第8話 001

 遅い午後の陽差しに照らされた公爵邸は、まるで平穏の象徴のよう。

 どこかのんびりとした二人組の門番は、こちらの馬車が停まる気がないと悟ると、大慌てで門扉を押し開ける。その隙間を危うくすり抜けて、馬車はまっすぐに玄関を目指した。

 馬を止めさせた御者がこちらまで来るのを待たず、クラヴィス王子は自ら扉を開け、わたしの手を取る。

 そうして二人、飛び込むように慌ただしく玄関扉を開け放った。

「おかえりなさいませ。クラヴィス殿下、リリステラ様」

 さすがと言うべきか、公爵家家令は落ち着いた佇まい。その隣に立つミラは、どことなく目を白黒させたような表情のまま、それでも家令さんといっしょに丁寧に頭を下げていた。

「失礼を承知で挨拶は省かせてくれ。大叔父上は、予定どおり今日ご帰還されたのか?」

「ええ。旦那様は旅程も滞りなく、午前のうちにお戻りになられました」

 足早にエントランスホールを進みながら、クラヴィス王子は家令さんに短く問う。……というか、今さらだけど、公爵様はずっとお留守だったんですね……。

「では、今は自室だな」

「お会いになられますか? であれば是非、リリステラ様もごいっしょに。お二人の無事な顔を見たい、と旦那様も申しておいでですから……」

「彼女は無理だ。リリステラ」

 王子の歩みに従いつつも、家令さんはおっとりとした口調を崩さなかった。それを無下なほどきっぱりと切り捨てて、クラヴィス王子はすぐさま階段を上がろうとする。その始めの段に足を掛けたところで、ふとわたしを振り返った。

「! はい」

「頼む」

 ノイン先生を。

 そしてこの後、王子が公爵邸を立ち去って再び戻るまで──立塚さんが来てくれるまでの間の、このお屋敷の取りまとめを。

「……っもちろんです!」

 わたしは泣き出しそうなくらいの気合いを込めて、力強く応えた。

 クラヴィス王子はふ、と口の端をゆるめてみせると、肩先に赤いマントを翻す。そうして、あとはもう振り返らずに階段を上っていった。

 ほんとのこと言えば、自信なんて一ミリもない。だけどそんなふうに俯いたら、握った光の糸が消えてしまう。それが怖くて、もう頑張るしかないんだ。

 こういうの、火事場の馬鹿力って言うんだろうな……。

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