第8話 002
「リリステラ様……っ、ご無事で良かったです。おかえりなさいませ……!」
「ミラ」
家令さんが王子の背を追ってしまうと、ミラはほとんど涙声になりながらわたしの傍まで駆け寄った。それだけで、彼女が昨夜中ずっと心配していてくれたことが伝わる。その真心を、信じられる。
わたしはよっぽどミラの手を取りたかったけれど、でも、どうしてもいま、あの光の糸以外のものを握るのは怖かった。
ここで足を止められない。
優しい侍女に寄り添って、ほっと息を吐いてしまうわけにはいかないんだ。
「ありがとう。ミラ、早速で悪いのだけど、このお屋敷でいちばん広い寝室へ案内してくれる? もちろん、お客様用のお部屋でいいの」
「は、はい。あの、ですが、……ご案内も何も、リリステラ様のお部屋になります……」
「まあ」
そうなの?
わたしは瞬きひとつ分だけ目を丸くしてから、それなら話が早い、とすぐに意識を切り替える。間取りがわかっているんだから、いちいち確かめに行く必要もない。
「ミラ、だったら、あの部屋からわたしの私物を避けておいて。どうせ服しかないのだけれど」
「えっ、あ、はい……?」
「それから、力仕事を頼める方はいる? できるかぎり大勢がいいと思う。寝室から、寝台以外の家具をすべて出してほしいの」
「家具を、ですか?」
「そう。──これからそこに、大きな魔方陣を築くから」
ミラからの問い掛けに頷いて返しながら、わたしは玄関扉の方へ戻り、それを開く。
そこには、新たな馬車が到着したところだった。
「リリステラ様。やはり、すぐに運び入れることは無理かと……。しばらくこのまま、術式の安定を図ります」
御者が開いてくれた扉の中を見遣ると、魔法士の一人がわたしを見てそう告げる。
座席を取り払った馬車に、三人の魔法士。彼らが築く魔方陣の中央には、ノイン先生が横たわっていた。彼に意識はない。
「先生第一だから、あなたたちはそちらに集中して。むしろ、馬車の中でも術を崩さないでいてくれてありがとう。運び入れる部屋は南になると思うわ。声を掛けてくれれば、屋敷の誰でも案内出来るようにしておく」
「了解です!」
「リリステラ様、申し訳ありません! 遅れました……!」
さらに馬車が駆け込んで来る。馬の足が止まるのすら待たず開いた扉からは、ばらばらと魔法士・魔術師が降りて来た。これより後の馬車には騎士たちが乗っている、と王子から聞いてはいるけれど、そちらはもうわたしの管轄じゃなかった。
「いいえ、何も遅れていないわ。南の寝室へ向かって。まだ家具が残っているけれど、すぐに環境を整えるから、あなたたちはあなたたちの仕事を急いで」
「はい!」
開いたままの玄関扉から南の廊下へと、それぞれの色のローブを纏った姿が消えてゆく。
わたしもすぐに彼らの背を追った。
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