第2話 001

 移植前──つまり無印の『白き聖女おとめの祈り』世界では、リリステラ・リーヴィエは単なる「高慢な令嬢」とだけ呼ばれる悪役だった。

 しかも登場時にすでに死んでいたから、立ち絵だってろくに顔も出ていない幽霊の姿。表示されるキャラクター名もストーリーのよほど後半まで『亡霊令嬢』と書かれてたんだ。

 それが、ですよ。

「フェイゼルキア王国第一王女、リリステラ・リーヴィエ・ル・エトランド……」

 王女様になってるんですが!

 この後付け設定、どうなってるんだろ。移植版の『亡霊令嬢』はやっぱり『亡霊王女』に修正されてるのかな。違和感すごいんだけど。いっそ見てみたい。でも見られない。

「本に向かって自己紹介ですか?」

「!」

 ふいに背中から掛けられた声に、わたしは肩を跳ねさせる。……危うく、手のひらの上に開いていた本を取り落とすところだった。

 メモ書きした小さな紙片ごと、ぱたりと本を──リリステラの日記帳を閉ざす。それに応じて、魔法仕掛けの鍵もかちゃりと掛かった。わたしはその大切な重みを、しっかりと両手で支えて。

 それからようやく、背を返す。

 突然の声には、聞き覚えがあった。

「ごきげんよう。ジークリード様」

「ご機嫌麗しゅう、リリステラ姫。本日もとてもお綺麗です」

 翠色のローブをふわりと広げるようにして、魔術師ジークリードは慇懃に一礼してみせる。なんだか歯の浮くような社交辞令だけど、彼はこれが通常運転。モノクル越しの愛嬌ある瞳は、リリステラをまっすぐに見つめて嬉しそうに微笑む。

「本当に、お綺麗です」

「お心遣い有難く存じますわ」

「ご容貌もまことに可憐です。しかしてそれ以上に、こうして日々懸命に知を探求される姿勢こそが何よりもお美しくあられます。……お探し物は、どうやら魔法関連の書物かとお見受けいたしますが、間違いはありませんか?」

 ゆったりとした口調で話しながら、ジークリードはわたしの隣に並ぶ。そこに見える本棚には、言うとおり、魔法に関する本がみっしりと詰められていた。

 王城の大図書館。

 ヴェンデルベルト王国は、大陸でいちばん強大な国。ここには、世界各地からあらゆる本が集められるんだ。この世界のすべての知識が書物の形を取って集まっている、と言っても過言じゃなかった。

 立塚さんとのランチタイムを過ごした翌日から、わたしのお城散歩のゴールはいつもここ。

 来る日も来る日も、それこそ毎日。

 この図書館は魔法魔術省の管轄だから、リリステラが日参していることはジークリードには筒抜けだったんだろう。なにせ彼は国一番の魔術師様。肩書きで言えば、魔法魔術省のトップ……。

「あら? わたくしはいま、ひょっとすると最強の司書様を味方に付けようとしているのかしら」

「ご謙遜なさる」

 ジークリードは楽しそうに声音を笑わせた。

 彼はいつも、どこか持って回った言葉遣い。「聖女プレイヤー」として相対していた頃だって、わざと道化ぶるジークリードの言動にはけっこう振り回されたものだ。

 ましていつでも品の良いリリステラの受け答えと合わせると、この二人のやり取りはいっそお芝居のようにすら聞こえる。

 まるで「王女役」と「魔術師役」の言葉遊び。──それでも、その根底には確かに信頼がある。

 少なくともジークリードは、ほかの王城の人間が見せるような『リリステラ』への嫌悪や敵意を欠片も持っていない。そう感じるんだ。

「ご要望の書物を探し出すことももちろん可能ですが、貴女には更なる贅沢も許されているのですよ。もちろん、ご自身で本を開いて読む醍醐味を奪われたくないとお思いであれば、私はすぐに背を向けて立ち去らねばなりませんが」

「まあ! ということは、わたくしはジークリード様にご教授願ってもよろしいの?」

 ぱちんと手を打ち、大仰に声音まで弾ませたリリステラを、ジークリードはその高い上背から見下ろす。ゆっくりと頷いてみせた後、それだけでは足りないとでも言うみたいに身を屈めた。

 リリステラの耳元へ、秘密の返答。

 ──とびきり柔らかく笑んだ、無防備な声で。

「ご随意に、お姫様」

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