二十四話 恋愛小説の如く……とは少し違い

「クヒヒヒヒ!」


 騒がしいパーティー会場内の隅で奇怪な笑い声が響く。

 ただ、それは舞踏による足音と会場全体に鳴り響く軽やかな音楽で打ち消されてしまう。

 ただ、そんな奇怪な笑い声を捉えた少女が近づく。


「もう、エイミー。女の子がそんな顔しちゃだめだよ! せっかくモニカがドレスを用意してくれたんだから。……と言っても、エイミーはドレスじゃないけど」

「当たり前です。何であんな服を着るんですぅ? 私はこっちが好きなんです」

「……まぁ、普段のダボっとした様子からかけ離れているし、いいかな」


 エイミーは、やはりローブ服姿だった。

 だが、そのローブは薄い布で作られていて、下に着ている上品な白シャツと黒ズボンを彩っている。

 ここにいる女性の誰一人としてこんな格好をしていないが、小さなエイミーなのになぜか似合っていた。

 それに、普段は前髪で黒目を隠しているが、今日は白のバレッタで綺麗にまとめており、まぁまぁ可愛らしい姿だった。

 対してフィオナは。


「……チッ。フィオナったら、お嬢様じゃないですか」

「いや、お嬢様だからね! 一応男爵令嬢だし!」


 空色の長髪を彩る白い小さな花。

 そんなフィオナの花と同様に、真っ白で純粋無垢なドレスを静々と身に纏い、だが蒼穹に輝く瞳は天真爛漫な煌めきを宿す。

 中性的なハーフエルフの容姿も相まって、天空のお姫様みたいである。

 仲間だと思っていたのに裏切られた気分だ。


 だが、さらに。


「そうや。エイミーやって黒髪に黒目。顔だってある程度は整っておるし、化粧でそれくらいの美しさは出せるやろ」


 新緑のドレスを身に纏い、亜麻色の狸尻尾を揺らすモニカもまた、この舞踏会に相応しく綺麗だった。

 身に纏う装飾品は一級品ながらも、上品で主張が少ない。決してモニカよりも勝ることはなく、引き立てに徹している。

 肌が元々綺麗なのに加え、そこに自ら化粧の仕方を研究して流行りを創り出しているモニカだ。

 ナチュラルでありながら、色気漂う艶めかしさがあった。

 いい女性だった。


「うっわ。モニカまで!」

「……仕方ないやん。予定を変更してオリアナ様の所と懇親な様子を見せなあかんのや。いつものあれじゃあ、向こうに失礼やし、目立たん」

「……私は隅で引っ込んでますぅ。秘書と商会長だけでお願いいたしますぅ」


 来なくてもいいオリアナが来てしまうきっかけを作ったエイミーは、ちょっとした罪悪感でオリアナに会いにくい。

 そうでなくとも、入学初日のあれはなぁ~、と今更思い直しているのだ。

 だが、あの時のあれがあったから今のエイミーがあるわけで、感謝しているほどだ。

 しかし、それはそれとして、顔を合わせづらい。

 なので、武闘会をどうにかこうにか収拾し、例年よりも二時間遅れで始まった舞踏会の隅で、高級な肉を貪るしかないのである。


「……まぁアンタがいるとややこしくなりそうやしな。……そうだ、エイミー。話したくなったら話してくれると助かるんよ」

「……いつか、いつかいい時がくれば」

「ん。気軽に待っておるからな」


 そしてモニカとフィオナは、オリアナ派閥に挨拶しに言ったのだった。

 ――あのボンクラも勝ったことですし、先延ばしすることは……無理そうですよねぇ。……レヴィアには……


「はぁ、面倒ですぅ」


 そうやって独りごちたエイミーは、近くにいた給仕に声をかけたのだった。

 


 ……フィオナは痛恨のミスをした。



 Φ



「ふぅ。ようやく落ち着きましたか」

「ええ、本当に」


 紳士淑女の貴族たちが煌びやかな衣服やいい匂いがする造花を身に纏い、飲んで食べて踊って語り合っている様子を眺めながら、重いため息が二つ。

 レヴィアとマーガレットである。

 万が一の可能性として、武闘会に出ている生徒会メンバーが使い物にならないという状況を、一応、本当に一応、想定していた。

 だが、それでもあまりの事態だった。

 優勝者ウィリアム準優勝者オスカーが共に倒れ、大八魔導士が勲章を渡す表彰式にはでない。

 来賓者への挨拶や誘導すらままならず、レヴィアとマーガレットが必死になって対応に追われていた。

 というか。


 ――何で、同日に二つのイベントがあるのでしょうかっ! 準備段階から感じていましたが、明らかに、明らかに時間がありません! 誰かの都合というものを感じます。

 と、レヴィアは憤りを感じていた。

 これが伝統なのだから仕方ないといえば、仕方ないが、厄介この上ない。

 だが、それ以上に厄介なのが。


「迷惑をかけた。すまない」

「……ウィリアム様。その言葉はあと一か月後で大丈夫ですので」

「……自分の始末は自分で付ける」


 マーガレットによる治癒法によって、随分と回復したウィリアムを取り巻く状況である。

 優勝者であるはずなのに、いない者として扱われている。こうして、レヴィアたちに頭を下げる余裕があるくらいには、誰からもかまわれていない。

 他国の留学生だから、学園内でのつながりが弱かったのもある。八方美人で学園生活を送っていたから、友人関係が薄かったのもある。

 だが、アレだ。

 金の怨みが一番面倒なのだ。


 ――たぶん、アイツでしょうね。ウィリアム様は話しませんが、たぶんウィリアム様を指導したのはクソ弟子でしょう。

 流石にレヴィアはバカではない。ウィリアムが一か月ちょっとであれだけの成長を遂げるとは考えにくい。

 精神的な成長ならまだしも、肉体的な、技術的な成長には時間がかかる。また、独学で学ぶのにも。

 そして、レヴィアには見覚えがあったのだ。微かにだが、ウィリアムの剣筋や捌き方、戦況の動かし方に。

 それは、入学する前に色々と確かめて知り得たエイミーの戦闘技術。

 魔術は未だ、いや魔術の腕前も相当に高いことは先ほど知ったが、それでも戦闘技術が相当に高いことを知っていた。

 どんな戦い方かも、レヴィアの祝福ギフトでキチンと覚えている。

 だから、武闘会から舞踏会への引継ぎに、事態の収拾に、予定が遅れた舞踏会の指示などをしている最中に、学園に張った結界の不備を確かめたのだ。

 それこそ、もう一度張り直す勢いで。

 そしたら見つかった。

 巧妙に偽装されていたが、エイミー限定に作用する認識阻害の改竄術式が組み込まれていたのだ。

 しかも、レヴィアの結界を利用する感じで。

 ――確かに魔力量が少なく下級魔術までしか自力・・で行使できないとはいえ、それは自力。元あった術式を改竄して、行使自体は私にやらせることはできますか……チッ!

 体よく利用され、それに気が付かなった己への怒りが、落ち着かせていた心が再加熱させる。

 

「レヴィアさん、大丈夫か? 顔が少し赤いが」

「……いえ、少しだけ酔ってしまったようです。……ああ、ウィリアム様。私は私で動きますす。ウィリアム様は、どうでもいいのです」

「そうか。それは頼もしいな」


 ――ふぅ。落ち着くのです。

 どうでも言いといわれたのに、貴公子然とした衣装を身に纏っているウィリアムは、嬉しそうに笑った。

 ――……過ぎてしまったことはどうしようもない。過ぎてしまったことはどうしようもない。

 それがレヴィアのモットー。どんな事があっても、過去はやり直せない。

 ――まずは、今後を考える。今回、クソ弟子は金が欲しかった。だから、ウィリアム様を指導して、勝たせた。だからこそ、アイツの賭け金は多かったはずだ。

 それはつまり。

 ――一人勝ちか。……いや、モニカ・アフェールやラトマス男爵令嬢も入れて、三人勝ちですか。

 オスカーは、多くの人に決勝戦まで賭けられていた。そして、ケヴィンにも。

 共に去年決勝戦で戦ったということもあるし、そうでなくとも実力が高いのは周知。

 ――たぶん、決勝戦まで賭けられていたのはこの二人だけでしょう。

 そして順当にいけば二人が勝ち上がり、どちらが勝っても配当金は少なかった。

 ――だからこそ、損しても怨みあいは少なかったのだが。


「ウィル」

「ケヴィンか。体調の方は大丈夫なのか?」


 丁度、一つ年上の婚約者と踊ってきたケヴィンに、ウィリアムは心配そうに声をかける。

 だが、ケヴィンは朗らかな、納得したような笑みを浮かべて、手を差し出した。


「……負けだ。周りがどうこう言おうが、俺の負けだ。お前の戦いに乗ってしまい、そして負けたんだ。完敗だ」

「……そうか」


 差し出された手を、ウィリアムは少しだけ感慨深げに握った。

 それから二人は、お酒が入って軽くなった口で冗談を言い合う。

 それを尻目にレヴィアは考え続ける。


 ――準決勝、決勝……とにかくウィリアム様に賭けていた人数は少ない。だから、大金を賭けたあの三人が、根こそぎ全てをもっていった。

 つまり、大儲けした人間が絶対にいるからこそ、その大儲けしたやつが憎く、けれどそれを知ることはできないから、ウィリアムにあたっているのだ。

 ――ただ、それだけならお金で解決できる。

 それよりも厄介なのが、ウィリアムが卑怯者として認識されていることだ。

 生徒会メンバーであること。騎士の国の王子であること。

 つまり、ウィリアムに抱かれていた幻想と、武闘会での戦い方の落差が大きすぎて、その波は手が付けられなくなったのだ。

 一度生じてしまった潮流を変えるのは難しい。鎮めるのも手間だ。


 だが。

 ――ふぅ。まずは第三王子派からの懐柔に、オスカー様からの呼びかけもしてもらいますか。それに、原因を作ったアフェーラル商会の者共にも、恋愛市場を通して、新しい潮流を創り出してもらう……借りは高くつきますが、それでも今後を考えれば……

 レヴィアは、既にウィリアムの悪評を取り除く方向へと舵を切っていた。

 ウィリアムは、あの状態から一歩を踏み出し努力したのだ。それなのに、世間がそれを評価しないのは、あまりにも可哀そうだ。

 レヴィアの根底にあるのはその思い。

 レヴィアは、必死になって努力して今の地位にいる。このままでは嫌だと思い、だからこそこの地位にいる。

 故に、並大抵の努力では成し遂げられない事をしたウィリアムに敬意を持っているのだ。同志としての敬意と言えばいいのか。

 それに、今も藻掻き苦しんでいる様子のウィリアムを見れば、オスカーが喜ぶだろう。友としていたい、と嘯いていたし、それを切っ掛けにシュヴァリェア王国からの支援も得られる。

 ――特にあの第二王子は、意外にも弟思いでしたからね。利用できるところは利用しなければ……

 どこまでも腹黒く思考するレヴィアだが、やはり疲れていたのか。


「おっと、大丈夫かい?」

「……すいません。どうも飲み過ぎたようで」

「確かにそのようだね」


 フラリとよろけてしまい、たまたま令嬢たちから逃げてきたオスカーが、それを支えた。

 黄色い声が舞うとともに、音楽が過熱する。まるで、二人がこの舞台の主役であるかのように。

 だが、そんなことにも状況が読めなくなるほど、レヴィアは飲んでいた。

 今日一日で生じた怒りと驚きと疲れと……つまりストレスを紛らわすため、前世の癖が出てしまったのだ。

 一応、マーガレットが制していたのだが、ケヴィンが訪れたあたりから挨拶回りに行っており、だれも止める者がおらず、上品にガバガバと飲んでいたのである。

 たった数分でワインボトル一本を空にしてしまうほどだ。

 だからか、麗しくドレスを身に纏い、先ほどまで上品な笑みを浮かべていたレヴィアは、頬を赤くして、碧眼をトロンとさせていた。

 それを見たオスカーは、打算と興味を込めて。


「レヴィア。僕と踊ってくれないかい?」


 傅き、レヴィアの左手を額に押し付けた。

 話し込んでいたケヴィンとウィリアムは、ほう、と面白そうにそれを見て、他の令嬢たちは嫉妬と歓喜の声を上げていた。

 流石に、レヴィアはこの状況で断れるわけもなく、また酔っていたせいで気分が良かったのもあって。


「はい、よろこんで」


 そう返事を返した。

 しかし、レヴィアはそこらの令嬢とは違う。

 騎士のようにオスカーを立たせ、空いている片手を胸に当て、頭を下げたのである。あくまで自分はオスカーの護衛だと。仕える騎士魔術師だと。

 ダンスに興じていた者たちは、予定されていたように踊りをやめてはけていく。

 二人は会場の中央へと移動する。

 音楽も一瞬だけやむ。

 

 そして、同じくらいの背丈の二人が踊り始める。

 流れる音楽は軽やかではない。格好よく、激しい曲。王子と騎士の踊り。

 銀の御髪と薄い金の御髪が交わるように揺れ、紅の瞳と碧の瞳が何度も何度も交差する。

 くるり、くるりと、凛とある月光と金の妖精が舞っている。


「へぇ、レヴィアってダンスもできるんだね」

「ええ、もちろんです」


 舞踏は、片方の技術が高くても成り立たない。二人そろってようやく美しく舞う花となる。

 だからこそ、激しく美しく軽やかに互いに互いをリードし合うダンスに多くの者が魅了され、ほう、と感嘆を漏らしてしまう。

 そんな中、月から訪れし貴公子と天から遣わされし天使は、楽しんでいた。

 優雅にして華麗なリードで、踊り舞うレヴィアを柔らかく抱きしめるオスカー。

 優艶にして美麗なリードで、踊り舞うオスカーを優しく突き放すレヴィア。

 だが、それでも踏まれるステップは超高等で、誰もがうらやむ域にまで達する。


 そして、一曲が終わった。


「……流石に疲れたね」

「それはそうでしょう。武闘会であれだけの試合をしたのです。今も動けている方が不思議です」


 二人は周りには見せないようにだが、確実に肩で息をしていた。

 それは当たり前だろう。踊っていたダンスは、それこそそれ専門の者が踊るような難しいダンスだったのだから。

 そしてそれが分かっていたウィリアムは、二人に近づく。


「はい、これ」


 二人に渡されたのは冷たい水が入ったグラスだった。

 それに二人は嬉しそうに受け取ったが、周りは白けた目でウィリアムを見た。

 まだまだ素敵な踊りを見られると思っていた観客にとって、休憩を与えたウィリアムは邪魔なのだ。

 まぁ、今日の武闘会がなければ、何と気遣いができる者だろうと見られていただろうが。

 ……世の中、不条理なのである。

 が、ウィリアムもそれが分かっていた。

 しかし、それでも疲れている二人が今後踊る必要がないように、そしてレヴィアやオスカーへ向かっていた妬みや暗い目がウィリアムへ向くように。

 ただ、ウィリアムは自己犠牲でこれをしたのではない。

 こうすれば、オスカーとレヴィアから高い好感が得られ、またウィリアムに対して悪感情を抱いていない者たちからも、好感が得られる。

 それは後々、大きな力になるだろうとウィリアムは思い、利用したのだ。

 

 ――本当に変わったな。

 オスカーはウィリアムのその思惑は分かっていた。だが、己を利用してくれる事がなぜか無性に嬉しくて。

 

 ――本当に変わられました。

 レヴィアもウィリアムのその思惑は分かっていた。だが、頼もしい仲間ができた事に安堵して。


「ありがと、ウィル」

「ありがとうございます、ウィリアム様」


 美しい笑顔を浮かべたのだった。




 そうして、オスカーとレヴィアの舞踏を皮切りに、あちらこちらで愛を囁くダンスが増え、ちらほらと結ばれた者も出てきた。

 それを、給仕やイベント、司会への回しを指示したりと、生徒会メンバーはもう少しで終わる舞踏会を仕切っていた。

 予定では一時間くらい早く終わるはずだったが、始まったのが二時間遅れだったこともあり、そのぶんの調整をしていたのだ。

 そして、ようやくフィナーレへ入ると思われたころ。


 それは起こった。


「オリアナ、貴様との婚約を破棄する!」


 ちょうど、大八魔導士であることを生かしてフィナーレへと導く演出が終わり、レヴィアが一分だけできた間で司会へ指示を出そうと移動した瞬間。

 色ボケバカの言葉が会場内に響き渡ったのだ。


 ――っのバカ!

 忙しすぎて警戒が緩んでいたレヴィアは、思わず怒りを口に出しそうになるが、何とかおさめる。


「……それは、在学中のお遊びだけで済ませるつもりはない、と受け取ってもよろしいのかしら」


 レヴィアが、溢れそうになる怒りを何とか鎮めている内に物事は進んでいく。

 黒のドレスを身に纏い、灰色の髪を靡かせるオリアナは、金髪の貴公子、ルークに冷たい目を向けた。

 灰色の瞳を向けられているルークの後ろには、いつぞやの頭が悪そうな金髪女がいて、その周りには眼鏡美男子、金虎族美男子、ハーフドワーフ美少年がいた。

 逆ハーであった。

 

「ああ、俺はクレアを愛しているんだ。それに、貴様はクレアに酷いことをしたそうじゃないか。それに、俺の試合を見ないほど外で男と遊んでいたのを知っているのだぞ? そんな女が俺の婚約者など、バカバカしい」

「そうです。アナタのような愚かで卑劣な女性など、ルーク様には相応しくないのです。……それはそうと、ルーク様。クレアを一番に愛しているのはこの僕です」

「ふん、抜かせ、セシル」


 ――酷いことって、語彙力が、というより会話が……いや、そんな事より、これはまずいですね。

 心を落ち着かせたレヴィアは周りを見る。

 ここにいるのはパーティーによって鬱憤はらしが済んだとはいえ、多少なりとも不満を抱えている者が多い。

 また、オリアナは身内主義であり、派閥外には冷遇はしなかったが、しかし何もしなかった。興味がなかったのだ。

 そして、お花畑派閥と、現実的な派閥と卑屈的な派閥からは嫌われていた。

 その付けが回ってくる。


「ねぇ、あれって」

「うらやましいわ。私もルーク様にあんなこと言われてみたいわ」


 ポツリポツリと外野が騒がしくなる。

 美しく化粧をして輝いているオリアナの周りは静かだ。

 取り巻きの令嬢は一人もおらず、ルークとたった一人で対峙している。


「……本当に、本当に、お遊びで終わらせるつもりはないのですね」


 イケメン四人が、庇護欲そそるクレアを守っているのだ。

 周りに誰もいないオリアナは本当に惨めに見えてしまう。


「フッ。こうなったら大公爵令嬢とはいえ、惨めね」

「ええ。それにクレアをイジメてたバツなのよ」

「それもそうね」


 その言葉は一学年の令嬢から。

 クレアは嫌われていない。逆ハーやっている平民なのに嫌われていないのだ。

 むしろ、オリアナ以外の派閥と良好な関係を築いている。オリアナ派閥の一部も取り込まれている。

 まるで、何か強力な魅力でも使ったかのように。

 それはじわりじわりと大きな潮流となって現れてくる。


 ――まずいですね。以前から、クレア・プロースティブラはこうやって、一学年の間で同調を作っていたようですが、他学年にまで広がってしまってますね。

 ここで無理やりレヴィアが割って入ってもいいが、しかしながら今後の活動を考えると頂けない。

 オリアナには悪いが、第三王子派の勢力を削ぐにはこの事態は好都合なのだ。

 オリアナとの婚約破棄が成立すれば、第三王子を支援する大公爵はブルーコルムバ大公爵だけになるのだから。

 オスカーを王にしたいレヴィアにとってはそれは都合がいい。ついでに、グレイフクス公爵家を味方に付けることもできる。


「もちろんだ。……いい加減未練がましいぞ」

「そうですね」


 だが、そんなレヴィアにとっても予想外の事が起きる。

 顔を上げたオリアナの表情に、ニッコリといい笑顔を浮かべたオリアナに驚く。

 そしてそんなオリアナは、物言えぬ雰囲気を纏いながらルークへと近づいて行った。


「ルーク様。半年間でしたが、とても素晴らしい・・・・・一時でしたわ」


 その言葉を発した瞬間、オリアナとルークとの婚約破棄がなった。ここには、大貴族の子息子女がいるのだ。

 直接的な権限がなくとも、貴族社会において目撃したという事実はとても強いのだ。だから、婚約破棄は決定的だろう。

 だが、それよりも。


「お、おい、オリ――」

「――それと、売婦。おめでとうございますわ!」


 バチンと、それはもう会場内に響き渡るビンタがさく裂した。それはもう素晴らしいビンタだった。

 ルークたちの後ろに庇われていたのに、オリアナは物言わせぬ雰囲気で彼らをどかし、クレアの頬を打ったのである。

 そしてそれは一度では終わらなかった。


「本当におめでとうございますわ! 第三王子に公爵令息、魔術男爵令息に、帝国の第二騎士団長令息」


 ビンタが四回もさく裂する。

 ぶべっ、と可愛らしいクレアとは似ても似つかない声が漏れ、頬が真っ赤に染まっていく。


「よくまぁこれだけの責任ある方々を!」

「やめろ、オリアナ!」


 と、振り上げたビンタが振り下ろされる前に、オリアナはルークによって止められ、突き飛ばされた。


「おい、手を上げたな。クレアに手を――」


 だが、突き飛ばされたオリアナは、ニヤリと自暴自棄になったような笑みを浮かべて、人差し指に嵌めていた指輪を抜いた。

 それは、グレイフクス公爵の家紋が記された指輪。


「賞賛しますわ、『冬の魔女』! そして、受け取りなさい!」


 そしてオリアナはその指輪をクレアに叩きつけた。

 それは、決闘の申し込み。令嬢が行う、代理人を立てた殺し合いの決闘を申し込む古来からの伝統。

 二百年前に貴族社会破滅へと導こうとした魔性の女、『冬の魔女』を打倒するために決闘を行った王女が、王家の指輪を叩きつけたのが由来である。

 そしてその王女には騎士がいた。真実を見る騎士魔術師が。

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