第26話 部活と過去と怪我

 翌日、恭平は朋子さんと一緒に起床して、総菜パンを朝食として頂いて、朋子さんが持ってきた布団などの大荷物をリュックに仕舞い込むのを手伝った。


「それじゃあ恭平君。またね」

「はい、また」


 朋子さんは恭平の部屋を後にして、隣の部屋へと戻っていった。

 今日はこの後来羽が来ることになっている。

 それまで恭平は、部屋をある程度綺麗にしておくことにした。

 すると、部屋の掃除を始めて五分もしないうちに、ピンポーンと部屋のインターフォンが鳴り響く。


「はいはーい」


 恭平が玄関の覗き窓を見れば、外廊下にはスポT姿の来羽が立っていた。

 玄関の扉を開けると、来羽は爽やかな笑みを浮かべて挨拶してくる。


「おはよう恭平、今日は一日よろしく頼む」

「おはよう来羽。こちらこそよろしくね」


 来羽は首にタオルを巻いており、肌も赤く上気している。

 髪はしっとりと濡れており、呼吸も少し荒い。


「もしかして、運動帰りによってくれたの?」

「あぁ、朝のランニングは、私の日課だからな」

「来羽は凄いね。俺だったら練習だけでへばっちゃうよ」


 大学の部活の練習だってきついだろうに、朝も欠かさずランニングとは、本当に頭が上がらない。

 すると、そんな来羽が申し訳なさそうに声を掛けてくる。


「早速ですまないが、一泊分の身支度を整えてくれるか?」

「え、俺が?」

「あぁ、実は、今日も私はこれから部活なんだ。恭平を一日監視する以上、野放しにしておくわけにはいかない。だから、恭平には大学近くのホテルに泊まってもらう」

「まさかの外泊⁉」

「急ですまない。事前に言っておけば、恭平も心構えが出来ていたというのに」

「いやいや、それは全然平気だよ。むしろ気を遣わせちゃってごめん」

「気にするな。私とお前の仲だろ。それに、危険人物が隣に居る以上、アパートから離れた方が安全だろう」


 来羽の言う通り、恭平が街へ出てしまえば、果林さんに襲われる可能性はぐっと低くなる。


「私は着替えを済ませてくるから、準備を進めておいてくれ。三十分したらまた戻る」

「うん、分かった」

「それじゃ、よろしく」


 そう言い終えて、来羽は颯爽と駆け足で部屋へと戻っていった。

 恭平も一旦玄関の扉を閉めて、早速一泊分の荷支度を開始。

 下着や寝間着、財布やスマホの充電器など、必要最低限の物をリュックに入れて、部屋着から外出用の服へと着替える。

 ワックスで髪を整え、軽く香りづけをして身支度を済ませたところで、再びピンポーンとインターフォンが鳴り響く。

 恭平がリュックを背負って玄関へと向かい扉を開けると、そこには大学のスポーツウェア姿に身を包んだ来羽が立っており、肩にはエナメルバッグを背負っていた。


「すまない、待たせたな。早速行こうか」

「うん、よろしく」


 恭平が靴を履き、外廊下へと出て、玄関のカギを閉めて来羽に向き直ると、突然来羽が手を差し出してきた。


「背中をケガしてるんだ、代わりに荷物を持つぞ?」

「重い荷物が入ってるわけじゃないし。全然背負ってても痛くないから平気だよ」

「そうか? いつでも痛みを感じたら言ってくれ。ケガが悪化してしまったら元も子もないからな」

「ありがとう。そうさせてもらうよ」

「それじゃあ、早速向かおうか」


 こうして、恭平来羽は二人一緒に並んで大学へと向かって出発。

 住宅街を歩いて十分ほどで、二人は大学の正門へあっという間に到着する。

 門をくぐり、そのままメインストリートを真っすぐ歩いて行く。


「そう言えば、俺引っ越してきてから初めて大学に来たかも」

「道順は覚えたか?」

「うん、来羽のおかげでばっちり」

「なら良かった。授業とかで同じになった時は、よろしく頼む」

「そうだね」


 そんな感じで、夏休み明けの話をしながらキャンパス内を歩いて行き、向かったのは来羽が所属するバスケ部の練習が行われる体育館。


「私は今から練習だけど、恭平も見ていくか?」

「うん、せっかくの機会だから、見学させてもらうよ」

「分かった。なら階段を上った先にあるギャラリーで見てるといい」

「そうさせてもらうよ」

「それじゃ、また練習終わりに体育館前集合な」

「うん、頑張ってね」


 来羽と別れ、恭平は一人階段を上っていき、体育館上にある観客席に腰かけた。

 既に体育館内では、数名のバスケ部員達がストレッチやハンドリングなどを行い、各々練習が始まる前の自主練に励んでいる。

 しばらくその様子を眺めていると、体育館の入り口のドアが開き、練習着に着替えた来羽が姿を現す。

 来羽はストレッチしている部員のそばまで行くと、ニコニコと笑顔を浮かべながら手を上げて挨拶を交わして、隣へ座り込む。

 そのまま、二人で仲良く何やらおしゃべりに興じつつ、ストレッチを始めていく。

 こうしてギャラリーから来羽がストレッチしているのを見ていると、恭平も当時の事を思い出す。

 グラウンドの陸上トラックの端で、全員輪になってストレッチを行う部員達。

 そして、キャプテンの掛け声がかかり、ストレッチを終えた部員達が声を上げてトラックを走り出だしていく姿を、恭平はただ眺めている事しかできなかった辛い日々の事を……。

 恭平が物思いに耽っていると、『集合』というキャプテンらしき女子部員の甲高い声が上がり、部員たちが一斉に入り口から入ってきた監督と思わしきサングラスをかけた男性を囲うようにして集まる。


「気を付け、礼」

「お願いします!!!」


 バスケ部員達の声がかかり、監督らしき人物が話し出す。


「よし、それじゃあ今日も気合入れて行こう。来週から始まるリーグ戦に向けて、しっかり準備するように」

「はい」

「それじゃ、まずランから開始」


 監督の掛け声とともに、女子バスケ部の練習が始まる。

 練習が始まるなり、バッシュのキュ、キュと床に擦れる音と部員達の甲高い声が体育館内に響き渡る。

 来羽も例外ではなく、大きな掛け声を上げつつ練習に励んでいた。

 その後、ボールを使った練習が始まると、プラスしてダム、ダムとバスケットボールをドリブルする音が室内に鳴り響く。

 その雑音を聞きながら、恭平は来羽の姿をしばらく追い続けていた。

 来羽は他の選手に比べて身長が低く、スピードで勝負するタイプの選手らしい。

 先ほどから機敏な動きで緩急の付けたドリブルを振り返し、何度もレイアップシュートやジャンプシュートを決めている。

 次に、実戦形式の練習へと移ると、来羽はビブスを着たチームの中心選手として、ボールを敵陣へと運ぶいわゆるガードというポジションを担っていた。

 ボールハンドリングさばきもさることながら、緩急の付けたドリブルから、あっという間に相手を置き去りにしていく姿は圧巻の一言。

 そのままゴール前へと突破していき、シュートへ行くのかと思いきや、スっと後ろへノールックパス。

 コーナーに立っていた選手にパスが通り、その選手は迷わずにスリーポイントシュートを放つ。

 綺麗な放物線を描いたシュートがスポっと音を立ててネットに突き刺さる。


「ナイッシュー!」


 チームメイトたちからの声が上がり、すぐさまディフェンスへと戻っていく。

 バスケットは攻守の入れ替わりが激しいスポーツであるとは知っていたけれど、大学のレベルになるとここまで激しいのかと終始恭平は驚かされた。

 そしてもう一つ分かったのは、来羽がチームの中心メンバーで司令塔であること。

 何度も味方選手へ立ち位置などを指示しながらボールをコントロールして、自らドリブルでしかけて行ったり、時にはパスを散らして自分が囮になり、スペースを開けてあげたりしていた。

 相手チームの選手と十センチ以上の体格差がある中、来羽はディフェンス面でも身体を張り、相手を簡単に抜かせないことを心がけ、懸命に対格差を感じさせぬディフェンスを見せている。

 そして、相手が一瞬でも油断を見せれば、まるでハイエナのように襲い掛かり、ボールを奪い取って、一気にドリブルを開始してグングンとスピードを上げて独走状態で綺麗にレイアップシュートを流し込む。

 来羽の完璧な試合運びと戦術眼に、恭平も気付いたら見入ってしまっていた。

 コートの上で輝く彼女は、まるで妖精が舞い降りたかのよう。

 滴る汗すら、彼女を彩る為にキラキラと輝いているように見える。

 そしてふと、来羽を見て思い出されるのは、恭平自身の出来事。

 前には誰も見えない陸上トラックの上。

 一定のリズムを刻んで走り続け、呼吸を乱すことなくペースを崩さない恭平。


「ラスト一周! 新記録狙えるぞ!」


 そこで、監督からの声がかかる。

 恭平はラストスパートで一気にギアを上げ、さらに一歩一歩力強く地面を蹴り、飛ぶように駆けていく。

 トラックの半周を回り、残り200メートルを切る。

 そして、ぐっと左足へ力を入れて、さらにスパートを入れるように足を踏み込んだ時だった。

 ピキッ……ブチッ!

 身体の内側から切れるような音が聞こえたかと思ったときには、もう既に恭平は宙を舞っていた。

 左足に力が入らず、そのまま両膝を打つようにして倒れ込みう。


「イ”ッ⁉」


 刹那、強烈な痛みが恭平に襲い掛かる。

 苦痛の表情を浮かべ、その場にうずくまって立つことが出来なくなってしまう。

 それからの記憶は、あまり覚えていない。

 気付いたら担架に乗せられて、ゴールテープを切ることなく競技場の外へと運ばれていき、そのまま救急車べ病院へ運ばれていた。

 恭平はそうして……


 キュッ……バタッ!

 すると、コートに異質な音が聞こえ、恭平は思考から戻ってきて我に返る。

 視線を体育館に戻せば、来羽が足首を抱えてコートの中央で倒れていた。


「坂本!」


 監督が思わず叫び声を上げ、チームメイトたちも練習を中断して、心配そうに来羽の元へと駆け寄っていく。

 恭平も気付けば椅子から立ち上がり、来羽の様子を心配そうに見つめる。

 しばらくして、輪の中から部員の左右の肩を借りながら、足を引きずる来羽が、ゆっくりと体育館の外へと歩いて行く。

 恭平は、慌ててギャラリー席から立ち上がり、体育館入口へと向かう。

 嫌な心のざわつきを覚えつつ、恭平の左膝に残る違和感を押し殺して、来羽の元へ無心で駆けて行った。

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