十九話 武闘会の始まり

「こんな夜更けに押し入りとは、相変わらず横暴ですねぇ?」


 お姫様を攫う騎士様のように窓から入ってきたレヴィアに、エイミーはニヤリと片方の口角だけ上げた。

 レヴィアはそれに気にすることなく、簡素な部屋を見渡して、エイミーのベッドに腰を降ろした。


「こんな夜更けまで起きていますと、肌に悪いですよ」

「あなたがそれを言うんですぅ?」


 ――何故今日に限ってラピスさんではないのですかねぇ……。まぁ丁度良かったと考えるべきですか。

 いつもは、レヴィアの契約精霊であるラピスがスルリと来るはずなのだが、レヴィアが直接来るのは今回で二度目だ。

 しかも、一度目は来ることを予想していたこそ不審に思わなかったが、今回は違う。全くもって心当たりがない。

 それに、レヴィアが学園内で直接エイミーと接触するのはリスクがある。

 大八魔導士とはいえ、何処にどんな目があるか分からないのだ。教員や教授、講師、職員の中には学園内で生活しているものも多い。

 そんな彼らの中には諜報員であったり、力や才能、知識はあるが、貴族社会の厄介ごとから逃れるために仕事をしている者もいる。

 また、そうでなくても、夜に出歩く学生がいないこともない。法律上成人を超えているため夜遊びは……できてしまうのだ。

 いくらレヴィアが、視覚や聴覚をごまかす魔術をつかったとはいえ、誰かに見られる可能性があるのだ。

 だから、直接来るというリスクを冒してまでくる用事があるのかと、エイミーは不審に思う。


 そんなエイミーの心を知ってか知らずか、レヴィアはじっとエイミーを見た後、ホッと頷いた。

 

「……食事は、キチンととっているようですね。ポンコツからは痩せていると聞いていましたが」

「ちょっと熱中していただけですぅ」


 そんなレヴィアの様子に呆れながら、エイミーは先ほど描いていた魔術陣の紙をピラピラと振る。

 

「……魔術省に出す論文ですか?」

「いや、お前に渡す論文ですぅ」

「私に?」


 ベッドに腰をかけたレヴィアは思わずといった様子で碧眼を見開いた。

 薄い金髪は、暗い部屋であるがとても煌めいていて、エイミーは若干ムカついた気分になる。

 が、それを振り払うようにニヤニヤとしたいやらしい嗤いを浮かべる。


「正確には、あの善人ぶった鼻たれ聖女にですぅ」

「……マーガレット様にそれを渡せと?」


 一瞬驚いたレヴィアは、しかしながらエイミーのその言葉に眉をひそめた。

 が、それだけだった。


「そうですぅ。あ、渡してくれるならお前が見てもいいですよぉ? けど、私の名前は出さないでくださいねぇ」

「……いいでしょう」


 頷きながら立ったレヴィアは、エイミーの手から紙の束を奪い取った。

 そして、壁によりかかると碧い瞳を高速で動かしながら、読み進めていく。

 エイミーはそれを見て相変わらずだなと思い、少しだけ警戒心を解く。エイミーも魔術が好きなため、こういう分かりやすい反応はうれしかったりするのだ。

 それに今回の論文は自分で書いたやつだし。

 そうして待つこと、数分。

 最初の概略を読み終え、ざっと目を通したレヴィアは、不審な顔をエイミーに向ける。


「なんですか、これ」

「何って、さっき言った通り、聖女に渡す魔術論文ですぅ。普通の魔術師だと分かりませんよぉ?」

「ッ」


 普通の魔術師と揶揄されたレヴィアは、悔しそうに顔をゆがめた。

 概略は、何とか読めた。書いてある文字が南大陸共通文字だったが故に。

 けれど、内容はわけがわならない。

 ――聖気による魔力影響とデーモンが持つ魔力影響の相違点と類似点……

 概略から読み取れたのはそれだけで、具体的な意味がはっきりと掴めなかった。

 ならばと思い、ペラペラと本論を読もうとしたのだが、そこに書かれていた文字をレヴィアは知らなかった。

 そう、“記憶”を持ち、南大陸共通文字に加え、北大陸共通文字に古代エルフ文字、神代文字……など、八つの言語を習得しているレヴィアが知らなかったのだ。

 それに、書かれていた魔術陣は論文に乗せるほど目新しいものでもなければ、革新的な要素があるわけではない。

 また、書かれている数式や文字式も、レヴィアが読めない文字で書かれている。


「フヒッ。これに書かれている文字は、たぶん高位神官ぐらいしか知らないと思いますから、安心して存分に悔しがってくださいですぅ!」

「……何故あなたがそれを知っているのでしょうか?」


 ニヤニヤと見下すように言ったエイミーの言葉に、浮かべている微笑が深くなるのを感じながら、レヴィアは丁寧に訊ねる。

 こういう時は、どんなにムカついても訊ねた方がいい。


「師匠が神官だったんですぅ。……その文字を知りたきゃ、お友達聖女に聞くといいですぅ。まぁ、素直に話してくれるとは分かりませんが」

「そうですか。……けど、『空欄の魔術師』の頼みですから、渡しはしますよ」

「よろしくですぅ」


 レヴィアは目の前の少女の情報の一端を聞き出せたことに少しだけ満足し、渡された紙束を懐にしまった。

 それを見届けたエイミーは、鋭い瞳をレヴィアに向ける。


「で、結局何の用なんですぅ? 私をコッソリ調べているストーカ様ぁ? そんなに知りたいなら、霊金貨六百枚よこせですぅ」

「……今回はそれに関してではありません。帝国に関して何か知っていますか? それかマーティー殿について」

「はぁ?」


 商会のこと関連で王国のなんやかんや政治的都合に引っかかったんだろうと予想していたエイミーは、予想外の問いに思わず首を捻った。

 それを見たレヴィアは、納得したように頷いた。


「期待薄でしたが、やはり知らないようですね」

「……てか何で、いきなりそんな質問をしたんですぅ?」

「……あなたに話しても問題はないでしょう」


 少し考え込んだ後、立っていたレヴィアは再びベッドに腰をかけた。


「明後日から『ブトウ祭』が始まるのは知っていますよね」

「賭けがありますから当然ですぅ」

「……掛けはほどほどに、ってもう手続きは終わってましたか。……まぁそれはおいておいて、その賭けが行われる武闘会において、魔術結界が使われるのはご存じですか?」

「決闘用の結界ですぅ?」

「はい、それです」


 決闘用の結界とは、対象者が受けた傷やダメージを痛みとして変換する結界であり、対象者が一定以上の痛みを感じた場合、痛覚が遮断されたりと、決闘で人が死なないようにしてある。

 それが基礎であり、今回はそこにマーガレットやほかの神官の手も借りて、恩寵法の制限結界などを張っている。主に闘気法を規制しているのである。

 また、武闘会は名前の通り武闘を競う大会のため、魔術は使用しない。

 だから、魔術用の制限用結界を張らなくてもいいのだが、それでも傷などを痛みだけに変換するといった魔術結界は難易度が高い。


「今年は私とマーティー殿がその結界を張る役でした」


 だから、大八魔導士かそれに近しい実力を持つ魔術師でなければ決闘用の結界は張れないのである。

 だから、毎年、大八魔導士か、もしくは世襲制の爵位である魔術男爵、通称魔導士が国王の名代も兼ねてその結界を張りに来る。

 まぁ魔術の権威を示すいい機会でもあるのだ。


「……ああ、なるほど。マーティーヨボヨボ爺が来なくなったわけですか」

「察しがいいですね」

「……しかも、その原因に帝国が関わっていると」

「関わっているというよりは、マーティー殿は帝国を調査して消息を絶ったのですよ。一応、彼の契約精霊がいるので生きていることは分かっているのですが、つながりが希薄になっていらしく、詳細はどうにも」


 大八魔導士の長的な役割をはたしていたマーティーが消息を絶った事を知っているのは、国王とマーティーに関わりのある人だけである。

 大八魔導士の大多数にすら、国王の命令で今は姿を消していると伝えている状況であり、その情報は秘匿されているのだ。。

 マーティーがいたからこそ、きな臭い大貴族が動かなかったりしている面もあり、その情報を外部に漏らすのは危険だからである。

 だが、レヴィアはエイミーにアッサリと話した。

 それは、エイミーがその情報を渡すことによって現状を打開しようとするレヴィアの意図があるのだが。

 ……まぁそれも含めて期待薄ではある。ただ、エイミーがこの情報を悪用することはないと知っているため、レヴィアはアッサリ話したのだ。


 エイミーは首を傾げながら、気の抜けた様子で尋ねる。


「第三王子の方はどうなんですぅ?」

「あちらは……王子の自覚がないようですのでどうでもいいですね」


 平民の女性にうつつを抜かし、腑抜けている阿呆を思い出し、レヴィアはため息を吐く。本当にオスカーや第一王子の弟なのかと疑いたくなるくらいに阿呆である。

 ただ、それなのに第三王子の支援者で、裏が黒く冷徹なブルーコルムバ大公爵に動きがないので不自然ではある。

 が、その不自然さを調査して、帝国を探っても問題は出てこなかったため、現状は放置となっている。放置するしかないのだ。

 モニカから王国の上位貴族の派閥などを叩きこまれているエイミーは、レヴィアの言葉からそれを察し、剣呑な瞳を向ける。


「王子自体はどうでもいいですけど、あの女は? それと一人帝国からの留学生がいたですよねぇ?」


 あのくそアマと心で呟きながら、エイミーはゆっくりと王子の周りを思い出す。

 オリアナとは現状仲良くやっているため、それゆえにオリアナに起こりそうな問題に関しては情報を集めているのだ。

 主に馬鹿第三王子に関する情報である。あとは、オリアナの実家に関しても。


「ええ、そっちも探ってみましたが、どうにも。特に留学生の方は全くもって動きがありません」

「……不自然すぎですぅ?」

「ええ、そうですが、動きがない以上探れませんので」

「ふぅん」


 ――帝国……ですか。トレランティア王国の件といい、あっちもあっちで厄介ですぅ。

 心の中でぼやいたエイミーは、どっちにしろ関わらない方がよさそうだなと心の中でメモをする。

 ただ、モニカにはそれとなく情報を回すかと算段を立てながら、もう日付が変わりそうなので、レヴィアを追い出しにいく。

 

「……帝国もマーティーヨボヨボ爺のことも知りませんので帰ったらどうですぅ?」

「そうですね。そっちは王国の方が動くらしいですし、任せるとしますか」


 そういったレヴィアは立ち上がり、そして窓に手をかけた。

 そのあと、自分の周囲にいくつもの魔術陣を浮かべて透明になり、出て行った。

 

「……冷徹冷徹って感じですけど、凄い甘いですねぇ」

「……何度感じても優しい魔力だな……痛ぇ」


 エイミーの懐からピョコっと出てきたラーナをデコピンしたエイミーは、そうニヨニヨと頬を緩ませたのだった。



 Φ



 朝。

 王国高等学園が保有する最大の演習場であるスタジアムには、熱狂と喧騒に包まれていた。

 大きなスタジアムのフィールドは三つに区画されており、その中心の区画に一人の老人とオスカーが立っていた。

 開会式である。


「……レヴィア様。確かに『空欄の魔術師』がこれを?」

「はい。出所は国家機密ですので言えないのですが、向こうがマーガレット様にこれを渡すようにと」


 それを特等席で見下ろすマーガレットがレヴィアに訊ねる。

 例年なら、開会式をやっている途中も生徒会メンバーが指示を出したりするのだが、今生徒会はとても優秀で、入念な下準備と『ブトウ祭』実行役員への仕事配分が上手くできたため、ゆっくりと過ごせているのである。

 動くとしたら緊急時トラブルだけである。その緊急時の対策やバックアップもしているため、ほとんど仕事はないだろうが。

 ただ、この場にウィリアムやケヴィンはいない。

 彼らが武闘会の出場者であるのも理由なのだが、ウィリアムはシュヴァリェア王国元騎士団長であり、指南役のオルドルが、ケヴィンは父親が来ているらしく、その相手をしているのだ。

 ちなみに、大八魔導士であるレヴィアや聖女であるマーガレットには、来賓者からいろいろなお誘いがあったのだが、生徒会を理由に断っている。

 ……仕事はほとんどないのだが、面倒なのだ。


「そうですか……」


 昨日の朝、レヴィアに論文形式の紙束を渡されたマーガレットは神妙に頷いた。

 『空欄の魔術師』という名前は知っている。レヴィアとオスカーが話していたのもあるし、ここ数年で魔術業界に大きな影響を与えていることもあり調査はしている。

 ただ、だからこそ、意図が分からない。何故、こんなタイミングよくデーモンに関する情報が。というか、何故聖女の自分に魔術の。

 それに。


「レヴィア様。『空欄の魔術師』はどうやってこの文字を?」

「……師匠が使っていたから、とだけ。……マーガレット様。その文字は何なのでしょうか?」

「……これは聖霊語です」

「聖霊……ですか」

「はい。神々の遣いである聖霊が使う文字なのですが……」


 聖霊語を何故知っているかである。

 聖霊語が読めるのは、聖国の本当に限られた存在だけである。星屑教会の教皇や枢機卿、あとは聖女くらいだ。

 ――師匠……ですか。この時代でこの文字を読める人は限られていますし、これならすぐに特定……あ。

 だから、『空欄の魔術師』の正体が分かるかもしれないと思った矢先、マーガレットはあることを思い出した。

 ――駄目です。放浪神官がいるのでした。

 聖霊語を読める者は、大抵聖国の限られた者だけだが、例外がある。

 それは神魔荒廃大戦を生き延びた人、特に長命種である。

 神魔荒廃大戦の時代、聖霊語は、神官の中ではもっと一般的だった。特に長命種であった神官は聖霊語を多用していた。

 神託言語拓きのことばには及ばないものの力を持った聖霊語が一般的だった事が、その時代の過酷さを表しているのだが。

 そんな聖霊語を多用していた長命種の神官は、聖国や星屑教会に属さない者も多かった。

 自分は神の僕であるが、集団の僕ではないのだと考えたりするのだ。あとは、面倒だとかそんな理由で。

 そして神魔荒廃大戦が終わったあと、放浪神官として活動したり、雲隠れしたりと、聖国はその足取りを掴み切れていないのだ。

 しかも長命種だった場合、コロコロと名前や役職を変えながら生きている者もいるため、厄介なのだ。

 それゆえ、そんな彼らにどんな人が師事したのかが分かっておらず、エイミーの師匠とやらも分からない。

 神魔荒廃大戦を生き延びた人に師事したのか、もしくはその師事した人に師事したのか……

 分からないのだ。


「なるほど。そのような言葉があるのですか。……失礼ながらマーガレット様。それをご教授いただけないでしょうか?」

「……すみません。聖女である私は、次世代の聖女以外には聖霊語をお伝えすることはできないのです」

「……そうですか」


 レヴィアはとても残念そうに、というか悔しそうに項垂れた。

 それを見て、マーガレットは口早にささやく。


「……けど、星屑教会に属さない神官で聖霊語を知っているものならば、そのしばりはありませんので」

「……ふむ。貴重な情報感謝いたします」

「いえ」


 エイミーが知っていて自分が知らない文字にとても興味が湧いているレヴィアは、マーガレットに頭を下げながら、伝手を探る。

 あの人はこういうことを知っていそうだな。あそこの情報屋なら……と己が持つ情報を引っ張り出す。

 ……エイミーに聞こう、という発想はないのは、無意識の対抗心があるからだろうか?

 まぁあったとしても、一昨日の様子からエイミーが教えてくれることはないだろうから、正解なのだが。


「……あ、ところでその内容は教えてもらうことは……」

「すみません。現時点ではなんとも。……ただ、本国にこれを送った後、向こうの解析がすんで許しを得られたら、その時は必ずお伝えいたします」

「そうですか。ありがとうございます」


 生徒会長としてオスカーが立派な言葉を並べているのを聞かずに、互いに頭を下げあう二人は、マイペースである。

 そんなマイペース二人がいる特等席に大きな影が近づいた。


「……レヴィア」


 その大きな影は地の底から響くような低い声でレヴィアを呼んだ。

 レヴィアはその声に反応して振り返る。


「……ガスさん。魔力気配を消して後ろに立たないでください、と何度も言ったはずなのですが……」

「忘れてた」


 そしてそこにいたのは大男。

 二メートル以上あるのではないかという身長に、大人一人半程度の横幅。そして、ローブから覗くとても太い筋肉で覆われた腕や足。

 首周りなんてやばい。肩にちっちゃな重機でも乗せてんのかい、というくらいだ。

 顔は彫が深く、巨人のような威圧感があるが、しかしながら、緩慢な動きに優しい深緑の短髪と瞳がそれを和らげる。

 一度見て驚き、二度見て安心するような雰囲気を醸し出している。


「今日はよろしくお願いいたします。ギガス様」


 慌てて後ろを振り返ったマーガレットに深々と頭を下げられた彼は。


「……ん」


 世襲制のシルワ魔術男爵、つまり『城壁の魔導士』の第十四代当主であり、大八魔導士の唯一の良心とも言われる『樹海の魔術師』である。

 二つの異名を冠するレヴィアに次ぐ天才なのだ。

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