第2話 002
この世界の人々は魔力という力を持っていて、ざっくり分けて「医療用」のものを魔法、「戦闘用」のものを魔術、と呼び分けて使っている。
とは言っても『白き
だった、んだけど……。
「魔法仕掛けの鍵にはどんな種類があるのか? おや。ずいぶん具体的な疑問をお持ちですね」
モノクル越しの瞳を瞬かせるジークリードの表情は、素直な好奇心を露わにしているように見えた。
わたしは彼の視界にも映るよう、膝の上にあった日記帳を机に置き直す。もう空になろうとしているティーカップは、そっと脇にどかして。
「これは、わたくしがフェイゼルキアから持ち出した日記帳ですの」
「──」
魔術師がそっと息を飲んだように思ったのは、わたしの勘違いかな。
簡単に見せちゃいけなかったのかも、とちょっとひやりとするけれど、いまさらどうしようもない。わたしは鍵穴には触れないように、ゆっくりと日記帳の表紙を撫でた。
「今となっては唯一の、故郷を思い出させてくれる品です」
「……かの魔法王国で起きた惨劇のことは、私も聞き及んでおります」
あの日、突然。
フェイゼルキア王エトランド家へのクーデターが起きた。
王であった父、王妃であった母、それから二人の妹と末っ子の弟もすべて処刑され、生き残ったのは第一王女リリステラのみ。
それすら、予定外の外交のため急ぎ隣国へ向かっていたから免れただけのこと。それを幸運と呼ぶか不運と呼ぶかは、リリステラ本人にもわからない。ただ、その出立が少しでも遅ければ、リリステラだって間違いなく処刑台の上だった。
期せずして逃げ延びてしまったリリステラには追っ手が掛かり、実際、その日のうちに国境間際では激しい交戦があったんだ。そこでは、同行していた御者や騎士、魔術師、侍女でさえも、リリステラを守って犠牲になった。
たったひとりの亡命。異国の地で彼女を守ったのは、その一月前に成立していたクラヴィス王子との婚約。
クーデターの一報を受けたヴェンデルベルト王国は、すぐさま「リリステラの身元はヴェンデルベルトが引き取る」と宣言し、周辺諸国にこれを承諾させた。
もちろん、大陸一の大国に逆らえる国は多くない。
ヴェンデルベルトの要請を受けた隣国の騎士によって、リリステラは堅く保護された。そうしてそのまま、ヴェンデルベルト王国へと渡ったんだ。
正式な婚姻は半年後。
それでも、もう帰る故郷のないリリステラにとっては、これがこの国への輿入れそのもの。旅の支度を乗せた馬車はとうに失って、着の身着のまま。文字どおり身一つだった。
(だから、孤立無援なんだよね……)
本来なら、フェイゼルキアから連れて来る侍女がいるはず。
その侍女は、リリステラの盾になって矢を受けたのが致命傷だった。
「心ない言葉だと感じられたら申し訳ありません。それでも私は、貴女があの戦禍を生き延び、このヴェンデルベルトまで辿り着いてくれた奇跡を女神に感謝しない日はないのです」
「……」
ジークリードの声音には真摯な思いが込められていて、わたしはなおさら、どう応えればいいのかわからなくなる。
クーデターの日の朝、リリステラの出立はとても急だった。まだ寝ぼけ眼をこすっているだろう弟妹とは会わず、見送りに立ってくれた両親と交わした言葉もほんのわずか。「気をつけて行っておいで」。一週間の旅路。必ずもう一度会えることを疑わない、そんなやり取り。
それはまるで、あの夏の夜のわたしみたいだ。
だって、近所のコンビニに行くだけのつもりだった。「もう暗いから気をつけなさいよ」、お母さんにそう言われて、生返事をしながら玄関を出て。
『あれきり会えなくなるなんて、誰が想像したでしょう』
日記帳の紙面には、滲んでぼやけたインクの文字が残っている。だからどうしたって、リリステラの零した涙を思うんだよ……。
「……リリはいま、こうして生きている意味があるのかしら」
ふいに、わたしの唇からそんな言葉が零れ落ちてた。リリステラの記憶を思って、瞼を落とした瞬間。……いまの、わたしが言ったの?
驚いて顔を上げ直せば、おなじように目を瞠るジークリードと視線がかち合う。
「リリィ」
「っいいえ、今のは──」
「たとえ君自身に恨まれようと、僕は何度でも言うよ。君が生きていてくれて良かった。ほかの誰にその手が差し伸べられずとも、君にさえ女神クロウディアの救いの手が届いたのならそれでいい。そのことだけを、僕は一生涯かけて感謝し続ける」
大仰な言葉回しをすべて取り去った、剥き出しのジークリードの言葉。それはまるで、熱烈な告白。
(そうだ)
ジークリードルートで読めるリリステラのエピソードは、彼の片恋の告白だった。喪った想い人。それも悲劇には違いないけれど、その前にリリステラは王子の婚約者。始めから、決して叶わない恋をしている。
ジークリードがことさらに道化ぶるのは、そんな本心を誰にも晒したくないから。
(リリステラはこれ、気付いてた? 気付いてなかった?)
わたしの手のひらは『リリステラ』の記憶──彼女が記した日記帳に触れている。けれど、読めたのはまだ半分くらい。
もちろんすべて読んだって、リリステラの気持ちがぜんぶわかるわけじゃない。自分への片想いに気付いているかどうかなんて、日記に書き残すにもかなりデリケートな話だし……。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます