第2話 003
「ああ、すみません。貴女を困らせるつもりはないのですよ」
わたしの逡巡が長すぎたせいか、ジークリードは道化の仮面を被り直してしまう。愛嬌のある笑顔。見る者に警戒心を抱かせない、人好きのするそれが、いまは打ち立てられた壁のようにすら思える。
「お話の流れからすると、そちらの日記帳に魔法仕掛けの鍵が掛けられている、ということでしょうか? お見受けしたかぎりでは、貴女が開くのに苦心するような鍵では無さそうですが……」
「……そう、ですわね」
わたしは日記帳に目線を落とした。確かに、日記の鍵はすぐに開いた。『リリステラ』の指先で、触れる。それだけだ。
この世界の人たちがあたりまえに持ち備えている魔力は、一人一人すべて特徴が異なる。色や強弱、属性。その人だけが持つ独特の波紋は『魔力の紋』と呼ばれ、この日記帳はそれを読み取ることで持ち主を判別しているんだった。
(なんかこう、指紋認証みたいな……)
もはや魔法なのかスマホなのかわかんないな、なんて、妙な感心をしてしまうけれど。
「この日記帳には、内側にもう一つ、小さな扉があるのですわ」
「扉……と言うと、文字どおりのものを想像しても?」
「はい」
裏表紙の内側。日記本文の最終ページと接する部分に、小ぶりの木の扉が描かれている。
それだけだったら、お洒落な装飾だとしか思わなかっただろう。
けれど、その扉は喋るんだった。
「『合い言葉を言って!』と、可愛らしい声がするのですわ。……お恥ずかしい話なのですけれど、わたくしは少し……自分の記憶に自信が持てないことがありますの。……いろいろなことがありましたから」
「胸中お察しいたします」
ジークリードはこちらを疑うことなく、優しい言葉を差し向けてくれる。
日記帳の『合い言葉』。
間違いなく『リリステラ』が設定しただろうそれを、リリステラ当人が思い出せないなんて変な話だった。でも。
「一度決めた『合い言葉』を変更することは可能でしょうか? もしくは、『合い言葉』自体を破棄するのでも良いのです」
「お調べになっていたのは、そのことなのですね」
「ええ。そうですわね、今日は」
日記帳の扉に気付いたのは、昨夜。
これはどうやって開けるんだろうと、一晩中ずっと──それこそ夢に見てしまうくらい強く気に掛かっていたから、今日ここへ足を運んだ時、わたしがまず歩み寄ったのは魔法書関連の棚だった。
「『今日は』?」
「あら」
なんでそっちが失言になるんですか!?
わたしは頭をフル回転させて、どうにか「リリステラっぽい」言い訳を探す。えええ~と。
「大陸一の大国が有する知識の豊富さは、まるで広大な海のようですもの。わたくしがそのことに気が付いたのもつい最近なのですけれど……どの本を開いてみても興味深くて、つい時間を忘れてしまうのですわ」
「確かに、魔法王国に集まる智慧とは趣が異なるでしょう」
鷹揚なようすでにっこりと頷いたジークリードは、どこからともなく持ち出した銀の鈴をちりんと鳴らす。彼の部下か従者か、足音も静かに現れた相手へと、紅茶とお菓子のおかわりを頼んだ。
ややもせず、同じお仕着せを身に纏った人物が二人、銀色のワゴンを押して現れる。彼らはそれぞれわたしとジークリードにお茶とお菓子を振る舞い、一礼をして立ち去った。かすかな金属音を立てて進むワゴンと、天井のひどく高い空間へと響いて消えてゆく靴音。
その果てが見えないほど高い吹き抜けの頭上には、この世界の夜空を模した天球儀がゆったりと巡る。
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