第15話 険悪なムード……⁉

「ねぇ……ねぇってば!」

「んんっ……んぁ?」


 恭平が目を開けると、視界には腰に手を当て、こちらを見下ろしている鳴海ちゃんの姿が映った。


「やっと起きた。ご飯できたわよ」

「あぁごめん、気づいたら寝てたみたい……。起こしてくれてありがとう」


 ベッドで鳴海ちゃんが料理する音を聞いていたら、いつの間にか眠りについていたらしい。


「よいしょっ……あいてっ……」


 無意識に身体の反動をつけて起き上がってしまい、恭平の背中にじんとした痛みが伴う。


「そんな勢いよく起き上がったら痛いに決まってるでしょ。アンタは今ケガしてるんだから」


 寝起きで頭が働いておらず、負傷していることを完全に失念していた。


「あははっ……ごめんごめん」

「全くしっかりしてよね。これでまた悪化しちゃったら意味ないでしょ」


 確かに、せっかく鳴海ちゃんに色々とお世話をしてもらっているのに、寝ぼけてケガの事を忘れたまま、今のように思いきり身体を動かして余計悪化させてしまったら、本末転倒である。


「今ご飯持ってきてあげるから、机の前で待ってて」

「ん、分かった」


 鳴海ちゃんはため息を吐いてからくるり踵を返して、キッチンへと向かって行く。

 恭平はベッドから降りて、ローテーブルの前に腰かけ、背中をベッドの縁にもたれかけた。

 しばらくして、鳴海ちゃんがキッチンからお盆に乗せた状態で夕食を運んできてくれる。


「はい、お待たせ」


 お盆ごとローテーブルの上に置かれて、出来立ての料理が恭平の前に露わになる。


「おぉ……すげぇ……」


 鳴海ちゃんが作ってくれた料理を見るなり、恭平は感嘆の声を上げてしまう。

 お盆の上には、生姜焼きと千切りキャベツが乗せられたメインのお皿に加えて、白米に人参と玉ねぎの味噌汁、さらにはデザートのプリンまでついていた。

 といっても、プリンに関しては市販で売られているものが置かれているだけだけれど、恭平にとってはこんなに栄養バランスを考えた食事を提供してくれるだけで感謝しかない。


「すごい美味しそう。これ、全部鳴海ちゃんが作ってくれたんだよね?」

「当たり前でしょ。これぐらい出来なきゃ、一人暮らしなんてできないっての」

「そ、そうだね……」


 一瞬、カップ麺や弁当の空き箱が散乱している汚部屋が頭の中に思い浮かんだものの、鳴海ちゃんの意見に賛同するように、素直に首を縦に振っておく。


「それじゃあ早速、いただきます」

「どうぞ、召し上がれ」


 恭平は早速手を合わせていただきますの挨拶をしてから、お箸を手に取り、メインディッシュである生姜焼きを掴む。

 そして、反対の手でお茶碗を手に持ち、生姜焼きのたれが白米に滴るようにしつつ豚肉を口へと運ぶ。

 口に含んだ瞬間、しょうがの香ばしい香りが口の中に充満し、一口噛めば、肉に染み込んだタレと肉汁があふれ出してきて、恭平の舌をうなされる。


「んんっ……美味しい! 鳴海ちゃんの手料理最高だよ」

「そ、そう……なら良かった」


 褒められたのが嬉しかったのか、鳴海ちゃんは満更でもない表情を浮かべている。

 今度は、タレが染み込んだ白米を掻き込んでいく。

 炊き立ての白米のふっくらとした食感と、ほんのり漂うしょうがの香りが相まって、恭平の食欲をさらに掻き立てた。


「ヤバイ、箸が止まらないよ。こんなに美味しいご飯作ってくれてありがとうね、鳴海ちゃん!」

「ど、どういたしまして……。ま、まあ、アンタがそんなに美味しいって言うなら、ケガが良くなるまで、毎日作りに来てあげても良いけど?」

「本当に⁉」

「そ、その代わり、アンタは出来るだけ早くケガを治す事! いい?」

「分かった。約束するよ」


 こうして、鳴海ちゃんがしばらくの間、恭平の夕食を作りに来てくれることが決定した。

 ピンポーン。

 その時、来客を知らせるインターフォンが鳴り響く。


「あれっ……誰だろう?」


 恭平が立ち上がろうとすると、鳴海ちゃんが手で制止する。


「いいよ、私が出るから。きっと、朋子さんが心配して様子を見に来たんでしょ」


 そう言いながら、鳴海ちゃんは玄関の方へスタスタと向かって行き、がちゃりと扉を開く。

 すると、、そこに立っていたのは、ふわりとした茶髪のショートボブの似合う、スーツ姿の果林さんだった。


「……」


 恭平の部屋を訪ねたはずなのに、中から出てきたのが女の人だったため、果林さんは大層驚いている。


「えっと……あなたは確か……」

「こんばんは、201号室の佐藤鳴海です」

「あっ、そうそう! 上の階の子よね! こんばんは。えっと、どうしてあなたが恭平くんの家にいるのかしら?」

「そちらこそ、どうして恭平の家に?」


 何だろう、凄い険悪なムードが漂っているのは、気のせいだろうか?


「私は、朋子さんから『恭平くんがケガをした』って連絡が来たから、心配でお見舞いがてら様子を見に来たのよ」

「でしたら心配無用です。恭平のお世話は、私が責任をもってやってますから」

「そう、なら良かったわ。えっと、今恭平くん中にいるかしら?」

「恭平に伝えたいことがあるなら、私が言伝ことづてしておきますよ?」

「いいえ。私はただ、恭平くんが元気かどうか、一目確認したいだけよ」


 そう言って、果林さんが一歩前へ踏み出そうとすると、鳴海ちゃんが敷居は通らせないと言わんばかりにバッと両手を広げる。


「あら、どうして入れてくれないのかしら?」

「今、ここの門番は恭平ではなく私です。恭平に近づこうとする不埒な女性を招き入れるわけにはいきません」

「あら、私のどこが不届き者に見えるのかしら?」

「感です。私の第六感が、あなたを招き入れてはいけないと警告してます」

「あら、そんな理由で判断されるなんて酷いわ。そう言うことなら、あなただって私から見たら、ひとり暮らししている年頃の男子の家にひょいひょいと上がり込んで、節操がないと思うけれど?」

「わっ、私は良いんです! 今回恭平をケガさせてしまったので、面倒を見る義務があります」

「あらそうなの。なら確かに、ケガをさせてしまったお詫びとしてお世話をするのは良い事だけれど、その前に恭平くんをケガさせてしまった己の行動について反省すべきじゃないかしら?」

「ぐぬっ……だからこうして、彼の前で誠意を見せているんです!」


 二人の言い争いがヒートアップしてきてしまったところで、恭平が慌てて止めに入る。


「はいはいはいはい。二人ともそこまでにしてください」

「あら、恭平くん!」


 恭平が姿を現すと、果林さんが羨望の眼差しを向けてきた。。


「なっ……なんで出てきたし!」


 ギロリと鋭い視線を向けてくる鳴海ちゃんの肩へ、恭平は優しく手を置いた。


「悪いけど、果林さんには日ごろからお世話になってるんだ。だから、少し話をさせてくれ」

「……分かった」


 渋々といった感じで、鳴海ちゃんは身体をどかして後ろへ下がってくれる。

 恭平は果林さんと向かい合う形になり、開口一番に謝った。


「ごめんなさい果林さん。ご心配をおかけしてしまって」

「平気よ、でも元気そうでよかったわ。もう家にいるってことは、何も問題なかったのよね?」

「背中の骨が折れてしまったので、しばらくの安静は必要ですが、命に別状はないです」

「まぁ、骨折⁉ 重症じゃない!」

「そんなことないです。ほら、普通に手足は動きますし」


 恭平が平気だというように手足を動かして見せる。

 しかし、果林さんの表情は厳しいままだ。


「だとしても骨折してるんだからあまり無理しないで頂戴あ! 朋子さんから連絡が来て、気が気じゃなかったんだから。私に何かできるようなことがあったら何でも言う事、いいわね?」

「お気遣いありがとうございます。でも今のところは大丈夫ないので、ご心配なく」

「ならいいのだけれど……。もう、自分の身体を大事にして頂戴」

「はい、肝に銘じておきます」


 果林さんとの会話がキリの良い所で途切れた時、後ろから鳴海ちゃんに声を掛けられた。


「ねぇ、もうご馳走様でいいの? 早くしないとご飯片付けるわよ?」

「待ってよ! まだ食べるから!」


 中にいる鳴海ちゃんへ慌てて声を掛け、恭平は果林さんへと向き直る。


「というわけなんで果林さん。わざわざ来ていただいてありがとうございました」

「いえいえ、こちらこそ。またね」

「はい、失礼します」


 お互いにぺこりと会釈を交わしてから、恭平は玄関の扉をゆっくりと閉めた。

 恭平が踵を返して部屋に戻ると、むすっとした様子の鳴海ちゃんが待っていて――


「……アンタってあぁいう女が好きなわけ?」


 と、突然不機嫌そうな声で尋ねてくる。


「違うって、ただお隣さんで仲良くさせてもらってるだけだよ」


 そう答えながら、再び座ってご飯にありつく恭平。


「やっぱり……もっと見張っておいた方が良いかしら? いや……でも……」


 恭平がご飯を食べ終わるまでの間、鳴海ちゃんはずっと、ぶつぶつ独り言をつぶやきながら、何やら物思いに耽っていたのであった。

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