第6話 009

 船の舳先に吹き付ける向かい風が、わたしの髪をさらさらと混ぜる。夜の下に吹く静かな風は、ちょっとだけ精霊たちの気ままなお喋りを思わせた。

 わたしは自分の気の済むまでそうして風の音を聞いて、それからやっと、顔を上げる。

 すっかり見慣れた、小さな階段の下。

 傍らにランプを置いて、王子は正式な礼のかたちで頭を垂れていた。

 わたしからの「もういいです」という許しの声を待っているはずのその姿は、でも、そんなもの何にも必要ないって言うみたいに高潔だ。

 もしかしなくても、この人にわたしの手は届かないのかもしれないな……、なんて。そんな気持ちになるよ。

「少なくともわたし、嫌われてはいないんだね」

 顔を上げてください、って一応ちゃんと断ってから。

 ふとわたしが言えば、クラヴィス王子からは「そうだな」なんてあっさりした返答があった。……その淡泊な声音を聞くかぎり、特に好かれてもいないっぽいです。

 でもそんなの、わたしだっておんなじ。

 クラヴィス王子のこと、好きですとも、嫌いですとも、いまは言えない。そこまでまだ、この人のことを知らないから。

「わたしたち、もっとちゃんと話した方がいいんだろうなって気がする……」

 膝を上げたクラヴィス王子は、次には短い階段に足を掛け、舳先のわたしへと手を差し伸べる。そろそろ船室へ戻るだろう、と促してくる彼の声に、わたしは抗わなかった。なんだかもう、お布団に潜り込んで何も考えずに目を閉じてしまいたい気分だった。だから大人しく王子の手を取って、立ち上がる。

 そうして呟いたわたしの一言は、夜風に邪魔されることもなく、クラヴィス王子の耳にも届いたみたい。

 先を歩く彼は肩越しに振り返って、わたしを見つめ下ろした。そうして、その緋色の瞳を細めるようにして笑うんだ。ふわと空気を、抜くような──それはひどく、やわらかな笑顔。

「そうだよな。俺もそう思う」

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