第1話 003




 穏やかな蝋燭の灯りにまあるく照らされた、寝室の中。

 わたしは知らず「ふう」と息を吐く。……よくよく考えたら当たり前な気もするけれど、ぜんぜん眠気がやってこない。

 ここへ来て一日目は、半分は夢の中にいるみたいに、ずっとうつらうつらしてた。ノインから献立について指示があったと言う、増血作用が高いだとか滋養強壮に良いだとかのごはんが運ばれてきたら食べて、それ以外はくったりと眠って。

 二日目も、そして三日目の今日も、大事を取ってそんなふうに過ごしていたんだけど。

「さすがに回復しましたわ……」

 いまはカーテンで閉ざされている大きな窓をぼんやりと見つめる。あの分厚い布地が開かれていて、その窓辺が夕暮れ色に染まっていた頃、わたしはちょっといやな予感がしてた。

 だって折しもその時のわたしは、優雅なお昼寝から目覚めたばかり。

 しかも、眠る前まで心身に纏わり付いてた謎の怠さは、嘘のようにすっきりと消えてたんだ。

 ──あ、これ夜眠れないやつ。

 そう思ったとおり、こうしてメイドも侍女も引き上げた夜中のいま。わたしは一人で寝台の上に座り、暇を持て余している、というわけです。

 スマホすらないってつらいなあ。

 朝までの時間、どう潰せばいいんだろ。

 というか。

「……死んじゃうなんて、思わなかったなあ」

 零れた言葉は、声音こそ聞き慣れない響きをしていても、間違いなくわたしの言葉だった。それにほっとすると同時、どうしようもない寂しさが込み上げてくる。

 脳裏に浮かぶのは、大好きな友達の顔。両親とここあ(うちの愛犬)。お盆に会ったばかりの祖父母や、部活の先輩、先生の顔まで出てくる。もう、みんなに会えない。

 二学期は始まったばかり。来月は文化祭の準備で忙しくなるね、なんて話していたのに。

「そっかあ……」

 シーツの中でもぞもぞと膝を曲げて、腕に抱えた。ご令嬢はまずしないだろう体育座り。ふかふかのお布団越しとはいえ自分の膝に頬をぺたんとくっつけると、妙に安心する。

 その体勢のまま、どのくらいぼんやりとしてただろう。

 ふいに、わたしは顔を起こす。

「あれ……?」

 取り留めない感傷に浸る中。いま、なにかに触れた気がした。なんだっけ。そう。友達のことを思い出してた。乙女ゲーム好き仲間の。

 そうだ、彼女が言ったんだ。

『ディレクターのSNS見た? 可能なら、リリステラの掘り下げをしてみたいなあと考えています、だって! ほんっとに需要わかってない。誰が亡霊令嬢のルートくれって言うのよ? 乙女ゲームだよ!?』

「リリステラの、ルート……」

 まさか。

 それが、『ここ』?

 でも、それこそかつて友達が嘆いたとおりだ。ありえない。おなじ悪役でも男性キャラならいざ知らず、乙女ゲームで悪役令嬢ルートを足すなんて。

 そもそも、『白き聖女おとめの祈り』の本編に当たるゲームは五年前に発売されてる。その翌年にはファンディスクが発売されて、そこからさらに二年後、テレビアニメが放映された。わたしがハマったのはこの時期。いわゆる「アニメから入ったファン」。

 一クール十三話を食い入るように見た後、わたしは居ても立っても居られずにゲーム機とソフトを買い揃え、原作ゲームにどっぷり没頭していった。

 だってもうゲームの没入感、ハンパない。攻略対象キャラ全員のお当番回を作りつつ、最終的にはクラヴィスルートで完結したアニメもものすごく夢中になれたんだけど! でも! 彼らの話にじっくりと耳を傾け、いっしょに悩み、その苦しみや痛みも分かち合った上で、二人の未来を選択してゆく臨場感。

 全員のルートでもれなく泣いた。

 もちろんすぐにファンディスクも買ったし、アニメ記念で連続リリースされたドラマCDシリーズ、アニメのDVD全巻、ファンブックに声優登壇のイベントと、バイト代ぜんぶ溶かして追いかけた。

 だからこそ、今さらどこにリリステラルートを加えるのか、わからない。

「……うーん。まあ、考えててもしょうがないんだけど」

 とりあえずいまは、この長い夜が暇ですわね。

 脳内エセ令嬢台詞を呟きながら、わたしはばさりとシーツを剥ぐ。寝台を降り、手始めに寝室の壁際にあるクローゼットの扉を開けてみた。

 大きなクローゼットの中には、あふれんばかりのたくさんのドレス! ……というわけでは、どうやらなかった。リリステラの持つ衣装は、とても目を瞠るほどの量とは言えない。普段着っぽい装いのもの、寝る時に身に付けるのだろう生地が薄くラフなもの。それぞれが三着ずつくらい。ストールに似た羽織や外套なんかもある。

 それから、パーティ用と思しき華やかなものも。

「うわ、わ、そうだこれ、本物……!」

 映画の衣装みたい、とうっかり心が弾んだ瞬間、あれもこれもぜんぶ『本物』なんだって実感してしまった。

 画面の中の小道具じゃない。

 ──実際に、これを着て生活してるんだよね!?

(いや、もうまさにわたしもこの三日間、着て過ごしてるんだけど!)

 それとこれとは話が別だ。

 わたしは好奇心のままにあらゆる棚を引き開けた。空振りの引き出しも多いけど、たまにびっくりするくらいきらきらの宝石も引き当てられる。イヤリング。髪留め。指輪。

 ちゃんと良い物だとわかりつつも、それほど華美なデザインはしていない。『リリステラ』のセンスは、けっこうわたし好みかも。

「んん?」

 宝石類の収められた小さなチェストの、その後ろ。

 探り込む指先が触れたのは、硬い革の感触だった。わたしはそろりと慎重にそれを引っ張り出し、蝋燭の下へと持ってゆく。本だ。でも。

「……日記……?」

 そう思ったのは、表紙にも背表紙にも、なんのタイトルも書かれていないから。

 さらに言うなら、鍵付きだから。

 裏表紙側から小口を渡るような形で、表紙側へと。ごく短いベルトが、でもしっかりと掛かっている。ベルトの先端は金具で留められていて、鍵穴……にしては心許ない、ゆるやかなへこみがある。と。

「えっ」

 へこみに触れたわたしの指が、ぽわんと光る。

 それだけじゃない。おなじ指先に、不思議な熱が灯ったみたいだった。その熱はすうっと鍵の中へ吸い込まれてゆく。……おかしな話だけど、いまのわたしにはそれが何を意味するのかわかるんだ。

(魔法仕掛けの、鍵)

 やがて留め具の下に、かちゃり、と小さな音が立つ。

「開いた……」

 ついさっきまで表紙にしっかりとくっ付いていた金具が、いつの間にかふわりと浮いていた。わたしはその下に指をくぐらせ、なんの抵抗を得ることもなく、ベルトを背表紙側へと垂らす。

 その中に書かれているのは、異世界の言葉たち。

(リリステラの字だ)

 わたしは迷わず、当たり前にそう判別した。……だって、自分の文字だもの。

 不思議。

 初めて目にするその文字を、だけど見知った日本語のように読み取れる。試しにぺらぺらとページを繰ってみるけれど、どの文字もちゃんと意味がわかった。

 そうしてふと見つけた一文に、わたしの目は釘付けになる。

『やはり、わたくしはいずれあの方に殺されるのだと思います』

(あの方?)

 あの方……って、誰?

 リリステラは、自分が殺されるかもしれないことを知ってたっていうの?

 わたしは表紙裏に指を添わせて、進めてしまったページをすべて元に戻す。

 ──リリステラの日記は、クラヴィス王子との婚約が決まった日から始まってた。

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