二十九話 相手にされない第三王子
「今までのような卑怯な手が通用するとは思うな!」
ルークは怒りを浮かべていた。
“雷光の夫婦剣”を握る手には知らず知らずの内に力が入っていて、
そして、“雷光の夫婦剣”には『雷精の吐息』とも呼ばれる雷精闘魔石が剣全体に配分されているため、その漏れ出ている闘気法と魔力に反応して、バチバチと紫電を空に走らせる。
「あっそ」
対してエイミーは今まで通りの装備であった。“泥沼の魚”を気怠そうに弄び、ダボっとした薄汚いローブは風に揺れる。
けれど、今まで嘲り笑う笑みを浮かべていたその顔は、無表情だった。
ルークよりも頭一つ半は低いエイミーの顔は童顔だ。
童顔でありながら、蔑むでもなく価値がない存在を見るような、どうでもいい石を見るようなその真顔。
珍しい黒目は、澄み切った深淵を映しているのに、決して色はない。
「ッ!」
そんなエイミーにルークは言い知れぬ不気味さを感じていた。
しかし、それに気が付き自らを叱咤する。怒りを燃やす。陳腐な正義感による怒りと驕慢な心を傷つけられた事による怒りだ。
自らの矮小さを突きつけられているようで、憎らしい兄たちにバカにされているかのようで。
そして、昨日のウィリアムと同じ目で。
つまり、お前は敵じゃねぇ。引っ込んでろ、という目で。
「構え!」
ケヴィンの声が響き渡る。
観客は先ほどから騒めき一つない。
だから、エイミーが“泥沼の魚”を地面に滑らせた音が響き渡る。
ルークが“雷光の夫婦剣”に魔力と闘気法を注ぎ、雷火が弾ける音が響き渡る。
「始め!」
「〝天雷〟!」
そしてルークは開始の合図と同時に、右手に持つ“雷光の夫婦剣”の一振りを虚空へ振るう。
すれば、天を引き裂く雷がエイミーめがけて飛んでいく。
そしてルークは、闘気法と“雷光の夫婦剣”で強化した身体能力でその〝天雷〟に追随し、回避行動を取るエイミーの背後に回って、双剣を振るう。
が。
「〝泥沼〟」
「なっ!」
ルークはキープの戦いを見ていたから、〝泥沼〟を防ぐために、“雷光の夫婦剣”の補助による無詠唱魔術で、足に雷を纏っていた。
これで、もし泥沼が発生しても足に纏わせた雷で全てを弾き飛ばすと。
しかし、エイミーは〝泥沼〟を攻撃や牽制には使わなかった。
「一振り目」
回避に使ったのだ。
自らの足元に泥沼を発生させ、通常の回避行動ではありえない挙動を取り、〝天雷〟とルークの薙ぎ払いを避ける。
ついでに、雷纏うルークの足元を這うように滑り、空を切った“雷光の夫婦剣”の一振りを握る左手を“泥沼の魚”で突く。
“雷光の夫婦剣”の一振りが宙を舞う。
そして泥にまみれながらも、エイミーは落ちてくる“雷光の夫婦剣”の一振を手に取った。
「知っていますか、無能」
やはりエイミーは今までと違う。
神経を逆なでするような声音はない。仕草もない。ただ、冷徹な黒の泉がルークを射貫く。フラットなトーンで呟く。決してルークに語り掛けているわけではない。
「アンナアーラ・ドンナーラは天真爛漫な女性でした」
「何をっ!」
王家の武器をいとも簡単に奪われたこと。無能と言われたこと。
その感情に呼応するように、ルークの周りには蒼穹の魔術陣が浮かび上がり、右手に持つ“雷光の夫婦剣”がバチバチと雷光を迸らせる。
そして、今度は本物の雷と見間違うほどの速度でエイミーに迫り、速度に任せて振るう。
しかし。
「友である
「ッ」
エイミーの左手にある“雷光の夫婦剣”の一振りが、それを受け止める。
横にかかる衝撃を初めて持った剣で下に流したため、足元に小さなクレータができ、足に痛みが走る。
だが、エイミーは一切気にしない。
鍔迫り合いをしながら、けれどどうしようもなく無造作だった。
「けれど、生まれながらの友であった
「俺を、見ろぉっ!」
才気あふれる闘気法と“雷光の夫婦剣”の片割れで、身体能力を最高潮に高めるが、しかしエイミーの足元にクレータができるだけで、ビクともしない。
山を押しているような、そんなイメージすら湧いて、ルークは恐怖から怒りをさらに猛らせる。
「けれど、死を導き生を導く女神は、それを悲しんだ。だから、その精霊の
「何を…………これは……これはなんだァッ!」
しかし、その怒りに呼応するようにエイミーが持つ“雷光の夫婦剣”の片割れが、哭いているように雷を漏らした。
それは、ルークが持つ“雷光の夫婦剣”も同様だった。ルークの意思に関わらず、勝手に魔術を発動させていく。
共鳴していく。
「二人はその鉱石を錬り、二振りの剣を作った。友を愛した夫婦として、未来永劫、想いを形にするために。想いは……二人を守る砦として。二人をつなぐ鎖として」
「やめろ、やめろォ!」
エイミーが“泥沼の魚”を宙へと放り投げた。
そして、ゆっくりとルークの右手を掴む。否、雷迸らせる“雷光の夫婦剣”の刀身を素手で掴んだ。
エイミーの右手に雷が走り、ローブが、白シャツが破ける。
前腕は銀色の金属の小手がその雷を防ぐが、手や肘、二の腕は雷に焼けていく。
けれど、エイミーは気にしない。どうしようもない想いを募らせ、暴走させる我が子を抱くように、慈悲に溢れていた。
“雷光の夫婦剣”への慈悲があった。
「そして、二人の前に現れた理不尽を……雷光の如く一瞬で切り裂く
「うわぁぁァァァァァ!」
そしてルークは、あまりのエイミーの異様さに恐怖し、“雷光の夫婦剣”を手放し、尻もちをついて後ずさりした。
どうしようもなく自分が矮小に感じ、心が目の前の意志に敗れていた。
「雷光の騎士様。優しく温かく天に輝く笑顔を守り、天を慈しむ愛を育んだ雷光の騎士様」
エイミーはそんなルークに一瞥も向けない。
むしろ背すら向け、丁度南西に浮かんだ太陽が微笑む場所へと移動する。
「〝地に文字を〟」
金属で補強されている靴、“大地の靴”を輝かせる。その輝きに答えるようにエイミーの足元にとある魔術陣が浮かび上がる。
未だ
そして、懐から二つの聖石を取り出した。
「ごめんなさい。雷光の騎士様を侮辱するような持ち主にその想いを振らせた事。気づくのが遅くなった事。本当にごめんなさい。ようやく、ようやく雷光の騎士様に伝えることができました」
エイミーは取り出した聖石を“雷光の夫婦剣”の元に置く。
そのあと、一歩下がり、片膝を突き、祈り手を組んだ。
「だから、安心してください」
エイミーの表情は……透明だった。あらゆる想いを映すような澄んだ泉の如く、不思議で神秘的な……
「……〝
尊い祈りと感謝だった。
――キィィィィィンン
“雷光の夫婦剣”が嬉しそうな音とともに、二つの聖石を包み込み、天へと雷を放出した。
そして敬虔な信者のように目を瞑り、祈りを捧げるエイミーを包み込む。
それから、数瞬。
「さて」
エイミーは事もなにげにその光から現れ、いつの間にか手に持っていた“泥沼の魚”を弄ぶ。
そこには先ほどまでのエイミーはいなかった。
そこにあったのは、神経を逆なでするような笑みと仕草であり、どこまでも人を貶す瞳。
けれど、その背後にはひっそりと寄り添う二振りの剣があった。雷に守られ、幸せそうに眠っていた。
二つの聖石はなかった。
Φ
――魂を……
「こう――」
「――〝沈黙〟。……あっれぇ? 何か言いましたかぁ? ブス男ぉ?」
――祈祷法……いや、けれど魔術で……そもそもあれは……
全てを間近で見ていたマーガレットは震えていた。
目の前には、ルークを金属の縄で縛り、体の至る所を“泥沼の魚”で叩いては、ギリギリのところで懐から出した魔術回復薬で回復させているエイミーがいるが、全くもって目に入らない。
己の心を紡ぐ温かな力がじわりじわりと喜ぶように全身に広がり、それが涙となって溢れているからだ。
視界が歪んでいるからだ。
「こ――」
「――〝沈黙〟」
「こうさ――」
「――〝沈黙〟」
「こう――」
「――〝沈黙〟」
藻掻くような呻き声が会場全体に響き渡る。
金の御髪は“日常の玉虫”の〝灯火〟によって燃やされ、チリチリ坊主となっているルークが漏らす惨めな叫びだ。
だけど、その叫びは最後まで続かない。『こうさん』の四文字は決して叫ばれることなく、全ては沈黙へと返される。
観客は先ほどの美しい光景と、今の惨めな光景の落差に呆然としている。
しかし、マーガレットはそんな事も気にせず、雷光に守られた二振りの剣へと足を運ぶ。
「ちょ、マーガレ――!」
まるで、王族としての誇りの欠片もなく地を這い、涙と鼻水で顔をぐちゃぐちゃに汚しているルークに引いていたケヴィンは、フィールド内に入ったマーガレットを止めようとする。
が、涙溢れさせる碧眼と物憂げに下がった銀の眉を見て、口を噤んでしまう。
マーガレットは、少しだけ顔を下げ、再び歩みを進める。
そして魔術陣で囲まれ、雷光で守られている墓場の前に立ち、先ほどのエイミー同様片膝を突き、目を瞑り、祈り手を組んだ。
「母よ。慈しむ祈りの母よ。この安らぎに静かな微笑みを」
すると、マーガレットを胸元で組んだ祈り手から温かな陽光が静かに迸り、ゆっくりとゆっくりと小さな花を咲かせていく。
そして数十秒後。
墓場の周りには、雷光を添える小さな花々が咲いていた。
「アナタ様の苦しみに、想いに、思い至らなかったこと、ここに謝罪します。そして、ありがとうございます」
それと同時に、ぼろ雑巾のようにズタボロになったルークが白目を向き、気絶したのだった。
マーガレットはルークを最低限にしか回復しなかった。
こうして、ルークは誰からも注目されることなく、無残に扱われ、ぼろ雑巾へと成り下がったのだった。
ただのゴミになったのだった。
Φ
「ぁぁ」
その日の夜。
クレア側の全員は自室での謹慎を言い渡された。それにレヴィアが、逃亡防止の結界をガチガチに張ったので逃げることはできないだろう。
だから、クレアは絶望していた。
何もかも終わりだった。
自分は第三王子を誑かし、学園をひっかきまわした罪で処罰されるだろう。あんな決闘さえ起こさせてたんだ。
処刑すらありえる。
それにそれがなくても、学園へ自分を入れた神殿長に殺されるだろう。
そんな予感が強くする。
――なんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんで…………
自分はレヴィアに恋しただけなのに。なんで。
自分は精一杯やっていただけなのに。なんで。
自分は
誰もが自分に心酔し、愛を囁いたのに。なんで。
どこで間違った。間違えた。なにを。
あらゆる人を奴隷のように扱ったこと? 快楽に興じ、快楽に生きたから? 全てを惑わし、破滅へと導いたから?
…………
…………王都へ行ったから?
レヴィアに恋したから?
「そうです」
「ぇ?」
瞬間、床で蹲っていたクレアに不気味な声が落ちた。
盲目に支配され、絶望に溺れていたクレアは、しかしその声が心胆を寒からしめるもので、そして全てを破滅へ誘う自らの声より蠱惑的で。
「ッ。あ、あなたはッ!?」
「お久しぶりです」
だから、紫眼を開けた。狂気の瞳を開け、そして醒めた。
目の前にいつぞやの神殿長がいたから。この薄暗い部屋に不釣り合いな慈愛に満ちた微笑みを浮かべていたから。
「シネェッ!」
首に掴みかかろうとした。
殺そうと、全ての元凶はコイツだと、怒り憎しみ恐怖し、殺そうとした。
しかし。
――グチュ
「キャァッ!?」
掴んだ首は、腐った肉のようだった。
瞬間、部屋全体に腐臭が広がり、クレアはあまりの臭いに腹の中のものをぶちまけた。
ぶちまけても、中身がなくなっても吐き気が収まらず、発狂しそうなほどに意識がごちゃ混ぜになる。
けれどどういうわけか、その意識が何かに囚われていて、気絶することすら許されない。
――いやいやいやいやァッ! 死んで死んで死んで死んで……死にたいっ!
「ええ、殺して差し上げますよ」
そういった神殿長は神殿長ではなかった。
異形。昏い炎の瞳が爛々と輝き、三本の角と四翼二対の翼を持った骨。
全身が骨で構成されていて、けれど人とも動物とも違う、『何か』が骨の姿になったような姿。
そんな存在がクレアの首を掴む。光を失い、舌を出し、手足をだらんと下げ、今にも死にそうなクレアの首を掴んだ。
「頂きます」
そして、口とも言えない口を開き、空洞の身体にクレアを収めようとした瞬間。
「ところがどっこい!」
「ぐぎゃぁ!」
薄汚いローブを羽織り、フードを被った何者かが神殿長であった何かを蹴り飛ばした。
そして宙に舞ったクレアをお姫様抱っこする。
「誰――キャァァッ!」
クレアは突然感じた温かな感触に、若干光を取り戻した瞳を開ける。
しかし、目の前にいたのはヤギの頭蓋骨。アンデッドであった。
「これはこれは同族ではないで――」
「――
「チッ。気づいていたか。これだから半端者の眷属は嫌いなんだ」
「その半端者の力を拝借しているのはどこの誰ですかぁ?
けれどそんなアンデッドは自分を気にする様子もなく、デーモンと呼ばれた何かを罵るように嗤った。
それが誰かに似ていて、若干の理性を、狐疑の意志を取り戻す。
――何が、何が、何が起こって――
「あ、すまないですが、お休みです」
と、どんなに恐怖しても感情が高ぶっても気絶できなかったのに、自らを抱えているアンデッドに顔を触れられた瞬間。
クレアはこの世界に生まれ落ちてから一番安らかな寝顔を浮かべてた。
それを見ていたアンデッドデーモンは舐め腐ったように鼻を鳴らした。
「だからてめぇらは半端者なんだ。人間などに肩入れ――」
「――その人間を恐れて引きこもった臆病者はどこの誰ですぅ? というかいい加減終わらせましょうか」
フードを被ったアンデッドは、抱えていたクレアを丁重にベッドへ置き、タオルケットをかけた。
そして、空虚な眼窩をアンデッドデーモンへ向ける。
「フンッ。生者をアンデッドにするしか能がないお前らが俺様をはら――ッ! それはなんだぁっ、貴様ぁっ!?」
「何って炎ですよ。
黒革の手袋を嵌めた両手には、煌々と輝く白炎があった。全てを燃やし、清める炎があった。
そして、
「何故、何故半端者の眷属がそれを――ッ!? まさか、貴様ぁっ!?」
「う~~~ん? どうかしましたかぁ、お間抜けさん?」
「キサマァッーー!」
アンデッドデーモンは、何故アンデッドと思ってしまったのか、と強烈な狐疑を持ちながらも、屈辱に猛る怒りで拳を振るおうとする。
――あの炎は駄目だ。今の俺様ではっ!
「ねぇねぇどんな気持ちぃ? 半端者ってバカにしている奴の力を借りているせいで死ぬってどういう気持ちぃ? ねぇねぇ教えてよぉ デーモン様ぁ?」
「シネェェェッ!」
けれど、そんな拳など気にせず、神経を逆なでするようにフードを被ったアンデッドは嘲り嗤った。
そして。
「尊き生きる者、尊き死んだ者を弄んだお前が死ね」
全てを凍らせるような冷酷な声とともに、アンデッドデーモンは白炎に焼き尽くされた。
残ったのは……否、黒い煙すら残らなかった。
「ふぅ。これで最後ですか」
そして、フードを被ったアンデッドは音もなく消え去っていった。
いや、ひらりと一枚の手紙が宙を舞っていた。
「クレア様っ!」
そして、数十秒後。
慌てた様子のマーガレットとレヴィアが勢いよく扉を開けたのだった。
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