第64話 母さんとカニ歩きの回

「悪かったな。本当はずっと昔から悠也の気持ちは知ってた。だけど俺はヒカルが好きだったし、悠也とはずっと気の合う友達でいたかったから……。今回の事は、俺がさっさとはっきりさせなかったのが悪い」


 賢太郎はどうしてこんな事になったのか思い至ったんだろう。だけど俺は本当に相川の事を嫌ったりする気持ちは無くて、何なら既に仲間意識みたいなものすら芽生えていた。


「あのな、今回の事は誰も悪くないんだよ。それに、相川は賢太郎の事をもう好きじゃないらしいぞ」

「え?」

「『ちょっと恋人と連絡が取れないからってGPSを使って探しに来るなんて、そんな束縛の激しい奴なんかこっちから願い下げだ』ってさ」


 それを聞いた賢太郎はさも可笑しそうに笑ったけれど、暫くして急に神妙な顔つきになって尋ねてくる。


「ヒカルも、俺が束縛するのは嫌か?」


 二人して肩を組んで歩いているから、すぐそばにある賢太郎の切長の瞳には不安の色が浮かんでいる。俺は心底可笑しくなって、身体の痛みも忘れ「ははっ」と笑ってしまった。


「俺は賢太郎に束縛されたいし、束縛したいかな」


 笑った事でズキンと痛む横腹に顔を顰めながらそう答えると、賢太郎はめちゃくちゃかっこよく笑った。それはもう、今までで一番かっこよかったかも知れない。今日の賢太郎は、悪者に攫われたお姫様を助けに来たヒーローみたいだなと思っていたから、自然とそう見えたのかも知れないけれど。


(俺もいざという時賢太郎を助けられるように、もっと鍛えないとな)


 結局下山したところにある駐車場に停めてあった車に相川を乗せ、再び山道を戻ってきた相川のお父さんに俺は背負われた。事情はよく分からずとも息子の様子から何かを悟って何度も俺に謝るお父さん。その背中はとても温かくて、話してみてもすごくいい人だった。

 四人で相川家の四駆に乗って病院に向かう。別に俺は大した事は無いから相川だけで良いと言ったんだけど、「安心したいから」と賢太郎と相川のお父さんに言われて受診する。でもやっぱり骨折は無く全身の打撲だけと分かり、湿布と痛み止めを処方して貰った。


「ヒカル、大丈夫なの?」

「大丈夫。心配かけてごめん、母さん」


 相川のお父さんと賢太郎にアパートまで送ってもらう。先に連絡をしておいたから、玄関扉の前で母さんが心配そうに出迎えた。

 相川のお父さんが母さんと話をしている姿を見て、幼い頃の記憶が頭をよぎる。病室で母さんが賢太郎を激しく罵った記憶。もうそんな事にはならないと分かっているのに、だけど心臓はバクバクと跳ねていた。


「本当に、お世話になりました。賢太郎くん、良かったらまた遊びに来てね」


 母さんが頭を下げつつ二人にそう言うのを見るまで、握った拳の中ではじっとりと嫌な汗をかいていた。賢太郎は「はい、また」と言って頭を下げている。相川のお父さんの前で色々話す訳にはいかないから、二人はまた改めて話をするつもりだと分かった。


「母さん、ありがとう」

「なぁに?」

「ぷ……ッ!」


 二人が帰ったあと、母さんに肩を貸してもらいながら部屋へ向かう。アパートの廊下は狭くて、並んで歩けなかったから二人でカニ歩きみたいにして横向きに進んだ。いい歳して母さんに頼ってカニ歩きをする自分が可笑しくなって思わず吹き出してしまう。


「なんか俺、今めちゃくちゃ幸せだよ」

「何言ってんの。こんなに身体中打撲しちゃって! 明日はきっと熱が出るわよ」

「え、まじ?」

「あの時もそうだったから、きっとね。全く、心配かけて。明日は一日大人しくしときなさい」


(明日は賢太郎の家に行く予定だったのに。DMしとくか)


 そして本当にその日の夜から翌日日曜日にかけて俺は熱を出して寝込んだ。賢太郎がお見舞いに来てくれても起き上がることが出来ず、結局母さんと賢太郎は俺の部屋で話しているうちにいつの間にか仲良くなっていた。もうこの二人に過去のわだかまりは無いようだ。


(母さんと賢太郎が俺の部屋で仲良く話してるなんて、不思議な感じだけど。本当に良かった……)


 打撲でバキバキに痛む身体はまともに動かす事もできず辛かったけど、二人がこれからも仲良くしてくれるのなら、これくらいの代償は小さなものだと思う。






 


 


 


 

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