わたしの転生先は、たったいま殺されたばかりの悪役令嬢でした
結森
オープニング 001
それはもうすぐ雨の降りそうな、生暖かい風が吹く晩夏の夜。夜空をどんなに睨んでも星は遠くて、ただ等間隔に並べられた街灯だけが道しるべだった。
見通しのわるい交差点。
小さい頃から、この横断歩道を渡る時は気を付けてって、何度も何度も言われていたのに。
そう──最期の記憶は、大きなトラックの白眼。
わたしを喰らう凶暴な魔物のその二つの眼は、怖いくらいに白く、鋭い。
(あ)
ぽかりと空いたわたしの口からは、すぐそこのコンビニで買ったばかり、たった一口かじりついただけの肉まんが、ぽろりと落ちてく。
(しぬんだ、これ)
わたし。
そうなんだ。
最期の晩餐は、お気に入りの肉まん。……個人的に不服はないけど、十七歳の女子高生にしてはいささか花に欠けるというか──あの、どうか、誰も笑わないでください……。
◇
胸を刺す痛みに、目を瞠る。
胸元の衣服を握り込む自分の指が、視界に見えてた。よろりとよろめく、ブーツの足先。硬い足音。そのまま崩れ落ちてしまいそうな体をどうにか支えながら、わたしは潰えそうな呼気を吐き出す。
「かはっ」
喉が熱い。
どうして、吐いた息はそのまま真っ赤な血の色をして、わたしの衣服にぼたぼたと垂れる。
心臓のすぐ近くが、火をねじこまれたみたいに痛い。
……刺され、たの?
誰に。
わたしはなんとか顔を上げるけれど、視界は奇妙に明るくて、なにも見えない。
(足元が……光ってる)
思う間にも光はその強さを増していき、いよいよ瞼を閉ざさずにはやりきれなくなる。圧倒的な目映さ。まっしろな光。
わたし、どうなったの。
慎重に慎重に、細く頼りない呼吸を繋ぎながら、わたしはゆっくりと屈んでいった。その場に膝を着く。うずくまるようにしてさらに身を屈めていき、縋る気持ちでただ、呼吸を繰り返す。
膝下には、堅い床の感触があった。石の床? とても、冷たい……。
おかげで、わたしは確かに、ここに「居る」。そう信じられた。
「居る」、けれど。
いま少しでも力をゆるめたら、自分の命もばらりとあっけなくほどけていってしまいそう。それだけが怖くて、胸元を握り込んだ指を離せない。
おかしいな。
わたし、交通事故で死んだと思ったんだけど。
夢や幻にしては、体を貫く痛みに容赦がなさすぎる。こわばって震える肺を叱咤して、どうにか動かす。細い糸を辿るように、空気を送り込んで、呼気を吐いて。大丈夫。耳もとにはちゃんと、血の巡る音。わたしは生きてる。
生きてる。
「……え?」
ふいに、別の誰かの声が聞こえた。
それはぽっかり広い空洞にでも放ったみたいに、わんと反響する。
(誰……)
気付けば、わたしの呼吸はだいぶ楽になってるんだった。目を開けると、あの強烈な光も消えてる。視界には、濃い臙脂色のスカート。たっぷりドレープを取った、ワンピースみたいな……。
「こ、ここどこ……っ。えっ? えっ?」
すぐ近くにいる『もう一人』は、どうやらとても混乱している。「やだ」「なんで」と意味を成さない言葉を零しながら、あたり一帯をぐるぐる見回しているみたい。聞こえる声が、あっちの壁に跳ねたり、こっちの壁に跳ねたり。よろめくような頼りない靴音も絶えない。
そして相変わらず、それらすべての音はわんわんと反響を生み出しているんだった。
(胸は……もう痛く、ない)
わたしは努めて冷静に自分の状態を確認する。それから、やっと視界を上げた。恐れた痛みは、今はもう、わたしの胸部を襲わなかった。二度、三度と、念のために深呼吸をしてみてから、ゆっくりと指の力をほどいてゆく。
良かった。
もう、大丈夫だ。
と、いうか。
(教会……?)
ようやく見上げた天井は、思うよりもはるかに高い。わたしの居るちょうど真上、この建物の中央の位置に、なにかの意匠をあしらったステンドグラスが嵌められていた。
そこに注ぐ光はひとすじもない。
いまは、夜なんだ。
星闇を背負うステンドグラスの、静謐な沈黙。徐々に視線を下ろしてゆけば、正面にはやっぱり光のない薔薇窓と、さらに華やかなステンドグラスがあった。
そして、白い石像。
わたしは唐突に、どうしてかすごく見覚えがあるような気持ちを覚えて、ぱたりと瞬く。
「あれ……?」
なんだったっけ。
ヴェールを纏った女性の姿。燭台の蝋燭に照らされたそれは、いっそ艶めかしいほどつややかな肌をしている。例えばそう。もっとずっと精緻に造り上げられたものだったら、その顔立ちや浮かべた表情までわかっただろう。
でも、ここに置かれている像は、目鼻の陰影がようやくわかるくらいに素朴なもの。
それなのに、わたし。
わたしはたぶん、『彼女』の顔を知ってる……?
「あ、あのっ」
「!」
不意に横合いから声を掛けられて、わたしは肩を跳ねさせる。突然の声の主は、「すみません」と謝りながら、わたしと同じように石の床に膝を着いた。なんだか縋るような表情で、だけど努めて冷静に、その女の子はこちらに問い掛けてくる。
「つかぬことをお伺いしますが、あの。ここは、どこでしょうか……?」
「──」
どこ? と、言われても……。
わたしは戸惑い以外の感情が見つけられないまま、もう一度、辺りを見回してみる。石造りの建物。豪奢なステンドグラス。無数に灯された、燭台の蝋燭たち。
陳腐な言い方をすれば、「映画のセットみたい」。
でもたぶん、彼女が聞きたいのはそういうことじゃない気がする。
わたしは傍らの女の子に目線を戻した。
大きな瞳が印象的な顔立ち。とはいえ特に派手すぎもせず、かと言って地味でもない、親しみやすさを覚える雰囲気の子だ。胸あたりまでの黒髪に、制服姿。紺のブレザーに同じ色のプリーツスカート。どこの学校だろ、と校章を探したけれど、見える部分には付けてないみたいだった。
でもなんとなく三年生ではないような雰囲気だから、同学年か後輩。
ごめんなさい、わたしもわからない。
そう答えようと、唇を持ち上げた瞬間──。
「光柱が立てば即座に報告しろと言っておいたはずだろう! 聖女の召喚が成功であれ失敗であれ、明日の朝には王は結果を聞きたがる……」
大きな音を立てて、扉が開かれる。
それといっしょに踏み入って来たのは、暗赤色のマント纏う王子様だった。王子様。一目でそう思ったのは、わたしがこの『彼』を知っているから。
(クラヴィス王子)
天井まで届くほどの大扉を押し開けた、力強い腕の動き。それに連れ、背を半分ほど覆う長さのマントがひらりと空気に波を描く。そのなびく裾。なめらかにひらめく表地の赤と、裏地の黒。それはまるで炎のように目に映る。
おなじくあかあかと燃え立つ焔のような、彼の髪色。
マントを留めた肩口には、見慣れた紋章があった。この王国の紋章。双剣と鷹の。……もちろん、遠目にはそこまで見て取れない。そのはずなのに、わたしはありありとその紋様を思い描くことが出来る。
だってドラマCDシリーズの予約特典でもらった紋章ピンバッジ、勉強机のいちばん見やすいところに飾ってるんだもん……!
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