第63話 熊みたいなお父さんの回

「賢太郎、ごめん。俺が鈍臭くて……助けようとしてくれた相川の手を引っ張ったせいで、一緒に落っこちちゃったんだ」


 賢太郎が来ると俯いて気まずそうにしていた相川は俺の言葉で顔を上げる。そもそも俺と相川はこんな風に二人で出掛けるような仲ではないし、賢太郎の家を出る時も俺はどこかに寄るだとか何も言わなかったんだからこの嘘はすぐにバレるだろう。


(だけど、頼むから相川を責めないでくれ)


 俺と相川を交互に見つめる賢太郎は、フウッと大きく息を吐いた。よく見れば賢太郎の着ているフェルネのマウンテンパーカーには蜘蛛の巣や枯葉が絡み付いていて、黒色の生地は土で白っぽく汚れている。

 そういえばこのパーカーから俺達の縁がまた繋がったんだなと思い出すと、思わず俺は頬を緩ませた。


「おい、笑い事じゃないぞ。ヒカル、怪我してんだろ? 頭打ったり骨折れたりしてないだろうな?」

「大丈夫、多分打撲しただけ。めちゃくちゃ痛いけど」


 何か物言いたげにしていた賢太郎は、俺の笑った顔を見てその言葉を呑み込んだみたいだ。


「悠也も、大丈夫か? 何で二人でこんなところに来てんだよ?」

「宗岡を連れ出したのは俺だ。すまん」

「だからその理由は何だ?」


 賢太郎に問い詰められて、相川はそれでも口を一文字にして話せないでいる。俺がカナダ行きの事を賢太郎に話せとしつこく言ったから、葛藤しているのかも知れない。


「相川は、もうすぐお父さんの転勤でカナダに行っちゃうんだって。それを賢太郎にいつ言おうかって、悩んでるんだって相談されたんだよ」


 決して嘘は言っていない。でもいつまで経っても相川が言いそうにないから、俺は今回の事の仕返しのつもりだと自分に言い聞かせて賢太郎に話した。


「悠也、本当なのか? 何でヒカルに話して俺に言えないんだよ」

「馬鹿だな、賢太郎。俺より賢太郎の方が大切な友達だからに決まってるだろ。大事だからこそ言い出せないこともあるんだよ」


 俺は相変わらず大の字で寝転んだまま、賢太郎に説教をする。そんな俺の方をチラリと見てから、賢太郎は俯く相川の方をじっと見つめた。答えをいつまでも待つ、というような姿勢だ。


「ほら、相川」


 一言だけ、相川の背中を優しく押すつもりで声を掛けた。


「……ごめん。賢太郎の大事な宗岡を巻き込んで。俺、もうすぐカナダに行くんだけど。どうしても言い出せなくて。本当は行きたくないけど、それは出来ないから」

「いつ行くんだ?」

「一ヶ月半後。夏には行く事が分かってたけど、言えなくてダラダラと……」


 そこでまた二人の間に長い沈黙が降りた。どちらも口を少し開いてはまた閉じる、を繰り返している。いい加減俺は二人の話に口を挟む事に決めた。いつまでも膠着状態では時間が勿体無い。


「もうさ、これからは皆で相川の思い出作りしようよ。相川のしたい事とか、そういうのを残りの時間でしよう。それにカナダでも相川みたいなイケメンはすぐ友達が出来るだろうから、きっと大丈夫だからさ」

「宗岡……」

「残り少ない時間は有効に使おうよ! な⁉︎」


 正直、時間を追うごとに秋の山中の空気は冷たくなって、一人だけ薄着の俺は震えもき始めている。二人にはなるべく早く話を終えて貰いたいというのが本音でもあった。


「でも……」

「相川! 俺はお前と違って薄着だからめちゃくちゃ寒いんだぞ! でも、とかだって、はやめろ! とにかくもう決めたから! 賢太郎も、いいな⁉︎」

「おう」


 やっと俺の状況に気付いてくれた二人は、それぞれ一枚ずつ上着を貸してくれた。とにかく山を下りようとなり、打撲でスムーズに歩けない俺は賢太郎が肩を貸してくれる事になった。そうこうしていると既に賢太郎が連絡をしていた相川のお父さんが駆けつけて、バツが悪そうにする相川をヒョイっと背負って先に下りて行く。


「相川のお父さんって、熊みたいにパワフルだな。……というか、相川と全然似てない」

「見た目がデカイ熊だろ? でも優しくていい人だよ」

「そうだな。相川もいい奴だしな」


 二人三脚のようにして肩を借りて慎重に山道を下っていく。どうやら近道があるらしく、登って来た時よりはだいぶ短い距離で下りられるという。


(わざわざ遠回りして登ってたのか。とことん相川は俺に嫌がらせしたかったってことだな)


 思わず苦笑いを浮かべた時、賢太郎が少し硬い声音で口を開いた。

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