オープニング 002

(え、待って待って)

(──どういうこと……!?)

 クラヴィス。

 クロヴィス・レイヴス・アイン・エーデン・フォン・ヴェンデルベルト。

 すぐそこに──わたしとおなじ空間に、立っている。体の厚みがある。頭部の丸みに、奥行きがある。どんなに精緻に描かれていても、わたしの知る『彼』は平面だった。けれど。

 いま、彼は蝋燭の光に照らされて、ゆるく癖のついた赤髪をちかちかときらめかせてさえいる。

 それはまるで百獣の王が持つたてがみみたいだった。

 もちろん印象良いように整えてはいるものの、それでも少し長すぎる前髪。その奥に、炎のつよさを写し取ったような緋色の瞳。

 彼が身に付ける衣装は黒と暗い赤色で統一されていて、ゲームの世界観そのまま、ちょっとだけダークな存在感が魅力。

 わたしがいちばんお気に入りのスチルでは、クラヴィス王子は暁の空を背景に、まるで燃え立つ炎のような存在感で凜々しく、神々しく描かれた。

(そうだ)

(『白き聖女おとめの祈り』──わたしの大好きな、乙女ゲーム)

 ここは、その世界にそっくりなんだ。

 いや、そっくり、と言うか……。

「……なるほどな。では手始めに、君の名を問おう。俺は君をなんと呼べばいい?」

「!」

 それは出会った最初に、訊かれること。

 もちろん姓も名も変更可能だけど、変えてしまうと名前を呼んでもらえなくなる。表示されるテキスト上は呼ばれてても、ボイスはぜんぶ「聖女」呼びで──というか、そのへんはストーリー開始前に設定で決めちゃうんだけど。

 名前。

 わたしの、名前は。

結衣ゆいです……立塚たちつか、結衣。……えと、よ、呼ばれ方……最初はやっぱり、立塚さん、とか……?」

「わかった。ユイ」

「えっ……あ、ええと、はい……」

(え)

 わたしが心の中にこぼした声と、もう一人の女の子──立塚さんの上げた声とが、きれいに被る。

(あ、あれ?)

 いつの間にか、わたしはいまのこの状況から置いてけぼりにされているみたい。とっても広い教会(たぶん)の床の上、冷たい石造りのそこに膝を着けているのは、いまはもうわたしだけ。

 立塚さんは扉の近く、王子の目の前に立っている。

「おまえのことを教えてみろ。年齢は? 生まれ育った国と街の名は?」

「は、はい。ええと……」

 高い上背を持つ彼を懸命に見上げながら、立塚さんは懸命なようすで質問に答えている。

 いわく、彼女の生まれ育った国は日本(それはまあ、わたしからは一目瞭然の事実ではある)。とある県立高校の一年生。わたしのひとつ歳下だ。

 彼女は今日が二学期の期末テスト最終日だったそう。両親がすこし成績にうるさくて、独自に課された「合格点」を間違いなくクリアできるようにと、テスト期間中は連日ほとんど寝ずに勉強していた。そのせいで、最後の教科を終える頃にはもうへろへろ。

 それでもどうにか自宅へ帰って、夕ごはんまでのあいだ、ちょっとだけ寝ようとベッドへダイブした──覚えているのは、そうして目を閉じたところまで。

「次に目を開けたら、あの、なんだかすごくまばゆい光の中で……なんだろうこれって思ってるうちに、その光もこう、すっ…と消えて」

 そうして、ここに居たんです、と彼女は話した。

「……ジークリード。理解出来たか?」

「うーん。なんだか興味深い単語がいっぱい聞こえたなあ、と思ってるところだよ、王子様。出来れば聖女様から一つ一つご教授願いたいところだけど、それはまたの機会にした方が良さそうだね?」

「そうしてくれ」

 王子は斜め後ろに立つ人物と短い会話をした。要するに、「何を言ってるかわからん」ってことなんだよね。

 それもそのはず。

『白き聖女おとめの祈り』は剣と魔法のファンタジー世界が舞台。

 現代日本の常識なんて、なにひとつ通用しない。

 そんな異世界に聖女として召喚されてしまった主人公は、最初は当然、文化や生活様式のあまりにも大きな違いに戸惑いながら過ごすことになる、んだけど……。

 わたしは胸に手を置いて、ゆっくり呼吸する。落ち着け。よくわからないけれど、ここはきっとゲームの中の世界。だとしたら、ただ見ているだけなんてもったいない、はず。

 ……聖女が二人召喚された、なんてパターンは、ゲーム本編はもちろん、ドラマCDシリーズやコミカライズ、小説版でも見た記憶はない。でも。

(だってわたし、ここに『居る』のだし)

 わたしだって聖女ですと、名乗り出ても許されるはず。……いや、うん。めちゃくちゃ恥ずかしい。そんなん自分で言う? その時点で主人公の素質なさすぎじゃない? だけど。

(クラヴィス王子が……ほんとに、居るんだ)

 夢でもいい。厚顔無恥でもいい。

 彼と目を合わせて、話が出来るのなら。

(がんばれ。わたし!)

 どうにか覚悟を決めて、わたしは膝を上げようとした。と。

 視界のすこし先に、なにかがあることに気が付いた。なんだろう。光る物……?

(これ、短剣……?)

 石の床に片手を着き、そちらへ身を乗り出すと、落ちているのは短剣だった。それから、その刃をおさめるものだろう鞘。

 金色の柄と鞘だ。

 もしかしなくても、本物の金──かもしれない。どちらもとても凝った装飾が施されていて、その繊細な彫刻といくつか嵌められている宝石が、ゆらめく蝋燭の灯りをきらりきらりと綺麗に弾く。

 こういうの、博物館や美術館でなら見たことある。

 それぞれを拾って、慎重に刃を鞘へおさめると、二つはやっぱり始めからそうだったみたいにしっくりと馴染み合う。

(持ち主、探し出せるかな……)

 こんなに立派なものなんだから、落とし主もきっと探してる気がする。わたしはひとまず短剣をしまうためのポケットか何かを、自分の衣服に探した。

 そうして初めて、いま身に纏っているものはどうやらドレスかもしれないと思い至る。

 しかも、コートを羽織ってるんだ。

 たっぷりとドレープを取ったドレスは、白色と臙脂色のツートン。その裾までしっかりと覆う長いコートは、石造りの背景に溶け込んでしまいそうな灰色のもの。ちょうどよく、その見頃の内側に小さなポケットがあった。ひとまずそこに短剣をおさめて、なんの装飾もない前の合わせをきちんと揃え直す。

 そうして立ち上がると、ドレスはほぼ見えなくなった。おまけにわたし、髪をすべて隠すフードまで被ってるみたい。

「アレクシス、ユイを部屋へ案内してやれ」

 そこへクラヴィス王子の声が聞こえてきて、わたしはつい「あっ」と声を上げそうになった。

 待って待って。

 自分の服装やら拾い物の短剣やらにかまけてる場合じゃない!

 立塚さんを「聖女」と定めたオープニングのシーンは、そろそろこの聖堂(そうだ、聖堂だった)から離れようとしてる。

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