を述べてくれたのだが、自分と目が合った女性は何やら不思議なものを見るような、訝しげな表情でこちらを見ている。

 アルデルのギルドマスターの部屋でナタリアさんが自分に変な視線を向けていたが、耳が似ているせいかそれを思い出してしまった。


 【転身】で何かミスでもしたのだろうかと何となく体を見てみたが、ちゃんと人間の体である。

 ということはこのみすぼらしい感じに見える服のせいだろうか。

 意味ありげな視線を向けたまま言葉も無く見つめてくる女性に対し、とりあえず自己紹介をしておこうということで口を開いた。


「クロです。アンナと旅をしています」


「……え! あ。すいません。自己紹介がまだでした。私はシェリアといいます。この子がスイ、そっちのまだ寝ている子がレアです」


 女性は男の自分が近くにいるということを自覚したのか、割と無防備に羽織っていた外套の端を押さえ、体をしっかりと隠した。

 女性の自己紹介に続き、先に目覚めた少女も自己紹介をする。


「スイです。改めて、助けてくれてありがとうございます」


 スイと名乗った子がやや恥ずかしそうにアンナと自分に頭を下げて自己紹介をする。

 アンナは再度、よろしくねと言いながら笑顔で返した。

 スイは自己紹介を終えると、まだ眠っているレアに寄り添って髪を撫でた。

 包帯が無くなり、痛々しい傷跡を晒すレアの寝顔を悲しそうな目で見つめている。


「……えっと、三人は姉妹なんですか?」


「あ、私はこの子達の母です。見た目でわかるかもしれませんが私は『杜人もりびと』。この子達はハーフです」


「母!?」


 似ていると思ったのは姉妹ではなく親子だからかのようだ。

 しかし、どう見ても二児の母には見えない若さだ。

 スイ達はアンナと同じくらいの歳に見えるので大体13~15くらいの年齢だろう。

 それに対してシェリアさんは25~27歳くらいに見える。


 もし見た目通りの年齢だとすれば、10歳ちょっとで出産したという事になる。

 若く見えるという種族特性でもあるのだろうか。

 アンナも自分と同じように思ったのか随分と驚いた声を上げた。


「あ、すいません。お若く見えたので驚いちゃって……あの、杜人というのは?」


「ふふ、ありがとうございます。そうですね。一般的に知られているエルフや妖精種といった方が馴染み深いでしょうか。普通の人間種に比べて若く見えるのは種族の違いからかもしれません」


 おお、予想通りあの有名なエルフさんだったようだ。

 ナタリアさんの時はこっちの勝手な想像だったが、改めてそうだと言われるとちょっと感慨深いものがあった。


 色々な物語で登場するエルフは見目麗しく、長命な種族として描かれている場合が多い。

 寿命までは見た目ではわからないが、若く見えるという点を考えるとこの世界のエルフも長命なのかもしれない。

 そんなことを窪みの外でぼんやり考えていると、シェリアと名乗った女性が疑問を投げかけた。


「あの、私からも質問していいでしょうか?」


「え? あ、はい」


 シェリアは何を聞かれるのかと神妙な顔をするアンナではなく、自分に視線を向けて質問を口にした。


「不躾で失礼かもしれませんが、貴方は……何者ですか?」


 一瞬聞かれた意味がよくわからなかった。

 受け取り方によって色々と答えが変わる質問だ。

 意図が読めず答えに窮していると、シェリアが言葉を続ける。


「私には……貴方が姿を偽っているように、人間ではないように見えます」


 この言葉で理解した。

 シェリアは自分が人間種ではないのではないか? ということを問い質しているのだ。


「……どうしてそう思うんです?」


「私たちの種族は、稀に『真実の瞳』という固有能力を先天的に持って生まれることがあります。私もその能力を保有しているんです。

 この能力はいつでも自由に使えるというものではありませんが、偽りに対して直感力というものが働くことがあるんです。『何か違う』と。貴方を見た瞬間、その姿にもそれを感じたのです」


「……」


 これは困った。

 正体を看破するとまではいかないようだが、変身しているということを見破ることができる能力をもっているらしい。

 偽りに対して違和感を持つという事は、星術で精巧に変身していたとしても誤魔化しはできないということだ。


 もしかして、アルデルのギルドマスターの部屋でナタリアさんがこちらを訝しげな目で見ていたのは、シェリアと同じように自分の姿に違和感を感じていたからだろうか。


「……気に障ったのならお許し下さい。恩人に対しての言葉ではないかもしれません。ですが、どうしても気になったのです。貴方から感じるそれは、魔物に近い気がして……」


「っ!! それは……!」


 眠るレアを撫でるスイもシェリアの言葉に驚き、振り返った。

 この言葉にアンナが怒りの表情を作って抗議しようとしたが、それを制止する。

 自分のことを家族のように思ってくれているアンナには、自分が魔物呼ばわりされることが我慢できないのだろう。


「アンナ、大丈夫だから。落ち着いて。……確かに、僕は姿を変えています。でも正体を言うのは問題の種になるので勘弁してもらえませんか?」


 嘘を見抜くということで下手な言い訳はせずに、自分の現状を言うことにした。

 アンナは納得していない様子だったが、魔物が化けているかもしれないと感じるなら安全のためにも確認したくなるのは当然だ。

 シェリアは暫く黙って赤みがかった瞳でこちらを見つめていたが、ふっと視線を下げた。


「申し訳在りません。そちらの事情も考えず質問してしまいました。お許し下さい。……ですが、一つだけ教えてもらえないでしょうか」


「……何でしょう?」


「人間種に擬態できる生物はたくさん居ると聞きます。が、貴方のように人と同じように言葉を交わすことができる生物は多くありません。そしてそのように人間に姿を変えることができ、意思疎通を行えるほどに知能の高い生物は、総じて人には抗えないような強大な力を持っているといいます。……貴方はどうしてこの地を訪れたのですか?」


 こちらの機嫌を伺っているのか、言葉を選びながら問いかける。

 どうしてここに? と聞いてはいるが、シェリアの目には『人を滅ぼしにきたのか?』という不安の色が窺えた。


 別にそんなつもりは無い。

 自分はただこの世界を見てみたいという動機で旅をしているだけだ。

 今はメリエの母親を探すための手助けをするという目的があるが、別に人間を害そうとはこれっぽっちも考えていない。

 ……今のところは。


「……そうですね。ただこの世界の色々な事に興味があるだけです。だから色々なものを見てみようと思って旅をしています。別に貴方が心配するような人間を害そうとかは思っていません。まぁ手を出してくるのなら別ですけど」


 この答えを聞いて、シェリアはほっと安堵の息を吐いた。

 シェリアに自分がどういう存在と思われているのかはわからないが、害意があるというわけではないことは伝わっただろうか。


「こちらからも聞きたいんですが、どうして攫われるような状況に? 何か心当たりはあるんですか?」


 この質問にシェリアは考え込んだ。

 暫く黙って俯いていたが、顔を上げる。


「申し訳在りません。込み入った事情があり詳しく説明することができないのです。言えるのはアルデルの町に向かう途中、走車の中で眠くなり、気付いたらこの状況だったということしか……」


「そうですか……」


 どうしてアルデルに向かうのか、狙われる心当たりがあるのか、あの二人組みはどういう関係なのかなど要点となる部分については答えられないようだ。

 いきなり見ず知らずの人間にあれこれ言う事ができないのは自分も彼女達も同じということか。

 こちらも隠している部分があるし、お互い様ということにしておく。


 それに下手に首を突っ込んで厄介ごとに巻き込まれ、アンナやメリエを危険に晒すのは避けたいところだ。

 一応町の衛兵のところまで無事に送り届けるくらいはしてあげようとは思っているが、詳しい状況を知られたくないようだしそれ以上は踏み込まない方がいいだろう。

 そんなやり取りをしていると、まだ眠ったままだったレアが目を覚ました。


「お母さん? お姉ちゃん?」


「レア! 大丈夫?! みんなここにいるよ」


 レアの手を握り、安心させようと声をかけるスイ。

 レアはゆっくりと体を起こして、スイに水入りのカップを口に運んでもらっていた。

 やはり目が見えていないようで、体は起こしたが目を開くことは無かった。


 ちなみにスイはアンナの旅着の予備を、レアは街着の白いワンピースを着ている。

 白いワンピースが目の見えないレアに儚げな印象を与えていた。


「お姉ちゃん、ありがとう……」


「レア、どこも痛くない?」


「うん。平気だよ。お母さんは?」


「ここにいますよ。レア」


 ……何だろう……。

 シェリアのレア達に対する言動から、なんだか懐かしさのようなものを感じる。

 眼差し、仕草、声の調子……。

 初対面である人間から懐かしいという感じを受けるのはどこか不思議な感じがしたが、すぐに思い当たった。


 これは、この感じは、母上から感じていたものだ。

 母上が自分に向けてくれていた、あの温かさのある言動に似ているのだ。

 厳しい事を言う時も、温かい眼差しで自分を見てくれていた母上と。


 そんな風に母上のことを思い出したからか、シェリアの姿を見たからかわからないが、ふと母上の言葉が脳裏を過ぎった。

 母は無条件に子を慈しむものだという、巣立ちの前に言っていた母上の言葉。


 シェリアさんからは母上と同じように、子を想い、慈しむ親の優しさのようなものが伝わってくるのだ。

 それを母上の自分に向けてくれた想いと重ねて、懐かしく感じたのかもしれない。


 ふと、視線をアンナに向ける。

 目が見えず周囲の状況がわからないレアを安心させようと、手を握りながらなるべく穏やかな声で簡単に状況を説明するシェリアとスイを、アンナは少し気の毒そうな表情で見つめていた。

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