第1話 006





「熱心なお勤めに心より感謝いたしますわ、アレクシス様」

 立塚さんとお付きの三人が賑やかに歩き去った小道の先。誰もいないそこを見つめたまま、わたしはとりあえず辺り一帯の空気に向かって呼び掛ける。

 確かに「居る」気配は感知した。だけど、じゃあどこに居るのか、となると、そこまではわからなかったから。

「……」

 ほどなく、木立を揺らす風の音とともに、青い隊服に身を包んだ騎士が姿を現した。

 アレクシス・ファーレンルスト。

 昼日向の陽光に、青い髪が水彩のように滲む。すっと突き立った剣のごとき立ち姿。その涼やかな目元も秀でた額も、木洩れ日のモザイクを受けてより一層の魅力を増してた。

 彼はわたしに向けて頭を下げてはくれるけれど、その表情にはなんの感情も浮かばず、ただひたすらに生真面目なだけ。

 だから、そう。訊かずともわかります。

 ──この騎士にわたしの監視を命じたのは、クラヴィス王子。

「こんな真昼に、わたくしがいよいよ聖女様に危害を加えるとでも思われたのかしら。殿下のたくましい想像力を少しお分け戴きたくなりますわね」

「貴女方の接触を見過ごしておけば、口さがない連中はより騒ぎ立てる。あいつはそう判断したんだろう」

「優等生のご回答を有難く存じますわ」

 仮にも婚約者。いちばん近しいクラヴィス王子自らが厳しく疑いの目を向けておけば、他からは追及しにくい。

 彼らの詭弁は、そういうことみたい。

(……クラヴィス王子が疑うからこそ、リリステラは針のむしろなんだけどね……)

 王城中の人間から嫌われるか、出会う人たち全員から疑われるか。

 リリステラにとっては、どっちも大差ない選択肢。

 でも、わたしが自由に王城内を歩き回れるのは、そうして『リリステラ』を疑い続けるクラヴィス王子の目があればこそ。

 と、言うか。

「あら? とすると、これまでのわたくしの気ままな散策にもお付き合いいただいていたのかしら。申し訳ありません。ちっとも気付きませんでしたわ」

「……少なくとも、私が差し向けられたのは今日この時のみです」

 どこか苦い顔つきで、アレクシスが答える。なるほど。初任務でさっそく失態を犯したことになるんだ。そう思って見遣れば、彼の表情も少し可愛らしく思えた。

 とはいえ、『リリステラ』の心に穏やかな心地など訪れはしない。

 わたしはアレクシスからは目を外し、ゆるやかに吹き抜けた風の行方を目で追う。……もしかしたらいまこの瞬間も、誰かがわたしたちを見張っている。

「……このお城にはやはり、隠密行動を専門とされる方々がいますのね。なんて恐ろしいこと」

「あいつは──『彼ら』を、貴女を守るためにも使うはずだ」

「──」

 アレクシスから返ってきたのは、思うよりも強い語気。そこに込められている、ひとかけらの曇りもない信頼。──もちろん、彼の王子への。

(そうね)

 青き騎士の目に映るクラヴィス王子は、リリステラの瞳が見つめるものとは明らかに違う。

 羨ましいな、と素直に思った。

「クラヴィス殿下は、お元気なのかしら?」

「……」

 わたしのシンプルな問い掛けは、けっこう強烈な厭味となったみたい。アレクシスは小さく息を飲み、そのまま押し黙ってしまう。

 それもそのはず。

 あの聖女召喚の夜以来、リリステラとクラヴィス王子は一度も会っていない。

 だけど、王子付きの騎士アレクシスはもちろん、立塚さんだって、あたりまえに毎日彼と交流しているんだ。

『このワンピース……あ、えと、日本にもこういう形の衣服があって、それをワンピースって呼ぶんですけど。わたしがこっちの世界のドレスが着づらい、ちっともリラックス出来ない、ってめげていたら、それを聞いた王子が「君の世界にある服に似せて作らせよう」って特別に腕のいい仕立て屋さんを手配してくれたんです!』

 ついさっきのランチタイム。立塚さんの嬉しそうな声音はまだ、リリステラの耳に残っている。

『ルカさんもそうです』

 それは『わたし』の知らない、王子の気遣い。労を厭わない、大きな優しさ。

『元々はとても格式張った、お城のえら~い料理人さんがわたしのごはんを担当してくれていて、それを王子といっしょに食べていたんです。でも、どうもわたしの食が進んでないなってことに王子が気付いてくれて。「ユイにとって食べやすい料理を提供出来る人物を探そう」って言ってくれたんですよ! それで二人で、街までお忍びで食べに出て。市場とか、レストランとか、いろんなとこに行ったなあ。そうやってようやくルカさんを見つけたんです』

 そういえば、そんなエピソードもあったな。

 立塚さんから聞くクラヴィスルートの話は、当然だけど、わたしが「聖女プレイヤー」として体験した時のようなときめきをもたらしてくれたりはしない。

 リリステラの心臓はしんと冷えついて、まるで氷で作られているかのよう。

「……殿下がわたくしを助けるためには、わたくしは聖女様の目の前でピンチに陥らねばなりませんわね」

 心臓を苛む絶望から逃れる方法は、一つ。

 憎まれ役として厭味を紡ぐこと。

 王子側に立つ人間なら眉を跳ね上げてもおかしくないだろうわたしの言い草を、けれどアレクシスは、どこか憐れむような瞳で見つめていた。……たぶん、本当に優しい人なんだろうな。

 それ以上は言葉を継がず、わたしは踵を返す。

 そうして一人、歩き出した。──誰も待っていない東棟のあの部屋に、戻るために。

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