第1話 005





 真昼の陽差しをやんわりと遮る、大木の葉の下。きらきら降る木洩れ日と、ちらちら踊る葉影たち。爽やかに通り抜ける風には、ほのかに花の香。

 大判の布が敷かれた芝生は、座り込んだ腰の下にふんわりとクッションをくれるようだった。意外にも心地よい。

「わあっ、美味しそう!」

 ずいぶん大きなバスケットのフタを開けながら、立塚さんははしゃいだ声を上げる。

「っていうか、ルカさん……あ、いつもわたしのごはんを作ってくれるシェフなんですけど、ルカさんとっても料理上手なんですよ! だから絶対、どれも美味しいです! あっ、リクエストしたフルーツサンドも入れてくれてる~!」

 見て見て、と立塚さんは傍らの妹君へとバスケットを傾ける。なあに? と覗き込んだ王女は、「これがユイちゃんの話してた故郷の料理~? 可愛い~!」と破顔していた。

 王女とは反対側の隣に、侍女がきちんと膝を折って座っている。彼女は魔法仕掛けのポットを用いてそれぞれのカップへと飲み物を注いでくれていた。

 その膝の先には、何やら胡乱げな目でこちらを見据えるぬいぐるみサイズのライオンが居る。……いつの間に、そっちの姿になったんだろう。

 っていうか、ゲーム画面だとちゃんと可愛かったはずなのに、立体で見るとわりとシュールなデザインだなあ。

「リリステラさん! 遠慮せず、どうぞっ」

「……ありがたく、存じますわ」

 わたしは慎重にお礼の言葉を口にしてから、バスケットの中身を覗き込む。

 まず目に入ったのは、たっぷりの生クリームとフルーツをはさんだ、華やかなフルーツサンド。わ。フルーツの断面が、お花の形になってる。すごい。可愛い!

(さすが、聖女様専属シェフのセンス……!)

 日本にもフルーツサンドってあるけど、こんなに可愛くデザインされてるものなんて見たことない。

 思わず浮き立ってしまう心をなんとか鎮めながら、わたしはバスケットへ手を伸ばす。と、色とりどりの花を咲かせるフルーツサンドの片隅に、生クリーム以外、なんにもはさまっていない素のサンドを見つけた。え。なにこれ? 生クリームサンドイッチ? むしろパンの形からしてハンバーガーにも似てるような……。いやもうどっちにしてもちょっと思い切りが良すぎない……?

「あっ、それはですね、マリトッツォって言うんです! 令和三年の流行スイーツですよ!」

「──」

 まりと……?

 いや、それも謎だけど、そうじゃない。

「レイ、ワ……???」

 あまりにも聞き慣れない単語。それが他ならぬ立塚さんの口から発されたことに、わたしの頭の中がクエスチョンマークでいっぱいになる。

 え?

 あれ?

 立塚さんて、わたしとおんなじ現代日本の女子高生、だよね……?

「ああっすみません、急に令和って言われてもわからないですよね。あの、わたしの国の年号なんです。令和三年は、世界全体の暦で言うと、西暦二〇二一年です!」

「にせん……」

 にじゅう、いち?

 脳内のクエスチョンマークが、一斉に地へと落ちてくるみたいだった。ざっと血の気が引く。……どういうこと? だって。

(二〇十六年、だった、はず)

 わたしが死んだ夏。

 一九九九年生まれのわたしは、十七歳。

 年号で言うと、平成二十八年。

 レイワ?

(……そう、いえば)

 生前譲位がどうとか、って、お父さんが話してた気がする。朝食のテーブル。いつものチャンネルを垂れ流してるテレビ。

 平成って、終わったの?

 いつ?

(二〇二一年……ってことは、五年後)

 五年後にもう『レイワ三年』なんだから、平成はええと……。って、それはいまどうでもいいんだ。

(どうして)

 わたしと立塚さんの間に、五年ものずれがあるの?

 わたしが、転生のみならずタイムスリップまでしてしまった、ってこと? それとも……わたしはもしかして、あの夏の夜から五年間、生きてた?

 ── 一度も目を覚まさず、昏睡状態のまま……。

(そんな)

 その想像は、むしろ自分が死んだこと以上にショックだ。五年。それは決して短くない年月。高校二年のわたしが大学すら卒業してしまえるほどの。お父さんもお母さんも、目を覚まさないわたしの成人を祝ったのかな。

 そんなの、哀しすぎるよ……。

「……リリステラ、さん?」

「あ」

 立塚さんに呼ばれて、わたしはぱたりと瞬きをする。その睫毛の先から、ぽろりと涙の粒が落ちていった。いけない。

 いま、リリステラが泣くなんて、おかしい。わかってる、のに。

「ご、ごめ、なさ……っ」

「っそんなの、ぜんぜん!」

 立塚さんはぐっとこちらに身を乗り出すと、わたしの手を取る。あたたかい手。ぬくもりを分け与えるみたいに、ぎゅっと握ってくれる。それはなんだか、妹が頑張って力づけてくれようとしてるみたいだった。……わたしはまあ、一人っ子なんだけど。

「わたし、リリステラさんは絶対に無実だって信じてるんです。わたしを刺そうとしてたなんて、絶対にない。だってあの時、あの光が去った時、貴女も泣きそうだった……」

「え?」

「泣きそうって言うか、あの、上手く言えないんだけど、でも! あの時、わたしたちは『おんなじ』だったんです。わたしは、そう信じてるんです!」

 おんなじ。

 ……そう、だね。

(おんなじ日本から、転生して来た……)

 わたしの方から、それを明かすことは出来ないけれど。──だって、わたしはいま、リリステラ・リーヴィエ。その事実は変えられないんだ。

「聖女様に信じていただけて、とても光栄ですわ」

 わたしはそっと、立塚さんの手を握り返す。

 せめて、繋ぎ合う二つの手のぬくもりに、少しの嘘も混じりませんように。そんなふうに願いながら、ほっとした表情で笑む彼女を見つめた。

(ありがとね)

 持ち上げた唇にリリステラとしての言葉を紡ぎながら、それでも、せめて。

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