第29話 取り越し苦労

 髪の毛や身体を洗い終えて、恭平はシャワーを終える。

 シャワーカーテンを開き、バスマットの上に降りて、バスタオルで身体を拭いていく。

 身体を吹き終えて、持参した寝間着に着替えを終えた恭平は、へとへとの状態でユニットバスを出る。

 部屋に戻ると、来羽が首にバスタオルを掛けた状態でドライヤーを掛けていた。

 恭平はその後ろを素通りして、定位置である椅子へと腰かける。

 しばらく、部屋にはドライヤーの音だけが鳴り響いてくれていたおかげで、恭平も変な気持ちを抱くことなく、心を落ち着かせることが出来た。

 ドライヤーの音が鳴り止み、来羽がパサパサっと髪を揺らして乾いているのを確認してから、恭平の方へ顔を向けてくる。


「使うか?」

「あ、うん。ありがと」


 恭平は立ち上がって来羽の元へと近づいて行き、ドライヤーを受け取る。

 そのまま立った状態で、ドライヤーの電源を入れ、髪の毛を乾かしていく。

 髪が大体乾いたところで、ドライヤーの電源を止めて、コンセントから電源を抜き取る。


「これどこにしまってあった?」

「そこの机の引き出しに入ってた」

「おっけい」


 机の引き出しを開けて、中にドライヤーを仕舞い込んで、恭平は再び椅子へと戻る。

 バッグに入れておいたスマホを取り出して、何の気なしに時間を確認すると、まだまだ寝るには早すぎる時間だった。

 さて、ここで問題です

 男女の友達で、この後同じベッドで寝ないといけません。

 そんな時、出来るだけ意識しないために、取った方が良い行動とは、一体なんでしょうか?

 恭平の頭の中に浮かんだ答えは、ゼロ。

 まさに頭が真っ白状態とはこの事。

 お互いにベッドを意識しないよう、スマホを眺めている事しかできない、気まずい沈黙の時間がやってきてしまった。

 どうしたものかと、恭平が思考を巡らせていると、来羽がふぅっと大きなため息を吐いて、意を決したようにこちらを見つめ来る。


「恭平、ベッドに乗れ」

「えっ、どうして?」

「どうしてじゃない。挙動を見れば、私に気を使ってくれてることぐらい分かる。これから二人で寝なきゃいけないんだ。変にお互い意識しすぎて眠れないより、慣れてしまった方が早いからな。それに、私は明日も練習に参加しなきゃならない。本格的な練習に参加できないとはいえ、寝不足で足手まといになるのだけはごめんだからな」

「そ、そうだよね。来羽は明日も部活なんだもんね。悪い、気が利かなくて」

「謝らなくていい。とにかく、お互い気遣うことなくベッドでくつろごうじゃないか」

「そうだね、分かった」


 これ以上、来羽に迷惑をかけるわけにはいかない。


「それじゃ、お言葉に甘えて」


 恭平は覚悟を決めて、ベッドの上に身体を乗せた。

 ふわりと身体を包み込むように柔らかく反動するベッド。

 反対側から、来羽もベッドの上に乗ってくる。


「ふぅ……」


 と思いきや、いきなり大胆にもベッドにダイブして、寝転がってしまう。


「だ、大丈夫?」

「全く、誰のせいだと思ってるんだ」

「わ、悪い」

「冗談だ。今日は色んなことがあったから、はしゃぎ疲れて寝転がりたくなってしまったんだ。許してくれ」

「まあそんな時もあるよね。お疲れ様」

「あぁ……」


 斜めに寝転がっている来羽の邪魔にならぬよう、恭平はベッドの端のほうで頭部板に背中を預けて足を延ばした。

 しばらく、意識しないようにスマホを操作して時間をつぶしていると、すぅーすぅーっと心地よい寝息が聞こえてくる。

 来羽は本当に疲れていたのだろう。

 恭平が同じベッドにいるにも関わらず、無防備にも眠りについてしまった。


「ははっ……ったく、無防備すぎるだろ」


 恭平は思わず髪の毛をくしゃくしゃとしてしまう。

 あんなに意識していた自分が馬鹿に思えてくる。

 恭平には、もうやましい気持ちなどこれっぽっちも湧かなかった。


「来羽、ちゃんと布団かぶって寝ないと風邪引くぞ」

「んんっ……んにゃ?」


 恭平の言葉に対して、寝ぼけて可愛らしい声を上げる来羽

 それを聞いて、恭平は思わずくすりと笑い声を漏らしてしまう。


「んんっ……なんで笑ってるの?」

「何でもない。ほら、こっちにおいで」

「うん……」


 重い体を何とか起こして、来羽は恭平がペロっとめくってあげた枕もとのスペースへ、四つん這いでハイハイしながらやってくる。

 そして、足からズボっと布団とシーツの間へ身体を入れると、そのままパタンと枕へ頭を下ろしてしまう。


「おやすみ、来羽」

「むにゃ、むにゃ……お休み恭平」


 こうして、子どものように眠りにつく来羽がすぐに眠りにつくのを見送りながら、恭平は寝る支度を整えるため、そっとベッドから出るのであった。



 ◇



「うぅ……」


 鉛のような重みを右半身に感じて、恭平は目を覚ました。

 視界に見えるのは、見覚えのない白い天井。


「んんっ……ん?」


 重たい右半身を確認しようと首を向けた途端、ピトっと何か柔らかいものが恭平の鼻先に触れる。


「あっ……」


 その触れた物が何なのか理解して、恭平の眠気は一気に吹っ飛び、目を見開いてしまう。

 恭平の目の前に映るのは、可愛らしくて美しい白い肌、長い睫毛をピクピクとさせながら、縮こまるように眠っている美少女の寝顔だった。

 恭平は首をすっと上に戻して、白い天井を見つめる。

 昨日、色々と手違いがあったため、来羽とダブルベッドで寝ることになったことを思い出す。

 そして、来羽が先に眠ってしまった後、恭平も出来るだけ近寄らぬようにして眠りについたのだが、気づいたらお互いに寝返りを打って近づいてしまったらしい。

 来羽は恭平の右半身に腕を絡めて、まるでじゃれつく猫のように身体をくっつけて眠りについていた。

 右半身に感じる、女の子らしい柔らかさ。

 いくら毎日バリバリバスケで身体を鍛え上げているとはいえ、女の子であることに変わりはない。

 どうしても恭平の意識は、右半身へと向かってしまう。

 腕に抱き付かれ、むにゅりと感じる来羽の胸元の感触。

 寝間着越しだというのに、なんだかとても生々しい。

 そして、鍛え上げられたすらりとした足も、恭平の右足を挟み込むようにして絡みついている。

 上下から感じる、来羽の健康的なむちっとした太ももの弾力が絶妙で素晴らしい。

 そんな来羽の身体の感想を、頭の中で事細かに一人解説していると、来羽がすっと身体を動かした。


「んんっ……はぁ……んにゃにゃ……」


 普段の口調からは信じられないほどの可愛らしい猫のような撫で声を出して、さらに抱き付く力を強めてくる。


「うっ……ちょ、来羽っ」

「んー?」


 来羽はふぅっと息をついて、眠たそうにしながらゆっくりと重い瞼を微かに開いた。


「お、おはよう……」


 恭平と来羽は至近距離で数秒間じっと見つめ合う。

 すると、来羽が突然はっと目を見開いて、恭平に思いきりくっつけてきていた身体をパッと離して飛び起きた。


「あぁっ……あっ、あぇっ……あっ」


 動揺していて、口をパクパクとさせ、言葉にならない吐息をつく来羽。


「来羽落ち着いて、ゆっくりでいいから深呼吸して。はい、吸って?」

「スゥー……」

「はい、もう一回吸って」

「スゥーヴッ……」

「はい、もう一回吸う」

「ゲボッ、ゲホッ……窒息するわ!」


 来羽が突っ込みを入れてきたので、恭平はぷっと吐きだしてしまう。


「おはよう来羽、落ち着いた?」

「お、おはよう……す、すまない。無意識に抱き付いていたみたいだ」

「別に平気だよ」


 役得でしかなかったとは、口が裂けても言えないけどね。

 そんな感じで、恭平は少し得な思いをしつつ、来羽との一夜を無事に乗り切った。



 ◇



 ホテルの室内で朝食を取り、来羽は朝のシャワーを浴びてからホテルをチェックアウトする。


「それじゃ、今日も練習頑張ってね」

「あぁ、恭平も帰り道に気を付けるんだぞ。今日はこまるが来るはずだから、しっかり助けてもらうんだぞ」

「はいよ」


 そんな会話をしつつ、来羽と大学の正門前で別れて、恭平はアパートへと向かって歩き出す。

 可能性はほとんどないだろうけど、万が一果林さんが角から飛び出して襲ってくることを想定しつつ、恭平はアポートまでの道を歩いて行く。

 何事もなくアパートの前まで到着して、ゴミ集積所の横から外廊下へと入った。

 すると、一階の外廊下。

 101号室から、まるでタイミングを計っていたかのように果林さんが出てくる。


「あっ……」


 恭平は足を止め、その場で立ち止まって固まった。

 果林さんはどこかに出かけるようで、スリット入りのタイトなグレーのロングスカートに黒のカットソーという大人の雰囲気を纏ったカジュアルな格好をしている。

 扉の鍵を閉めて、恭平がいる方へ歩き出したところで、果林さんがようやく恭平の存在に気付いて立ち止まる。


「あら恭平君。おはよう」

「お、おはようございます果林さん。い、今からお出かけですか?」

「そうなのよ。学生時代の友達とショッピングなのよ」

「そ、そうですか……楽しんできてくださいね」

「ありがとう」


 あの未遂事件以来、顔を合わせるのも初めてだったので、とても居心地が悪い。


「どうしたの恭平君?」


 一方の果林さんは、気にした様子もなくこてんと首を傾げて尋ねてくる。


「い、いえ……何でもないです」

「あらそう? 何かあったら、お姉さんがいつでも相談に乗ってあげるわよ」

「えと、い、今は結構ですので」


 恭平がおろおろしていると、上の階の外階段から、タッタッタっと軽快な足音が聞こえてきたかと思うと、バッと綺麗に着地した赤髪の女の子が唐突にぎゅっと恭平の腕へと抱き付いてきた。


「ダメ! 恭平は渡しません!」

「こ、こまるちゃん⁉」


 恭平の腕に抱き付いてきたのは、スウェット姿のこまるちゃんだった。

 ガルルルルっと警戒心むき出しにして、果林さんを睨みつけている。


「そんなに警戒しなくても平気よ。もうあんな真似はしないから」

「あなたの言葉は信用なりません。大丈夫恭平? 何かされてない?」

「あぁ、うん。平気だよ」


 恭平がこまるちゃんへそう答えると、果林さんはふぅっとため息を吐いた。


「それじゃ、私はもう出かけるわね」


 これ以上茶番に付き合ってられないといった様子で、こちらへ歩いてくる。

 恭平は果林さんの道を開けるようにして横に逸れた。

 隣では相変わらず恭平の腕にしがみつきながら、果林さんを睨みつけるこまるちゃんがいて、その横を妖艶な笑みを浮かべて、果林さんは通り過ぎて行き、アパート前の道へ出ると、そのまま駅の方へと歩いて行ってしまう。

 息が詰まるような緊張感が解け、恭平はふぅっと息を吐いた。

 すると、ぎゅいっとこまるちゃんが恭平の袖を引いてくる。


「もう恭平! どこ行ってたの? 朝から部屋に行ったのに、出なくて心配したんだからね⁉」

「ごめんごめん。来羽の計らいで、別の所に泊りに行ってたんだ」

「そうだったのか! なら今からは、こまるとの時間です! 早速私の部屋に来て来て!」

「えっ、こまるちゃんの部屋に行くの?」

「お願い恭平。もう恭平なしじゃ生きていけないの」

「それってつまり要約すると、こまるちゃんの部屋を掃除しろってことだよね?」

「さっすが恭平、分かってるー! ってことで早速レッツゴー!」

「待て待て待て、一旦部屋に戻らせてくれ、自分の洗濯とか色々準備したいから」

「ダメ! 今から恭平は、こまるの専属家政婦だから!」

「こまるちゃんの家政婦になった覚えは一度もないんですけど⁉」

「つべこべ言ってないでいいから来る!」

「あっ、ちょ……そんなに引っ張らないで、服伸びちゃうから」


 こまるちゃんに引かれて、恭平は102号室に戻ることなく、そのまま203号室へ直行させられる。

 そして案の定、こまるちゃんに案内されて入った203号は、以前よりはマジなものの、散らかったお弁当のプラスチック容器などが散乱しており、異臭が漂っているのであった。

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