第3話 008

 ……もし、わたしの腕の中に日記帳がなかったら、わたしは俯いてしまっていたかもしれない。

 わたし自身は単なる一介の女子高生なのに、見目麗しい王子様と騎士様から敵意に近い眼差しを向けられているのって、けっこうしんどい。……もちろん、それもある。

 でも、いちばんは──『リリステラ』の心臓が、どんどん血潮の実感をなくしてゆくせい。

(リリステラ……)

 王城中の人たちから嫌われていることよりもずっと、ずっと、クラヴィス王子その人から疑われ、疎まれていることの方がつらい。「リリはいま、こうして生きている意味があるのかしら」。そんなふうに思ってしまう原因は、間違いなくクラヴィス王子の態度にあるんだ。

 それをいままさに証明するように、わたしの中の心臓は冷たく硬く凍えてゆこうとする。……気付けばもう、どうしてまだ鼓動の音がするのか不思議なほど。

 決して手の届くことはない、好きな人。

 まるで奇跡みたいな強い力で、あなたが『わたし』を救ってくれたんだ。──なのに。

(それはあまりにも頼りない、氷の糸)

 聖女様というあたたかな光が現れた以上、いつこの糸が溶けて消えるかもわからない。

(あ)

 そう──そうだ。

『クラヴィス王子の婚約者』という立場を失ったら、リリステラはどうなるの?

 まさか、処刑台の待つ故郷へ帰される? それとも、この国で市井の民となるの。自分一人で生きる術など、何一つ持っていないのに?

 あるいは──そんな未来さえ待たず、四人のうちの誰かに、殺される……。

 ぞわっと背が冷えたような感覚がして、わたしは胸の中の日記帳をしっかりと抱き締めた。……変なの。どうして急に動いたのかちっともわからないのに、わたしの胸の中でじたばたと暴れようとしている日記帳がいま、不思議な心強ささえ与えてくれる。

(精霊だから……かな?)

 この『扉の鍵の番人』とは、まだちゃんとした会話は出来てない。でも、フェイゼルキアの民にとって、精霊たちは絶対の味方なんだ。きっといまこの時も、大図書館の天井近くからみんなだって見守ってくれてる。そう信じられる。

 わたしは決してひとりじゃない。

 だから大丈夫。

 ちゃんと考えるんだ。

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