第1話 004
ところで。
王城内におけるリリステラの評価は、はっきり言って地に落ちてた。
そりゃもう、「嫌われ者の婚約者」に加えて「聖女暗殺疑惑」まであるんだから、好かれる要素が一切ない。
そもそも伏せっていた三日の間、クラヴィス王子からはお見舞いの品どころか言葉ひとつ届かなかったのだから、その扱いは推して知るべしというもの。
例えばそう、針のむしろに座るよう。
何をしても、何を言っても、嫌われる。……身の回りの世話をしてくれる侍女にすら、温かい言葉はおろか挨拶ひとつ返してもらえないレベルです。
「リリステラ様。今朝の紅茶はダージリンとなっております」
おはようございますの一言もなく寝室に現れた侍女は、今日も今日とてそっけない事務的な台詞を放つ。お茶の名前を取り替えただけで(曜日によって使う茶葉を決めているみたい)、そっくりそのまま昨日の繰り返し。
彼女は手ずから押すワゴンをベッドサイドまで近づけると、身を起こしたわたしの手元へ紅茶のカップとソーサーを差し出した。
「おはよう。今日もとても良い香りね。ありがとう」
「……」
黙殺。
それでも、彼女の態度は軟化した方だ。
心身がすっかり回復した四日目の朝、わたしが「おはよう」とごく普通に挨拶をしたらぎょっとされてしまったし、その翌日にも同じことを繰り返したら、明らかにいやな顔をされた。
窓辺では、いつものメイドが大きな窓のカーテンをえらく苦心しながらどうにか開けようとしている。たぶん、レールの滑りが悪いんだと思うんだけど、あれは誰かに言って直してもらうことは出来ないのかなあ。
そんななんでもないことをぼんやり考えながら、美味しい紅茶を堪能する。
侍女へカップとソーサーを返した後は寝室を出て、着替えと身支度。
それが終わる頃、別のメイドが朝食を持って来てくれて、一人で淡々と咀嚼する。パンとスープ、もしくはとろりと煮込まれたポタージュ。塩気の強いお肉と、フルーツもすこし。充分な食事だし、実際美味しい。だけどとても味気ないことも確か。
侍女が食後の紅茶を淹れてくれるのを待ちながら、わたしはよく晴れた窓辺の空を見遣る。
今日は何をしようかな。
(お城の中はもう、行けるところはほとんど行っちゃったし……)
わたしの目には、この世界のなにもかもが新鮮で、楽しい。
だから、日中ずうっと一人きりで放っておかれることもそんなに苦ではないのだけど(話し相手くらいは欲しいけど)、この世界が「当たり前の日常」だったリリステラは、どんな思いでいたんだろう。
元気になった最初の朝、わたしがそれとなく「お城の中を歩くのに許可っているの?」と尋ねたら、侍女は目の前で急に逆立ちした人を見るみたいな目で「……出歩かれるおつもりですか?」って訊き返してきた。
その理由がわかったのは、お城散歩を実行してから。
リリステラはお城の中をけっこうな区分まで自由に歩き回れる身分だけど、行く先々でちょっといやな顔をされることもまた、彼女にとってのデフォルトだった。
遠目に見ながら噂話をされるくらいは、よほど良い方。
ごくごく丁寧な口調で「用もないのにこんなとこ来んな」って言われることもあれば、もっとはっきりと「おまえは部屋から出るな」と注意されることもある。
うん。まあ、聞かないけど。
だってわたし、厳密には『リリステラ』じゃないんだもん。
お城の中の探索はあらかた終わったこともあって、今日のわたしは、庭に出てみたい気分。もし可能なら昼食を早めに包んでもらって、お庭のどこかの良い場所でのんびり食べてみたいなあ。異世界ぷちピクニック。
そんなことを空想してしまうくらいの、良い天気。
残念ながらわたしのささやかなお願いは「なんでおまえの酔狂のために厨房がスケジュール変えなきゃいけないんだよ」と突き返されてしまったので、お庭を歩くわたしの両手は空っぽだ。
お昼はいつもどおり、自分の部屋で。
……そう考えると、あんまり遠出も出来ないかな。仕方ない。というか。
「ひっろい……」
歩けども歩けども、延々と、綺麗な庭が続いてる。青々とした芝生。きっちり切り揃えられた植木たち。愛らしい花びらをこぼれんばかりに咲かせ、その配置すらも美しく整えられている花々。
こういうの、上から見ると何かの図案になってたり、迷路になってたり、するんだよね?
わたしはそんなことをふと思い出して、何十分か前に後にしてきた王城を見る。東棟の、どのあたりの窓からならここを見下ろせるんだろう? 少なくとも、リリステラの部屋からは見えない……。
「ほら! やっぱりこっちに誰か……、あれ?」
「!」
ふいに、目前の分かれ道から人影が飛び出した。と思うと、相手はわたしの姿を見るなり、きょとんと目を丸める。
それは久しぶりに見る黒い瞳。
風に流れる黒髪は軽く結い上げられていた。彼女が身に纏うのは、あの日のような制服じゃない。とても簡素なデザインのドレス。ほとんどワンピースと言えるそれを、どうして彼女が選んだのかなんて──わざわざ聞かなくてもわかる。
「えっ、わ、リリステラさん!」
立塚さんが上げた声を掻き混ぜるようにして、同じ分かれ道の向こうからぞろぞろと人影が続いた。
「ユイ様、いきなり駆け出さないでくださいー! また転ばれても知りませんよ!」
「ユイちゃんとってもお転婆さん~♪」
「この庭園は別の棟とも繋がっているんだから、誰か見つけたからってそう不用心に駆け寄るのは止めてくれよ。ユイ」
知ってる三人だった。
発言順に、聖女に付けられる侍女のマリエ、最初に仲良くなる王女(つまりは、クラヴィス王子の妹君だ)のエレーナ。それから、自称「聖女のお目付役」のレオだ。いまは人当たりの良さそうな青年の姿をしているけれど、「彼」は本来、その名の通りライオンに似た姿の妖精か精霊だったはず。いわゆる、ゲーム内のマスコット的な。
その三人が一様に、わたしに気付いて眦をきつくする。……まあ、それはそう。
だってリリステラには、「聖女暗殺疑惑」があるんだから。
──どういうわけか、当の立塚さんはまったく警戒してないみたいだけど。
「リリステラさんにまた会えるなんて! あっ、勝手に呼んでしまってごめんなさい……」
「ごきげんよう、聖女様。わたくしのことは、どうかそのままリリステラとお呼びくださいませ。もう一度お目に掛かることが出来て、とても光栄ですわ……」
「「「ユイ(様、ちゃん)!」」」
三人はそれぞれの手で立塚さんを引っ掴み、強制的にわたしから遠ざける。そうして始まるのは、どうやら呑気すぎる聖女様相手に喧々囂々とお説教タイム。
こういう時、外野ってどんな顔してればいいんだろう。
例えば自分自身が「
「ユイ。あなたは、彼女に殺されてたかもしれないんだよ?」
「え。でも、刺されてたのはリリステラさんでしょ?」
「ユイちゃん~、そういうことじゃないよー!」
「そうですユイ様、あの方は少なくとも味方ではありません!」
……うん。ここは立ち去った方が良さそう。
わたしはそう判断して、くるりと踵を返す。
「あっ、リリステラさんー!」
その背中に、立塚さんの元気な声がぶつかった。さらに聞き間違いでなければ、こちらへと駆け寄る靴音も加わっているような……さすがにそれは無視出来ず、わたしはゆっくりと背を返す。
「あのっ、ここで会えたのも何かの縁ですし、いっしょにランチしませんか? わたしたちはちょうど、ピクニックの用意をしてきてるんです!」
「……」
たしかに、彼女の天真爛漫さと警戒心のなさは「聖女」らしいのかもしれないな、なんて、つい思ってしまう。
「「「ユイ(様、ちゃん)~~!」」」
ちょっとだけ、三人に同情しなくもないけれど。
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