第3話 全部行く神経よ……

 和菓子店を出た途端に召喚された僕の手には、練り切りの詰め合わせ。

 これを次に食べられるのは、一体いつになるのだろう? 

 自分で作りでもしなければ、この世界に居る限りまず無理だろうな。

 この練り切りは間違いなく命に次ぐ貴重品だ。

 いっそこのまま無視して死んで貰おう……とはいかないよなぁ。

「はあ」

 もしここでこの死にかけの少女を放置すれば、一生悔やむことになることは明白。

 まあ、詰め合わせは練り切りが十二個入っているし、その内の幾つかくらいならば寛大な慈悲の心で分けてあげよう。

 僕は断腸の思いで少女の半身を起こして座らせ、練り切りの入った箱を開いて差し出した。

「……お食べ」

「いいの……? こんなに綺麗なお菓子を……私が、食べても……?」

 よくないぞ。

……などと言えるはずもなく。

「い、いいよ。ほら、これを使って」

 僕が黒文字を持たせてやると少女は虚ろな目を僅かばかり輝かせ、撫子を象った練り切りをまず刺した。

 そしてそれを切り分けること無く、小さな口をいっぱいに広げて一気に頬張る。

「はむっ」

 頬っぺたをハムスターのように膨らませ、もぐもぐと小さな顎を動かす度に少女の目が驚きに見開いていった。

 そして今にも蕩けそうな幸せ顔でこう溢す。

「美味ひぃー……」

 そんな様子は僕の心を暖かくした。

 外国の人はよく勘違いしているが、練り切りは見た目だけでは無く味だってとびきりに美味しいのだ。

 それを外国どころか異世界の人間にわかって貰えたことが、とても嬉しい。

 全神経を舌に集中させているのだろう。

 少女は目を細め、じっくりと味わいながらゆっくりと租借し、口の中を空にした後も余韻を楽しむようにほわほわ顔で惚けていた。

 それにしても……。

 僕は少女のことを観察する。

 よく見れば……いや、パッと見でも可愛らしい子だな。

 大きく特徴的な目には眠気を含んだ二重瞼が垂れ、それがジトリとした独特の印象を放っていた。

 その奥で輝くライラック色の瞳。

 朝霧が滴りそうな睫毛。

 陶磁器のようなつるりと滑らかな肌。

 ボサボサではあるが、うっすらと青紫掛かったえも言われぬ不思議な発色の美しいショートミドルヘア。

 行き倒れていただけに身なりこそ汚ならしくボロを纏ってはいるものの、その姿は間違いなく美少女と言って差し支えない。

 それどころか先程の姫殿下と同等か、それ以上の潜在性を秘めているだろうことがわかる。

 僕はチラリと、彼女の胸元に目をやった。

 うーん、これは多分十三、四歳!

 そんな彼女はぱくぱくと、次々に練り切りを口へと運んでいく。

 朝顔、花火、西瓜、きんとん、鬼灯、向日葵。

 一々コロコロと変わる表情が、見ていて楽しい。

「うーん。どれもこれも、全部美味ひぃー」

 そうだろうそうだろう。

 そのお店の練り切りはさぞ美味かろう! 

 少女は止まること無くもぐもぐと口を動かしながら、恍惚の表情を浮かべて感嘆の声を漏らす。

「んんっ。食感も味もそれぞれ違うんだー」

 そうそう、餡の原料が一種類じゃないからね! 

 見た目だけじゃなく、ちゃんと季節のものも使われているんだよ貧乳ガール! 

「でもどれもシルキーで滑らかなのに、キャラメルみたいに歯にまとわりつかなくていい。こっちの透明なのも美味しそう。どんな味かな?」

 そう言って少女が次に口にしたのは錦玉羹の金魚。

「うわ、なんかぷるぷるしてる」

 そして葛餅の玉すだれは……。

「歯触りが面白い。硬過ぎず柔らか過ぎず、初めての食感」

 団扇、そして夏の星を金粉とグラデーションがかった寒天で表現した夏の大三角。

 見ているとこっちまで幸せになってくるような、脱力してしまうような表情で、少女は僕の世界の甘物を次々と頬張った。

 そう、次々と……。

……最後の一つまで。

「えっ……嘘だろ……」

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