第9話 汚部屋掃除

 ピンポーン。

 正午過ぎ、再び恭平の部屋のインターフォンが鳴る。

 玄関の覗き穴から外を見れば、そこにいたのは赤髪を揺らして、もじもじとした様子で立っている、汚部屋の住人だった。

 恭平は恐る恐る玄関の扉を開けて顔を出す。


「あっ……スゥーッ、さっ、先ほどはどうも……」


 ぽそぽそとした声で言ってくる彼女に対して、恭平はぺこりと頭を下げる。


「スゥーッ……えっと……先ほどは大変お見苦しい所をお見せしてしまい、申し訳ありませんでした」

「いえいえ……とりあえず、何事もなくてよかったです」

「スゥ……ッ」


 終始視線を泳がせつつ、スゥーっと独特な息遣いをしつつ、言葉を懸命に探している様子の少女。

 改めて見ても、あまり外に出ないのだろう。

 肌は真っ白過ぎて艶やかを通り越して不健康そう。

 腕や足も細く、プニプニといった表現が一番いいのだろうが、健康的かと言われればそうでは無い。


「あっ、自己紹介遅れてごめんなさい。先日こちらに越してきました遠藤こまると言います」

「平野恭平です。俺も実は先日越してきたばかりなんですよ」

「あっ……そうなんですね。奇遇ですね、あははははっ……」

「これから色々とよろしくお願いします」

「はっ、はい……こっ、こちらこそ、よろしくお願いします……」


 そこで、会話が途切れ、なんとも言えない沈黙が流れる。

 恭平は話題を戻すようにして声を掛けた。


「えっと……わざわざ今朝の件を謝りに来てくれたんですか?」

「はっ、はい……あっ、それと……大家さんをお尋ねして相談したら、平野さんに協力してもらいなさいと言われまして」

「俺に協力……ですか?」

「はい……スゥーッ。その、あんな失態を見せておいてお頼みするのはおこがましいんですけど、一緒に部屋を片付けていただけないでしょうか?」

「えっ!? お、俺がですか⁉」

「はい……私、昔から片づけが大の苦手でして……大家さんに尋ねたところ、平野さんであれば快く手伝ってくれるとおっしゃっていたので……」


 なんてこった。

 まさか汚部屋の片づけを押しつけられることになるとは……。

 でもまあ正直、特にこれといった用事がある訳でもなければ、断る理由もない。


「わ、分かりました。俺で良ければお手伝いしますよ」

「ほ、本当ですか⁉」

「えぇ……まあ皆さん快適に過ごしたいでしょうし。こまるさんも部屋を綺麗にした方が衛生的にもいいでしょうから」

「あっ……ありがとうございます!」


 深々と頭を下げてくるこまるさん。

 にしても、越してきてまだ日が浅いというのに、随分と雑用を任されているのは気のせいだろうか。

 まあ、頼られるのは嫌じゃないからいいんだけどね。

 そんなことを思いつつ、外階段を上って203号室の魔境へ。


「ど、どうぞ……」

「お邪魔します」


 さっきぶりに203号室へ足を踏み入れると、そこには今朝と同じように大量の汚平原おへいげんがそこには広がっていた。

 部屋の掃除が目的のため、恭平がマスクをしていることもあり、今朝感じた強烈な異臭はあまり感じない。


「えっと……ご迷惑をおかけしますが、どうぞよろしくお願いします」

「はいよ。とりあえず、ゴミの分別から始めて行きましょう」

「分かりました」


 こうして二人は、軍手を装着して、まずは大量のゴミ袋を外へと出していく。

 夏場という事もあり、虫などが発生している可能性もあったため、外で分別する事にしたのだ。

 事前に朋子さんに確認を取ったところ、隣にある月極駐車場を使っていいとのことだったので、そこへゴミ袋を二人で運んでいき、袋を開封して可燃ごみと不燃ごみ、カン・ビン、ペットボトルにゴミを分別していく。

 その最中、段々と恭平にも慣れてきたのか、こまるちゃんが素を出し始めた。

 真夏日の昼間に行っているため、ぜぇ……ぜぇ……っとこまるさんが辛そうな声を出す。


「あ“づい”……もう無理……」


 そして、炎天下の中での作業に耐え切れず、こまるさんが弱音を吐いてぐったりと地べたに寝そべってしまう。


「あ“ぁ……地面が焼けるほどあ”づい“……このままこんがり焼け死ぬかも」

「毎日ちゃんと分別してれば、こんな大変な作業やらずに済むんだよ?」

「だって……面倒臭いんだもん」

「それじゃ仕方ない。炎天下の中、焼かれて干からびることだな」

「あぁ待ってえぇ!!!!!ごめんなさい、ちゃんと分別しますからぁぁぁぁ、置いて行かないでぇぇぇぇぇ!!!!」


 先ほどまでのコミュ障こまるさんは何処へ。

 今はただの『グータラ女、こまるちゃん』へと変貌を遂げていた。

 作業を続けて一時間半ほど、ようやくゴミの分別が終わる。


「はぁ……づがれだぁぁぁぁ……」

「今回は特別に、ゴミを収集箱の中に入れておいていいって許可貰ったけど、次回からはちゃんと各ゴミごとに集積日に出すんだよ?」

「えぇ“……無理です。面倒臭い」

「なら、朋子さんに頼んで立ち退きしてもらう事にしようかな」

「まっでぇぇぇぇ!!!! それだげは勘弁してくだざい“ぃぃぃぃ!!!!」


 泣きわめきながらすがってくるこまるちゃん。

 どうやら、こまるちゃんは相当な体たらくっぷりのようだ。

 ゴミの片づけを終えて、二人は部屋へと戻る。

 するとこまるちゃんは、クーラーの電源を付けたかと思うと、そのままベッドに倒れ込んでしまう。


「ふぅ……疲れた。もう無理です……」


 一日分の労力を使ったのか、ぐでーんと干物のように倒れ込んでいる。

 そんな干物女に対して、鬼教官である恭平は黙っていない。

 すぐさまエアコンの電源を切り、代わりに部屋の窓を開け放つ。


「ちょっと⁉ どうしてクーラーの電源切っちゃうんですかー⁉」

「言っておくけど、片づけはまだ終わってないんだ。次は衣服の整理」

「え“ぇー! また今度でいいじゃん」

「今度っていつ?」

「うーん……今年の冬くらい?」

「はい、それじゃあここにあるパソコンとゲーム全部没収ね」

「待っでぇぇぇぇ!!! やります、やりますからぁぁぁぁぁぁぁ!!!!」


 恭平はこの数時間ほどで、早くもこの干物女の扱い方が分かってきた。

 こまるちゃんをベッドから起き上がらせ、早速衣類整理に入ろうとしたところで、衣類を手に持ったこまるちゃんが、とんでもないことを口にする。


「ねぇねぇ、そもそも服って、どうやって畳むの?」

「……はっ?」


 恭平唖然。

 信じられないといった様子の恭平に対して、こまるちゃんは頬を染めてそっぽを向く。


「し、仕方ないでしょ! 今までずっとお母さんに全部任せっきりだったんだから!」


 何となくは感じていたけれど、こまるちゃんはかなりの箱入り娘のようで、今まで身の回りの世話は全部ご両親にしてもらっていたのだろう。


「分かったよ。服ごとに畳み方違うから、ちゃんと覚えるんだぞ」


 そう言って恭平は、目の前にあるシャツを手にして、一から丁寧に畳み方の見本を見せてあげて、畳み方を教えてあげる。


「んで、こうして半分に折りたためば完成だ」

「凄―い!平野さんってもしかして天才?」

「いや……天才でもなんでもなくて、これは誰でもできる技術だから。ほら、こまるちゃんも俺がやったように畳んでみな?」

「えっと……これをこうして……」


 悪戦苦闘しつつも、何とかシャツ一枚を畳むことに成功するこまるちゃん。


「おぉ! できた!」

「Tシャツはこの畳み方が基本だから、しっかり覚えておく事」

「なるほど、分かりました師匠!」

「いつから俺は師匠になったんだ……? まあいいや。それじゃあこまるちゃんは、今の要領でそこにあるTシャツ全部畳んでいって」

「はーい」


 こまるちゃんにシャツを畳むのを任せて、恭平はお風呂場の方へと向かって行く。

 しかし、恭平が予想していたような、脱衣所に大量の衣類が散乱しているという光景は無かった。

 おかしいなと思い、恭平はこまるちゃんの元へと戻る。


「こまるちゃん。身に着けた衣類とかはどこに置いてあるの?」

「ん? 全部この辺りに置きっぱなしだけど?」

「……」


 またしても恭平絶望。

 どうやら、この子に常識というものは通用しないらしい。


「えっ……もしかして、私また何かやらかしちゃった?」


 恐る恐る尋ねてくるこまるちゃんに対して、恭平は深々とため息を吐き、じっとりとした視線を向ける。


「とりあえず、畳むの一旦止め。今からそこにある衣服全部持って、近くにあるコインランドリーに行くぞ」


 こまるちゃんに常識は通用しない。

 汚部屋掃除は、恭平が思っているよりも前途多難であることを、この時覚悟したのであった。

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