第3話 買い物とおそば

 スーパーでの買い物を済ませ、恭平は上がりかまちにトイレットペーパーとティッシュペーパーのパックをどさりと置いた。


「ふぅ……疲れた……」


 恭平は思わずげっそりとした声を出してしまう。

 重い荷物を運んできて疲れたのではない、朋子さんに振り回され、労力を使い果たしたからである。

 果林さんが軽く忠告していてくれた通り、朋子さんとの買い物は、ひと言でいえばまさに戦場せんじょうだった。

 恭平が生活必需品を調達したいと言い出したら、大量のタバコとお酒をダースで持って来たり、レジ横にあるプリペイドカードを全部購入しようとするわで大困惑。

 どうしてそれが必要なのかと聞けば――


「えっ……だって男の人って、煙草と酒とガチャと女の四つが生活必需品なんだよね?」


 と、当たり前のように発言したので、流石の恭平も驚愕を通り越して恐怖すら感じた。

 結局、朋子さんの暴走を止めるのに必死で、フライパンやら菜箸などのキッチン用品を見て回る暇などなく、トイレットペーパーとティッシュという最低限度の物だけ購入して買い物は終了。

 朋子さんを家に帰して今に至るというわけだ。

 今日買うことのできなかったキッチン用品は、次一人で買いに行くことにしよう。


 ピンポーン


 すると、靴を脱ごうとしたところで、来客を知らせるインターフォンが鳴り、恭平は振り返って覗き窓から外を見る。

 そこには、黒のカットソーに身を包んだ果林さんの姿があった。

 恭平はがちゃりと扉を開いて、顔だけを外へ出す。


「こんばんは恭平くん。お買い物はちゃんと出来たかしら?」


 まるで、事の顛末を把握しているかのように尋ねてくる果林さんに対し、恭平は顔をひきつらせた。


「果林さんが言ってた通り、朋子さんがハチャメチャ過ぎて買い物どころの騒ぎじゃなかったですよ」

「ふふっ、やっぱりそうなると思ったわ。朋子さん、物関連に関しては疎すぎてダメダメだからね。この前なんて、変な壺買わされそうになってて大変だったんだから」

「流石にそれは笑える次元を超えてますよ。正直、こんなに周りに言われたことを鵜呑みにする人初めて見ました」


 ほんと、よく今まで生活して来れたなというレベルで、朋子さんの価値観と偏見は常軌を逸していた。


「そうよね、最初はびっくりするわよね。でも、これで恭平くんも分かったでしょ? 朋子さんがどれだけ常識人からかけ離れてるか」

「かけ離れてるというより危なっかしくて迂闊に外出させるのもおっかないぐらいですよ」

「あははっ、過保護になっちゃう気持ちも分かるわ。だからこそ、変な情報商材の勧誘とか来たら、恭平くんが追い払ってあげてね。私も出来るだけ確認はするけど、仕事に行ってる間は流石に面倒見てあげられないから」

「……分かりました。朋子さんが詐欺に引っ掛からないよう、目を光らせておきます」

「そうしてもらえると助かるわ」


 こうして隣人二人による、朋子さんを守る会が結成された。

 ぎゅるるるるっ……

 その時、恭平のお腹の虫が悲鳴を上げる。


「あっ……」

「ふふっ、お腹が空いてるのね。良かったら夜ご飯私の家で食べていかない? どうせ朋子さんの面倒見るのに必死で、ろくにお総菜も買えなかったでしょ?」

「はい、おっしゃる通りで」


 朋子さんから少しでも目を離したら、どんな危なっかしい行動に及ぶのか気が気じゃなかったので、恭平は今日の夕食すら買い損ねてしまっていた。


「そうだと思って恭平くんの分を作っておいたのよ。私からの引っ越し祝いと、これからお隣同士の親睦を深めるという意味も込めて、大したものではないけれど、ご馳走させてほしいわ」

「分かりました。ではお言葉に甘えて、今日は果林さんが作ってくれた夕食をいただくことします」

「ふふっ、なら早速だけど来てもらえるかしら?」

「はい」


 恭平はそのままのスマートフォンとお財布だけを持った状態で外廊下に出て、部屋の鍵を閉め、隣の果林さんの部屋へとお邪魔する。


「どうぞ、上がって頂戴」

「お、お邪魔します」


 今更ながらに、出会ったばかりの年上女性の家にお邪魔するという状況に緊張しつつ、恐る恐る果林さんの家へと入る。


「さっ、座って頂戴」

「はい、失礼します」


 恭平は恐る恐る、キッチン横にあるテーブルの椅子に腰かけた。

 恭平の部屋と間取りは同じはずなのに、果林さんの部屋は白を基調としたテイストで彩られており、まるで別のアパートに住んでいるのではないかという錯覚を覚えてしまう。

 キッチンと部屋の間はパーテーションで区切られており、隙間からは奥の部屋の様子がちらりと窺える。

 心なしか奥の部屋の方からは、果林さんの妖艶な香りが漂ってきているような気がした。

 これ以上プライベートをまじまじと覗いたら悪いと思い、恭平は視線を果林さんへと戻す。

 果林さんは、恭平に部屋を見られていることを気にする様子もなく、キッチンへと向き直り、手早く調理を進めていた。

 数分ほどして、二つのどんぶりがテーブルへと運ばれてくる。


「お待たせー」

「これって……」


 どんぶりの中身を見て、恭平は思わず視線を果林さんへと向ける。


「うん、引っ越し祝いのおそばだよ」


 果林さんが作ってくれたのは、湯気立ちのぼるそばだしの香り漂う引っ越しそばだった。

 そば以外にも、刻みネギにキノコ、温玉が入っていて、とても彩り豊かで見るからに美味しそうだ。


「さっ、召し上がって頂戴」

「い、いただきます!」


 手を合わせていただきますの挨拶をしてから、置いてあったお箸を掴んで、早速そばをすすっていく。


「ふふっ……お味はどうかしら?」

「すごい美味しいです!」

「お気に召してよかったわ」


 恭平はよほどお腹が空いていたらしい、その後も黙々とおそばを啜っていき、あっという間に平らげてしまった。


「はぁ……めちゃくちゃ美味しかったです」

「ふふっ、いい食べっぷりね。見ているこっちまで嬉しくなっちゃう食べっぷりだったわ。まだ麺も残っているし、もう一杯食べて行ってね」


 そう言って、恭平は遠慮する前に、果林さんは二杯目のおそばの用意を始めてしまう。

 結局恭平は、計二杯の引っ越しそばを果林さんにご馳走してもらった。

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