第8話 汚部屋の主

「ぶはっ……うっ……!」


 息止めが限界に達し、恭平は諦めて室内で呼吸をする。

 刹那、ツーンとした生ごみの強烈な悪臭が鼻腔を刺激してきた。

 恭平は慌てて鼻を手で摘まみ、口呼吸に切り替える。

 そんな公害レベルの換気状況にも関わらず、少女は平然とした様子ですやすやと眠っていた。

 気持ちよさそうに眠る姿を見て、恭平は感心すら覚えてしまう。

 だが普通の人間では、この空間に五分も居続ければ鼻がもげてしまうので、恭平は緊急処置として、部屋のカーテンを開き、ベランダ側の窓を一気に開け放つ。

 直後、窓から入ってくた空気はじめじめとした生ぬるいものであったものの、今の恭平にとっては、森林浴でマイナスイオンを感じているかのような新鮮な空気に感じた。

 そして、カーテンを開けたことにより、室内に陽の光が差し込み、部屋の全貌が明らかになる。

 まず目に入ったのは、キッチン周り一面に積まれている大量のごみ袋の山。

 一応袋は縛られているものの、おそらく越してきてから一度もゴミ出しをしていないのだろう。

 一番最近のものと思われる袋の中には、弁当のプラスチック容器や割りばしなどが分別されず無造作に入れられていた。

 どうやら、異臭の原因はこのジャンクフードの容器や残骸にあるらしい。

 そして、ベッド横にあるパソコン周辺には、ゲーム機器などが乱雑に置かれており、コード類がごちゃごちゃに絡み合っていた。

 向かいの本棚には、大量のライトノベルや漫画が今にも雪崩を起こしそうなほど大量に積まれており、もはや本棚としての機能をなしていない。

 隣にあるクローゼットは開きっぱなしで、衣類がドバァっと無造作に散乱している。衣類が畳まれた形跡はなく、洗濯はしているのか疑問になってしまうほどの散らばり具合。

 よくこんな散らかった汚部屋で生活出来ていたなと恭平が驚愕していると、眩しい光を浴びて目を覚ましたのか、ぐーすか眠っていた汚部屋の主がモゾモゾと動いた。


「う“ぅ……眩しい」


 真っ白肌をした赤髪の少女は、日の光を避けるようにして、掛布団へと顔を埋めてしまう。

 恭平は両手を腰に当てて少女の前に仁王立ちした。


「ん“ぁ……?」


 ようやく人の気配を感じ取ったのか、少女はけだるそうな声を上げつつ顔の半分を掛け布団から出して、ちらりと恭平を覗き込んだ。

 少女とようやく目が合い、恭平はにっこりと微笑む。


「勝手にお邪魔してます。こちらの大家さんの代理で生存確認に来ました」

「ん“んっ……そうですか……ご苦労様です……」


 自分の部屋に見知らぬ男が侵入しているにも関わらず、少女は驚く素振りも見せることなく、ごにょごにょと寝ぼけたような声でそう言って、くるりと寝返りを打ってしまう。

 恭平はなりふり構わず端的に用件だけ伝えることにした。


「あの、隣の部屋の方から異臭がすると苦情が来てます。このゴミ類、きちんと分別していただけますか?」

「ふぁーい。後でやっときまーす」


 少女は絶対にやらないであろう適当な返事を返してくる。

 肝が据わってるなと、恭平は呆れ返ってしまう。

 すると、少女はだるそうにしつつようやく起き上がってくれた。


「んーっ。ねむ……い」


 まだ頭が回っていないのか、半開きの目を擦りつつ、ぽけーっと呆けている。

 恭平はじぃっと少女の視界に入る位置へと顔を近づけてにっこりと微笑んだ。


「おはようございます。お目覚めですか?」


 問いかけると、少女はようやく見知らぬ恭平の存在を視認したらしく、驚いたようにバッと目を見開いたかと思うと――


「なっ……ふ、不審者⁉」


 と怯えた様子で飛び跳ねた反動でゴツンッ、と頭を壁にぶつけてしまう。


「いったぁ……」


 痛みをこらえて悶絶するように、少女は後頭部を押さえてうずくまる。

 そんな間抜けな少女に対して、恭平は至極冷静な口調で言葉をかけた。


「僕は不審者ではありません。この住宅の管理人代理の者です。お隣の住人から異臭がするとのことで数日間お尋ねしたのですが、生活の様子が見られなかったため、万が一の事態を想定し、スペアキーを使い生存確認しに参りました」

「……あっ、えっ……うっ……」

 恭平が端的に説明すると、少女は口をパクパクとさせながら言葉にならない声を出fす。


「驚かせてしまって申し訳ありません。すぐに出て行きますのでご心配なく。ただ、ゴミはしっかり集積日に出しておいてくださいね」


 変な誤解を与えぬよう、伝えることだけ伝え、恭平は固まる少女を置き去りにして汚部屋を後にする。


「失礼します」


 ひと言そう告げてから、恭平は玄関で靴を履き、部屋を後にした。

 扉をがちゃりと閉め、持っていたスペアキーで鍵を施錠してミッションコンプリート。


「どうだった?」

「もしかして、死後数カ月以上経過してて、遺体が白骨化してたのか⁉」


 外廊下へと出ると、朋子さんと来羽が各々別ベクトルで心配してきた。

 そんな二人に対して、恭平は出来るだけ明るい調子で答える。


「大丈夫です。しっかり生存確認取れました。健康そうに生活してましたよ。異臭の原因は、ため込んでいる生ゴミが原因みたいですね」

「そう……良かったわ」


 ほっと安堵したように胸を撫で下ろす朋子さんに対し――


「なんだ生きてたのか。生活音全く聞こえてこなかったから、てっきり息絶えたとばかり思っていた」


 来羽は来羽で、なぜか少し残念そうな表情をしていた。


「いや、逆に本当に息絶えてたとしてもそれはそれで困るからね⁉」

「そうよ来羽ちゃん。そしたらここ、事故物件になっちゃうんだから」

「そう言う問題ではない気がしますけど……」


 とりあえずまあ、ちゃんと生存確認もとれたし、異臭の原因も分かった。

 あとは、少女がしっかり恭平が伝えた通りゴミを捨ててくれれば事態は収まるだろう。

 そう思っていた。

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