穴の底

「なんだぁ!?」


 ドシンという地響きと共に小部屋に下り立って最初に聞こえたのは、やや低い声音をした女性の驚きの声だった。

 声の方に視線を向けると、酒瓶を片手に持った30代くらいで褐色肌のワイルドな風貌をした女性が、だらしなく椅子に腰掛けてこちらを凝視していた。


 気にはなったが何よりもまず状況確認が先ということで、部屋全体をくまなく見回す。

 部屋はかなり広く、テニスコート二面分くらいはありそうだった。

 ゴツゴツとした岩や石、土の壁や床で床には何かの食べカスやゴミなどが落ちており不衛生極まりない。

 所々に崩落しないようにするための支柱があり、それが一層狭苦しさというか圧迫感のようなものを際立たせている。


 光を発している鉱物のようなものが入ったランタンのような照明が取り付けられてはいたが、部屋の広さに対して光源も光量も少なくかなり薄暗い。

 天井は低く、4mも無いため、竜の姿だとだいぶ狭く感じる。

 柱もあるし思い通り動き回ることはできないだろう。


(これは……どういう状況なんだ?)


 予想通り部屋の中はオークで溢れており、嫌な獣臭に満ちているが、自分が開けた直通の竪穴から新鮮な空気が入ってきているのでいくらかマシになっていた。

 降りてきた際に何匹かのオークを踏みつけてしまったようで、自分の足元に土砂に混じって転がっている。


 しかし、感じ取っていた人間の様子を確認した所で、魔物に襲われただけという単純な状況ではないことに気付く。

 攫われたと思われていた人間はこちらが索敵の術で感知した通り、五人とも下り立った部屋にいた。

 五人のうちの三人は予想通りで、捕まって縄でがんじがらめにされ岩と土の床に転がっている。

 縄はかなり雑に巻かれていて、結び目も適当なのでオークがやったのだろう。


 問題なのは残りの二人だった。

 まず一人目はさっき自分が突然入ってきた時に声を上げたワイルドな冒険者のような見た目の女性。

 そして二人目は、その女性の隣に給仕に使用するサーバーを持って立っている男性だ。


 男性は老年に差し掛かるかといったくらいの見た目で、ピシリとしたスーツのような服を着込み、白髪をオールバックにして鼻の下にカイゼル髭を生やした、所謂いわゆる老執事といった見た目だった。


 温和そうな表情で女性の隣に立つ姿は、このオークの巣穴ではとても場違いで、どこか飄々とした雰囲気も相まって異様な違和感を醸し出している。

 そしてそれ以上に違和感を感じさせるのは魔物達の様子だ。


 メリエが言っていたように縄張りに入り込んだ異物に対し、激昂して問答無用に襲い掛かるといったことはなく、こちらを見つつもただ立っているだけだ。

 竜の自分を警戒しているのかとも思ったが、オークの表情や視線にそうした雰囲気は感じられない。

 大人しく指示を待っている子供のように思えた。


 背中にいるアンナも状況が理解できないようで、どうすればいいのかわからないといった様子だった。

 意気込んで助けに来たのはいいが、思っていたのと大分違うため戸惑っているのだろう。


 突然天井を突き破って現れた自分とアンナに驚き固まっていたワイルドな女性も、こちらが状況を確認し終わる頃には鋭い視線を向けこちらを警戒するように見ていた。

 そんな警戒感でピリピリとした空気を感じ取り、自分も身構えて相手の動向を窺う。

 どう見ても魔物に捕まっているという感じではない。


「オイ。もういいよ。ありがとな、4番さんよ」


 そう言うと女性は酒瓶を老執事の持つサーバーに置き、椅子から立ち上がる。

 老執事の方は受け取った酒瓶を壁近くの床に置くと、サーバーを背中にしまった。


「ご満足いただけたのなら何よりです。ただ、お飲み物をお注ぎするグラスが無いのが、残念でなりません」


「相変わらずよくわからない趣味してるな……。しっかし、こんな獣臭い穴の中でじゃなかったら、もっといい気分になれたんだろうけどな」


「よく言われます。ですが、私はこうしたことが好きでして。まぁこの場所に関しては用意したのはそちらですし、我慢していただく他ありません」


「ハイハイ。んじゃま、仕事といきますか」


「そうですな。見たところ竜騎士のようですが……」


「愚鈍な穏健派の連中にしては手が早いな。それに、竜騎士を派遣できる程騎士団と繋がりが深いということもなかったはずだが、それだけこいつらを重要視してるってことか」


「それはどうでしょう? 私は騎士団に所属している七人の竜騎士全てを存じ上げていますが、彼女は見たことがありません」


「んあ? ってことは騎士団以外のどっかが派遣してきた竜騎士ってことか?」


「もしくは、まだ囲われていない者でしょうかね」


 素性のわからない二人を無言で見つめていると、なにやら二人で話を進めている。

 どういう状況かはわからないままだったが、まずは囚われている人間達の状態を確認することにした。


 床に転がされているのは三人とも女性だった。

 薄暗い中なので顔はよくわからないが三人とも身形が良く、一人は20代後半、二人は10代前半くらいだろうか。

 気絶しているのか眠らされているのかわからないが、三人とも意識は無く、ぐったりと横たわっている。


 見たところ命に関るような怪我は見当たらない。

 が、10歳くらいの一人は頭と目に包帯を巻いている。

 包帯に血が滲んだりはしていないので大怪我ということはなさそうだった。


 この状況下で三人を一度に地上に運ぶのは中々骨が折れそうだ。

 今は何もする様子を見せないオークも、逃げようとする獲物の準備が整うまで待っていてくれることはないだろう。

 それに周囲のオーク以上に隙の無い視線でこちらを捉えているあの二人がそうさせてくれるとは思えなかった。


「……あなた達は……」


 アンナが怪しげな二人に対して何かを言おうとしたが、それを遮る。


「(アンナ待って。まず縛られている三人をお願い。メリエが言った通り、ただ魔物に襲われただけってわけじゃなさそうだ)」


「(え?! あ、はい。わかりました)」


 アンナに指示を出すと、こちらは正体不明の二人に瞳を向けた。

 コタレの村到着前に襲ってきたドアと呼ばれていた男ほどではないか、この二人も只ならぬ気配を出している。

 そこらのチンピラなどとは違う、もっと暗く、血でベタ付くような雰囲気だ。


「ふむ……。どこか状況がわかっていない様子……。穏健派の連中が寄越した者では無いということですかね」


 老執事は倒れた三人に駆け寄るアンナを見ながらつぶやく。

 断片的にしかわからないが、この二人の会話からオークが自主的に攫ってきたというわけではなく、こいつらが今の状況を作り出しているように思えた。


 現に今もオーク達は何かをするでもなく周囲を取り囲んで壁を作っているだけだ。

 繁殖目的や食糧として攫ったのなら保存するにしてもこのような行動や扱いは不自然だろう。

 様子を窺っていると、女性の方がアンナに向けて口を開いた。


「あー、ちっとばかし確認したいんだが、お前さんはどうしてこんな所に来たんだい?」


「え……どうしてって……オークに攫われた人がいるからって言われて助けに……」


「(ア、アンナ待って待って……)」


「(ぅえ?)」


 知人と日常会話をするような軽い口調で唐突に質問され、思わず聞かれたことを素直に答えるアンナ。

 不審な相手に対してこちらの情報を無闇に開示してしまうというのは褒められたことではないが、アンナらしいといえばアンナらしい。

 素直で真面目なアンナに腹芸などは無理そうである。


「……質問に対しての返答に過剰な反応は見られませんね。視線、緊張、声音、どれも偽りを言っている証は読み取れません」


「何だ。本当にたまたまここに来たってことか。……気の毒になァ」


「ええ、同情を禁じ得ませんね……」


 今までとは違う、低い声でそう言うと二人の雰囲気が変わった。

 こちらを見る視線が冷たくなり、その中に針で突き刺すような害意が宿る。


「(アンナ。倒れている三人をこっちに連れてきて)」


「(え!? は、はい!)」


 雰囲気が切り替わるのと同時に、老執事は懐から長いアイスピックのようなものを取り出し、女は金属音がする鎖のような鞭を構えた。

 さっきまでとは違う、あからさまな敵意。


 隠すことも無く、侵入者である自分達を攻撃しようとする気配が伝わってくる。

 そしてその二人の動きに呼応するように、周囲を取り囲んでいたオーク達も攻撃の意思を剥き出しにして包囲を狭めてきた。


(この二人に付き従うような動き……もしかして、メリエの言っていた魔獣使いテイマー?)


 あの二人が動き出すと同時に周囲のオークも動き出した事、そして今まですぐ近くに獲物がいるにもかかわらず大人しくしていたことから見て、このオーク達はあの二人のどちらかの支配下にあると考えて良さそうだと思った。


 まだわからない部分もあるが、この二人がオークに指示して走車を襲わせ、ここまで縛られた三人を攫ってきたと考えればメリエが言っていた違和感とも辻褄が合う。

 メリエが怪しいと言っていたオークが食糧となる死体を放置し、特定の人間だけを攫ったというのは本能で襲ったのではなく、こいつらの指示で襲ったからだろう。


 この囚われている三人がどういう経緯でこんなことになっているのかはわからないが、見捨てるわけにもいかない。

 この二人とオークの様子からして放っておけばロクでもないことになるのは明白だ。


 別に助ける義理も義務も無いが、アンナと同じくらいの女の子がオークの餌になるのを見過せば良心の呵責に苛まれることになるだろう。

 人間の価値観が色濃く残っているため、そこまで人間に冷たくなる事はまだできなかった。


 それにあの二人が発する気配は、この三人を放っておいたとしてもこちらをすんなりと帰してくれるということは無さそうだ。


「あーあー。ホント気の毒になァ。こんな穴ぐらじゃなけりゃ飛んで逃げられたかもしれないのによ」


「ほっほ。心にも無い同情の言葉。6番さんもいい性格をしていますね。

 ……ああ、そういえば。確かこの先のアルデル近郊で飛竜が出たという話がありましたな。中央の騎士団とは無関係なようですし、もしやこの竜のことでは?」


「ああ? ……確か7,8,9番が、上から探ってこいって言われてたアレか? ……そういや一匹は珍しい黒い飛竜だったって話だな。こいつも黒だし、大きさも報告にあった幼体ってのとも一致する。しかし従魔になってるなんて聞いてないぞ?」


「ええ。ですがこれ程の好機を見過す手はありません。他の方々と、折角竜を従えた彼女には申し訳ないですが、ここで仕留めてしまいますか。どの道見られた以上は消えて頂くしかありません」


 善悪の判断をつけるには情報が足りないが、魔物を従え、殺意を滲ませて自分とアンナに攻撃の意思を示した時点でこちらの腹は既に決まっている。

 泉の森に来たあのハンター共のように自分を狩る獲物と見ている。

 こいつらは敵だ。


 薄暗い穴の底で、怪しげな二人と対峙する。

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