第6話 008
「……なんの助けにもならない俺が行くよりも、あの時の君に必要だったのはノインの診察と、その結果を受けての指導だろう。あいつからの指導には充分に応えてやれと、東棟全体へは通達した。医師の要求が食事だったのか薬だったのかまでは聞いていないが、何にしろ不便も不足も一切なかったはずだ」
「……ノイン先生の診察って、王子の指示だったんですか?」
ぽかんと狐につままれたような心地で問い返したわたしに、王子はやや不満そうに眉を寄せる。……自分の配慮が微塵も伝わってなかったと、彼もいま知ったんだろう。
「他に誰がいる。いかに医師とは言え、王族の許可なしに東棟へ立ち入ることは認められていない」
「でも、わたしのこと、聖女様を暗殺しようとしたって疑って、お城でもずっと見張らせてて」
「そのことについては謝る。すまない」
「あ」
謝る……?
何を? どれを? とわたしが目を白黒させている間に、クラヴィス王子はすっと身を屈め、甲板に膝を着く。……えっこの体勢、何時間か前にも見た。もしかしてまた、あの、ど正式な謝罪の礼をするつもり──。
「あの夜は俺自身、強い緊張状態にあった。聖女召喚は俺が強行した策だ。成功すれば問題はないが、万一失敗でもしていれば、王は俺という存在に失望する。それで継承権を剥奪されるほど単純な話でもないにしろ、失望という影が俺の足元を危うくさせるのは避けられない。……そんなふうに、自分のことだけを考えていたんだ。君というあの場のイレギュラーを、受け入れるだけの余裕がなかった」
「イレギュラー……」
煙たがられていたのは『わたし』じゃなくて、あの夜、あの聖堂に、「聖女ではない人物」がいた、という事実の方なのだと。
そういうこと……?
「この城に来てからの君が塞ぎ込みがちなのは、状況を思えば仕方のないことだろうと見守る気でいた。俺にはそうするしか出来なかったんだ。だから、君が気持ちを入れ替えたかのように王城内を歩き回っているのを歓迎したいと思った。俺の狭量からあらぬ嫌疑を掛けてしまった詫びになればと、君が好きに歩けるよう、各所管理者レベルでの調整はしたんだが……その意思が末端の人間にまでは徹底出来ていなかったと、ジークリードからの報告は受けている。重ねてすまなかった」
「……ええっと……?」
思わず、わたしは片手を垂直に立てて、顔の前に置いてしまう。ストップ、ストップ。このジェスチャーが伝わるかはともかく、クラヴィス王子はわたしがすっかり混乱していることを察してくれたみたい。
「言わずとも伝わっているかと思っていたんだが。……今夜の君のようすからすると、おそらく言葉にしなければ何も伝わりはしないのだな」
「ソウデスネ……」
「であれば話しておきたいことがある。残念ながら、王城内に間者がいないとは言い切れない。気ままに散策を楽しむ君の邪魔をしない形で、君には護衛を付けた。そのことに君は気付き、そして良くない誤解をしているとアレックスから聞いたんだ。いつかきちんとこちらの意図を説明すべきだと思っていた」
それがいまなんですね……。
わたしはすっかり疲れてしまって、くったりとした気持ちのまま自分の膝に抱きついた。なんなのこの情報量。
クラヴィス王子は本当に、常にいろいろなことをいろいろな視点から捉えてる。まるで、現状という地平から努力の翼を持って飛び立ち、鳥の視点から俯瞰するかのよう。そりゃ気遣いの塊であるわけだ。頭の中の情報量が違う。なんだか、大変な人だな……。
「リリステラ。俺があまりにも至らず、不快な気持ちをさせた。……すまなかった」
自分の膝と仲良くしていて視界を上げないままのわたしに構わず、王子は生真面目なほどにまっすぐな声で嘘偽りのない言葉を紡ぐ。
不思議。
どんな感情を見せてくれるわけではないこの声を、もう冷たいとは思わなくなった。
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