竜に挑む者
「なぁ。4番さんよ。このままおっぱじめたらせっかく捕まえた標的まで殺っちまいそうなんだが」
「おやおや、それは困りますね。指令では捕獲だけ。何れ消すことになるのでしょうが、今はまだその時ではない。下手をするとこちらの首が飛びますよ? 文字通りの意味で」
「だよな。どうすっかね」
「仕方在りません。オーク共は押さえておいて下さい。私が始末しましょう」
「おいおい。一人でやんのか? 狭い穴の中で自由に動けないとはいえ、竜騎士だぞ?」
「ほっほ。老いさらばえた老骨の身なれど、かつてはそれなりだった自負はあります。地の利もありますし、幼体の飛竜なら問題ないでしょう。ではここは一つ、僭越ながら飛竜戦の要をご指導いたしましょうか」
「おっかないねぇ。じゃあ任せるとしますか。オークキング! 仕事だぞ」
女がそう言うと背後から他のオークよりも二周りは大きいオークが無言で進み出てくる。
そいつが吠え声とも唸り声ともつかない声を出すと、それを聞いた周囲のオーク達が動き出した。
ある者は部屋を出て行き、ある者は斧や棍棒などの武器を構えて逃がすまいと包囲を密にする。
この女がオーク共を操っているのかと思ったがそうではなく、使役しているオークキングという魔物が周囲のオークを取りまとめている様だ。
そして気付く。
(……首輪……クマのに似てる……)
あのアルデル近郊の森で遭遇した生き物とは思えない様子のクマがつけていた黒い首輪とそっくりなものをオークキングと呼ばれた大きなオークが付けている。
そして生き物としての気配を感じないという点も同じだった。
周囲のオーク達が放つ興奮した雰囲気に対して、オークキングと呼ばれた魔物は何の気配も発してない。
獲物を前にした興奮に満ちるこの部屋に、そこだけ不気味な空白があるようだった。
もしかして、この女があのクマも使役していたのだろうか。
「(アンナ、状況から考えるとこの二人がオークを使ってそこの縛られた三人を攫ったみたいだ)」
「(!! ……どうしますか?)」
「(あの二人の目的もどういう理由でこうなっているのかもわからないけど、縛られている人を放ってはおけないし、あの二人は僕達を殺そうとしている。だから敵だ。アンナは防壁を張りながら縛られた三人を僕の近くで守ってて。僕の近くじゃないとこれから使う術に巻き込んじゃうから絶対に離れちゃダメだよ。大きな術で全部まとめて黙らせるから、そうしたらさっさと脱出しよう)」
「(は、はい!)」
アンナに渡してある防壁を作り出すアーティファクトは、装備している本人にしか効果を発揮しない。
襲ってくるオークや自分が発動する星術から縛られた三人を保護するには自分が守らなければならない。
しかし今はその三人に気を取られている余裕はあまりない。
アンナは指示を聞くと、すぐに三人を身体強化のアーティファクトを使って動かしていく。
アンナの腕力でも身体強化をすれば人間くらいなら苦も無く運べるはずだ。
それを見咎めた執事風の男が言う。
「おやおや。他人の心配ですか? まだ年若いようですがその精神は立派。ですが、残念ながら無駄な行為と言わざるを得ませんね」
そう言うと一歩、静かにこちらに歩み寄ってくる。
アンナに手出しをさせないようにアンナと男の間に体を割り込ませ、視線を遮る。
この狭い小部屋の中で格闘戦になると不利になるのはこちらだ。
方向転換するだけでも支柱や天井を気にしなければならないため、アンナを狙われればかなり状況が悪くなる。
「……さすがは竜種……敵に囲まれ自由に動けないこのような不利な状況にあっても、仲間と認めた者に対してのその振る舞い。ただの人間よりも気高く、義理堅いその精神。感服致します。
宜しい。まずは障害の排除とゆきましょう」
朗らかで温和そうな笑顔のままだが、その辺の雑草を刈り取るが如く相手の命を奪おうという殺意が込められた瞳がこちらを射抜くように向けられる。
その気になればあの人の良さそうな笑顔のまま標的の心臓に武器を突き立てると容易く想像できてしまう。そんな瞳だ。
「最高位の討伐ランクと一個の生命として完成されたその強靭な肉体から、多くの人間が畏怖を抱く飛竜。
ですが、大型の飛竜ならまだしも、このような幼体ならば対処法がわかっていて十分な鍛錬を積んでいれば仕留めるのはさほど難しくはありません。飛竜を
一歩ずつ、静かに歩み寄る男に意識を向けながらも、縛られた人を動かすアンナと周囲のオーク、そして背後でオークを従えている女にも注意を払っておく。
「飛竜で最も厄介なのはその飛行能力と群で行動する習性。ブレスも脅威ではありますが、射程や攻撃前の溜めを考慮すると避けるのは難しくない。このような狭い空間では自身をも傷付けるため使えないでしょうしね。
そのため開けた場所で多勢を相手に戦うは愚の骨頂。まずはその移動能力を封じ、孤立させることが肝要。ここは飛ぶことはおろか、自由に動くこともままならない。こうした場所で一対一なら少し強い疾竜とさして変わらない。そして第二に、武器を吟味する。強固な竜の鱗を凌駕するだけの武器や魔法が用意できない場合、下手な剣などは悪手。選ぶ武器は毒を仕込んだ
「へぇ。そんなんで仕掛けるとか、自殺行為かと思ったけど、そんな意味があるんだな」
「ほっほ。まぁ並みの人間では難しいでしょうがね。そして第三に、相手を知り、相手の膂力を封殺する速さや体術を身につけること。竜に力で勝負を挑むのは分が悪すぎる。しかし如何な竜の爪や牙も当たらなければ脅威足り得ない。そして例え小さな針でも、的確に急所を狙えば巨大な竜を仕留める事も可能」
「簡単に言うんじゃないよ……。誰も彼もがお宅みたいに竜とサシで
「それはその人間の鍛錬不足でしょう。なに。20年も未開地の深奥に篭って鍛錬に励めば誰でもできますよ」
「はぁ? それなりに場数を踏んだ手練でも、未開地の深部じゃ半年生き延びるのも無理だっての。まったく、参考にならない話だな」
「ほっほ。では講義はここまで。実演とゆきましょう」
そう言うや否や、動きにくいスーツのような服を着ているとは思えないほど素早くこちらに接近してくる。
以前コタレ近くで襲ってきたあの男ほどの速度ではなく、目でも追えているが、薄暗い洞窟の小部屋の中、まるで地面を滑ってくる影のような捉えどころの無い不気味な動きだった。
構えているのは両手に持つアイスピックのような武器。
竜の鱗を貫けるような武器には見えないが、それでも攻撃しようとしてくるということは何か仕込んでいるか、さっき話していたように目などの急所を狙うということなのだろう。
例え弱そうな攻撃であっても無闇に受けるのはまずいと学んだ。
毒や魔法の付与された武器ということも有り得るし、見た目にはわからない自分の知らない攻撃手段があるのかもしれない。
しかしアンナや倒れた三人が自分の傍にいる手前、避けるわけには行かない。
なので、防壁で受け止めるしかない。
老執事の攻撃は見た目の年齢にそぐわないほどに早い。
だが、星術の発動速度には到底及ばない。
余裕を持って不可視の防壁の術を展開する。
竜の姿で使う星術はアーティファクトや人間の姿で使う術とは比べ物にならない強度がある。
ガキン! という衝撃音と共に突き出してきた攻撃を受け止める。
やはり防壁はびくともしていない。
しかし、ここでまた問題が発生することになる。
「!!? これは!?」
防壁に攻撃を弾かれたことで、老執事が初めて笑みを消し、驚愕の表情を作る。
老執事はバックステップで距離を取ると、魔物の壁にまで後退した。
こちらは特に追うことも無く、その場に留まったままだ。
そう。
問題とは星術を使えるということがばれてしまうということだ。
だが、今回はそれでもいい。
向こうがこちらを逃がす気は無いのと同じように、こちらもあの二人を生かしておくつもりは無い。
こちらを獲物として攻撃してきた以上、あの森のハンター共と同様に対応するだけだ。
「!! こいつはまさか……噂に聞く竜語魔法か!? こりゃあたまげた。とんでもないものが出てきやがったもんだぜ」
「これは予想外。ですが、古竜とは言ってもまだ幼体。そして地の利もこちらにある。周囲に守るべき者がいる上、この狭い場所では高威力の竜語魔法も難しいでしょう」
「予定変更、私もやるぜ。……全く、〝影〟二人が共闘なんて前代未聞だな。だが相手が相手だ、遠慮しないぜ。下僕の魔物共も、出し惜しみは無しだ」
女がそう言うと部屋の天井から液体状の魔物が染み出し、女の足元の岩が隆起し人型になるとゴーレムのような岩の魔物となり、小部屋の入り口からオークよりも一回り大きいデーモンのような羽の生えた牛の魔物が現れる。
その牛の魔物に続くように小部屋の入り口から今までに見たことも無い魔物が入ってくる。
中には目を背けたくなるような見た目をした肉の塊のようなもの、植物が動いているような魔物、文字通り怪物というような見た目の魔物もいた。
元からいたオークも含めると、このテニスコート二面分くらいの広さの部屋に百を超える魔物が
どの魔物も相手が古竜種であるとわかっても攻撃の意思を消す事はなかった。
「これはこれは。また腕を上げましたな。7クラスもさることながら、8クラスの魔物もかなり増えているようだ」
「まぁ飛竜や古竜を相手にするにゃ、ちょいと粒が小さいがな。そこは特殊能力と手数でカバーだ。先鋒は任せるぜ。古竜なんてバケモン相手じゃ、こいつらだと援護が関の山だ」
「十分です。集中できないという状況下はかなり有利に働きますからね」
対峙する二人も臆することなく戦う姿勢を見せる。
あの森に来たハンター共とは違うようだ。
確かにこの狭い空間でアンナや縛られた人間を守りつつ、あの数の魔物と手練の二人を同時に相手にするのは生半可なことではないだろう。
───普通の飛竜ならば。
向こうが地の利を得ていると思っているのは、大きな勘違いだ。
この狭く、閉じた空間であることに利があるのは、何も対峙する人間だけではない。
相手を逃がす心配のないこの場所は、自分にとっても好都合。
それに古竜種には星術の他にも飛竜などには無い戦い方がある。
動きの制限されるこうした狭い場所で疾竜と同程度になってしまうようでは、個として追随を許さない強さなどにはならない。
しかし、今回はこちらの都合で星術の実験も兼ねている。
術無しで圧倒してやるのもいいが、ここは我慢する事にした。
確かに老執事の言うとおり、周囲を巻き込む攻性の星術をここで使用するのはまずい。
アンナや捕まった人間まで死なせてしまっては本末転倒もいいところだ。
だが、こちらもそこまで間抜けではない。
今回はそれも見越して術を選んでいる。
穴に入る前に準備していた星術を起動し、星素を操作する。
実験開始だ。
……こんな時、物語に出てくるような竜ならば人間に何と言うだろうか。
場違いにもそんな事を考え、ふと思い出した、母上に言われた言葉が口をついて出た。
「───力に驕ってはならない」
これを聞いた人間達は目を丸くする。
どうしてこんな言葉が出たのか、自分でもよくわからなかった。
この二人への警告か、はたまた強大な術を使おうとする自分への戒めか。
「! ……人語を解するとは……これは余計な講義などすべきではなかったかもしれませんね。伝承の通り、幻獣と同等かそれ以上の高い知能。
ですが、その言葉は貴殿にそのままお返ししましょう。如何に堅牢無比な竜鱗と言えど、関節の稼動域には隙間もできるというもの」
老執事は急激に接近すると、防壁の内側まで一息に入り込んできた。
身体強化した自分ならば問題なく対処できるところだが、今はあえて動かず、無視を決め込む。
この防壁の術は、攻撃や衝突など自身に危害が及ぶ場合に対しては強固な壁となるが、ただ接近してくるだけの場合は素通りしてしまう。
だからアンナには防壁の他に、接近されても大丈夫なように電撃カウンターのアーティファクトを渡しているのだ。
「ほっほ。予想通り、害意無く近づけばシールドの魔法を無効化できるようですね。
やはり強大な竜語魔法といえど、その基礎となる理論は我々の扱う魔法と同じ。貴方の言葉通り、その力に驕った油断が命取りです」
老執事はそう言いながらアイスピックのような武器をこちらの首の稼動部めがけて突き出してくる。
その攻撃で生まれるであろうこちらの隙を逃すまいと、背後に控えた女が魔物共をすでに
油断?
油断なんかしていない。
母上に言われた事。
『力に溺れてはならない』という言葉を今までに忘れた事はない。
攻撃を避けようとせず油断しているように見えたのは、単純にそっちが優位だと勘違いした結果に過ぎない。
既に星術は発動している。
迫ってくる老執事の武器の切っ先。
全周囲から唸り声を上げて押し寄せる魔物共。
その背後に控え嫌な笑みを浮かべる女。
縛られた三人を運び終えたが、迫るオークに怯えて自分にしがみ付くアンナ。
全てをただ静かに見つめ、その時を待った。
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