第25話 お互いを知るという事
八月の下旬になっても、熱帯夜は猛威を振るっており、外気温は三十度を超えている。
室内はエアコンを付けているので、室温二十七度と快適ではあるものの、恭平は眠りにつくことが出来ないでいた。
理由はもちろん、お風呂場で朋子さんの刺激的で妖艶な姿を見てしまったため。
あれ以降、二人の間にむわりとした変な空気が漂ってしまい、朋子さんとまともに会話する事すら出来なくなってしまった。
お互い特にするようなこともなかったので、恭平は寝る支度を整え、とっととベッドに潜り込で狸寝入りしたのである。
朋子さんも、すぐに眠ってしまった恭平を咎めることなく、恭平に続くようにして、大人しく隣の部屋で眠りについてくれた。
辺りは静まり返り、暗闇の中では、エアコンの風の音だけが微かに聞こえてくるだけ。
恭平はしばらく目を閉じて、羊を数えていた。
しかし、羊は柵を飛び越えて走り抜けていくどころか、囲われた範囲の中に増殖していって、とてつもない数の羊たちがメェェェーっと盛大な大合唱を頭の中で奏でていた。
「はぁ……」
寝付くことが出来ず、何度も寝返りを打ちながら。無意識にため息まで漏れ出てしまう。
朋子さんに対する警戒心から寝れないのか、それとも朋子さん自身を女性として意識してしまっているからなのか、はたまたそのどちらもなのか、原因が分からない。
もう何度目か分からない寝返りを打ち、恭平が一つ咳ばらいをしたところで、ダイニングの方から羽毛布団の擦れる音が聞こえてくる。
どうやら、朋子さんが寝返りを打ったらしい、音が収まったかと思いきや、すぐさま再び朋子さんが寝返りを打つと、今度はふぅっとため息のような吐息が恭平の耳に届く。
再び音が鳴りやみ、部屋に静寂が訪れた所で、恭平が恐る恐る声を上げた。
「朋子さん。起きてますか?」
恭平が尋ねて数秒立ってから、ダイニングの方から透き通った声が返ってくる。
「あら恭平君。まだ寝てなかったの」
「はい……中々寝付けなくて」
「どうして?」
「言わなきゃ分かりませんか?」
「ふふっ……恭平君って案外うぶなのね」
「悪かったですね。そうですよ、俺は朋子さんよりも経験が少ないチェリー君ですよ」
「あら、別に拗ねる必要なんてないわ。むしろ素晴らしい事じゃない」
恭平が不貞腐れたように言うと、朋子さんが優しくフォローしてくれる。
「でもそうね、やっぱり刺激が強いものを見た後に興奮して眠れなくなってしまうのは、仕方のない事よね」
「あの、生々しい話を蒸し返すのやめてもらっていいですか?」
「だって、私もあんなに立派な物見せつけられたら、身体が火照って寝付けないんだもの」
「お見苦しいものをお見せしてしまってすいません」
「そんなことないわ。たくましくてかっこよかったわよ」
「うっ……なんでそう言う事言うんですか」
折角意識しないようにしていたのに、また下半身が勝手に熱を帯びてきてしまうではないか。
「だって、褒めてあげた方が男の人だって嬉しいでしょ? 私だって、恭平君に身体を褒めてもらったんだから、褒め返してあげるのは当然の事よ」
「出来れば、もっと別のところを褒めて欲しかったですよ」
「それじゃあ恭平君は、例えばどんなところを褒めたら嬉しいと思うの?」
「そうですね。俺だったらこう、もっと内面的な部分を褒められたら嬉しいですよ」
「内面的な部分かー。そうだなぁ……恭平君は生真面目で、常に物事に対してひたむきに取り組んでて凄いと思うわ」
「あっ……ありがとうございます……」
恭平が予想していたよりもまともな答えが返ってきたので、お礼の言葉しか出てこない。
「あっ、それから、こうやってお姉さんのエッチな誘惑にあらがえないところも可愛いわ」
「可愛いって言われるのは、あんまりうれしくないです」
「あら、そうなの? なら、お姉さんを見てイキリ立ってしまう正直さがカッコいいわよ」
「いいように言ってますけど、それただの生理現象ですから!」
恭平が突っ込むと、くすっと笑い声をあげる朋子さん。
「まあでも内面ねぇー。私は今まで褒められたことないなぁー」
過去の事を思い返すように、朋子さんが嘆く。
「ねぇ、恭平君から見て、私の内面的に良い所ってどこかしら?」
「えっ? そうですね……」
恭平は朋子さんを傷つけないよう、慎重に言葉を選ぶ。
「何というか、放っておけない庇護欲みたいなのをそそられますね」
「それ、褒められているの?」
「もちろんです。なんというか、抜けてるところが多くて危なっかしいんですけど、朋子さん自身はそんなことがあっても絶対に落ち込まないというか、例え落ち込んだとしてもすぐに切り替えて、他の人のために何かしてあげようと尽くそうとしてくれるところ、素敵だと思います」
「……」
「あの……何か言ってください」
「あっ、えっと……そんな風に私を思ってくれているとは思わなかったから……」
声色だけでも、朋子さんが恥ずかしがっているのが分かる。
「そんな朋子さんの優しさに付け込んで、悪事を働く男性にしか出会ってこれなかったのが残念とですけど。朋子さんみたいにいつも明るく振る舞ってくれて、相手に尽くしてくれる誠実さがあれば、いずれ必ずどこかで朋子さんの事を幸せにしてくれる人が現れると思いますよ」
「……それは、遠回しに私の恭平君に対する好意を断わろうとしているのかしら?」
「そういうわけじゃないです。ただ、朋子さんは例え相手が俺じゃなくても、どの男性にも同じように接しますよね? だから俺は、朋子さんともしお付き合いをするなら、他の人も知らないような、朋子さんの内面を知りたいんです。もちろんそこには、さっき朋子さんが言ってた夜の面も含まれるのかもしれません。ただ、それ以外のところでも、俺と朋子さんにしか知らないような良い所をお互い沢山見つけて行けるような関係になっていきたいんです」
「……」
恭平が熱い気持ちを伝えると、朋子さんは何も言わぬまま黙り込んでしまう。
「あっ……ごめんなさい。ちょっと熱く語り過ぎちゃいましたよね。気持ち悪くてごめんなさい」
「いえっ、そんなことはないわ。ただその、そう言う風に言ってくれる人、初めてだったから、どう言葉を返したらいいのか分からなくて……」
朋子さんが初めての経験に戸惑っていただけだと分かり、恭平はほっと胸を撫で下ろす。
これでもし幻滅でもされていたら、朋子さんが恭平の事を見る目も分かっていただろうから。
「朋子さんにとっては初めてかもしれないですけど、これが俺の親睦の深め方です。慣れていないものに触れていくのは怖いと思いますが、ゆっくりでいいので他愛のない普通の一面でいいので、俺に朋子さんの初めての部分を見せてくれると嬉しいです」
恭平が言いきると、朋子さんはしばらく黙り込んだ後、震えるような声で口を開いた。
「分かったわ。恭平君の言う通りにしてみるわ。あなたに私の新たな一面を見て貰えるよう、頑張ってみるね」
朋子さんは、決意を込めて前を向いてくれた。
「ありがとうございます。これからも色んな一面をお互い見せて行きましょう」
「えぇ」
これでいい、お互いの内面的な部分をより深く知る事で、ふとした時に出る性格だったり、特徴というのをオープンにしていく事で、本当にこの相手と付き合って行けるのかどうか、ようやく判断ができるのだから。
正直朋子さんとはまだその域までには達していない。
だから、もっと深く関わり合いをもって、お互いの性格を知った上で、それでもなお、朋子さんが恭平に好意を持っていてくれるのであれば、それは本当の恋と呼べるのではないだろうか。
こうして、朋子さんとお互いの内面を見せていくという事を約束したことで、恭平もようやく心が少し落ち着いたのか、眠りにつくことが出来たのであった。
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