十七話 無茶をおっしゃる

「ふぁあ。眠い」

「……みっともない欠伸だな」

「……ふむ。我ながら確かに」

「ふんっ」


 ウィリアムは苦笑いしながら頷き、ケヴィンは不愉快そうに鼻を鳴らす。


「少しは反論したらどうだ」

「いや、間抜けな欠伸だったのは確かだしな。そんなことにいちいち突っ込んでいてもしょうがない」


 申請開始から三日目なので、二人は公正取引委員会に大まかな賭けのトーナメントを提出した。

 その確認が済んだので正式な書類を貰い、二人は生徒会室へ向かっていた。

 ひたりひたりと月夜が歩く『紅の天秤塔』は薄暗い。

 しかしながら、同じ獣人の血を引く者であり、夜目の利く二人は星と月明かりのみに照らされた廊下を進んでいた。


「……ウィルは、お前はいつになったら……」

「いつになったら、なんだ?」

「……その苦笑いをやめてくれ」

「それはちょっとできない相談だな」


 ウィリアムの微笑みに見える苦笑いは板についている。

 それこそ、故郷ではずっと、学園でも殆どである。それ以外の表情を出せないこともないのだが、平時ではずっとそんな微笑を讃えている。

 ……エイミーとのやり取りでは本当に信じられないが。アレは特殊なのだ。

 まぁだからと言って、ウィリアムがエイミー相手に心を開いてるわけでもなく、むしろ訓練を受けている今はガッチガチに閉ざしている。

 それはもう、誰もかまってくれず引きこもった女神の洞窟の岩のよう……ふむ。祭りでもすればすんなりと……

 まぁどっちにしろウィリアムはガッチガチ心を閉ざさなければ、怒りと屈辱でエイミーの指導に従えなくなるだろう。


「ッ。……ふぅ。ウィルは今年も武闘会に出るのか?」

「ああ。申請も出した」


 茶化すように笑ったウィリアムに、ケヴィンは掴みかかりそうになるが、しかしながら心を落ち着かせ話題を転換する。

 ウィリアムはそれに少しだけ申し訳なくなりながらも、頷いた。


「……去年のような無様は晒すなよ」

「……それもできない相談になるな。というかそもそも去年も無様を晒した覚えはないのだが」

「……ふぅ。それを本気で言ってるのか?」


 相変わらず無様といわれても、それに対して怒るでもなく頬を掻くだけ。

 先ほどのもあるのか、言葉では一応反論したものの、それでも声には怒りも何も籠っておらず、ただただ取り繕った笑みがあっただけ。

 ケヴィンは、相も変わらずの友人に、友人と呼ぶにはもう無理なのかもしれないと少しだけ思いながらも問いかける。


「本気だ。去年も無様を晒した覚えはないし、今年も俺は今までやってきたことを出すだけだ」

「そういって去年は、途中で戦いをやめただろ!」

「……別にやめたつもりはない。ただ、ケヴィンには勝てないと思っただけだ」

「ッ。それを!」


 怒りの籠った赤の瞳がこげ茶の瞳にぶつかる。

 ついでに、赤の狼尻尾を逆立たせながら掴みかかろうとするケヴィンだが、しかしすんでのところで止まり、項垂れた。

 そして沈んだ声でいう。


「オスカー様はお前を友人だと思っていらっしゃる。だからこそ、俺もお前の事を友人だと思いたい。だが――」

「――ああ、分かっている。分かっているつもりだ」

「……つもりでは駄目なのだ」

「すまない」


 申し訳なさそうに瞳を下げながらも、やはりその顔に貼り付けた微笑みは消すことなくウィリアムは頭を下げる。

 そんなウィリアムにどうしようもない想いを抱きながらも、ケヴィンは不機嫌そうに鼻を鳴らした。

 そうしてちょっと微妙な雰囲気を漂わせた二人は、生徒会室の前にたどり着いたのだった。


 

 Φ



「ほら、右足ですぅ!」

「クッ」


 朝日に濡れる黒髪を白のバレッタで纏めたエイミーは、右手に持っていた“泥沼の魚”で目の前の青年を突く。

 突かれた青年、ウィリアムは右足を一歩引きながら半身になり片手剣で“泥沼の魚”を受け止める。

 されど、それすらも読んでいたエイミーは、その片手剣を巻き込むように“泥沼の魚”を回し、一歩踏み込む。

 

「セイッ!」

「ッ」


 そして空いている左手で、ウィリアムに拳を振るうが、ウィリアムはそれを円盾で防ぐ。

 が、人の拳がぶつかったとは思えないほどの鈍い音が響き、ウィリアムは後退る。


「ほら、呼吸を読むですぅ! そのへにゃへにゃの心で私の拳を包むように円盾を引くですぅ! ほらほら、軟弱野郎ぅ!」

「クッ!」


 ほどよく透けて見える布で目隠しされているウィリアムは、苦し気に身体を捩りながら、エイミーの棒術を片手剣と円盾で逸らしていく。

 逸らすのが、受け流すのが目的である。

 ……ついでに心に生じた屈辱も受け流していく。

 全ての水を受け流すスカスカの水門……あれ、水門として駄目では?


「何のために目隠ししているんですぅ? 目はもちろん、耳だけに、触覚だけに、振動だけに、気配だけに頼らないです! あ、でもいくら溜まっているとはいえ、私をネタに変な妄想はしないでくださいぃ?」

「ぬぅんっ!」

「ほら、息が乱れたですぅ! 闘気法は、薄く広く体力だけに回すですぅ! ほら、今一瞬足にいれたですぅ!」

「クッ」


 エイミーの訓練方法は……エグい。

 一瞬一瞬の刹那のミスを直ぐに指摘して、そのミスを治すように“泥沼の魚”を振るってウィリアムに攻撃を加える。 

 ……ついでにとてつもなくムカつく挑発も入れてくる。

 ウィリアムが反撃することはない。できないし、してはいけない。

 エイミーが言ったのだ。

 お前が勝つためには、強くなるためには、ずっと戦い続けられる戦い方を身に着けるのだと。

 身体能力や身体を動かす才能はあっても、戦う才能や剣の才能、誰かを守る才能がないお前が強くなるには、最後に立っていられる強さしかないと。

 誰かを圧倒するような剣術でもなく、力でもなく、長時間傷を負おうが、何だろうが戦い続ける強さ。

 お前の才能はそれだと。


 ……あおりを我慢するのは才能だろうか?


 だから、攻撃や防御に使う闘気法を禁止した。

 そして薄く広くじわりじわりと体力を維持する闘気法だけの使用を許可した。

 闘気法は何も無限じゃない。使い続ければ精神力や、強い闘気法だったら魔力も消費する。

 だから、精神的な体力の消耗と肉体の体力の回復が上手い具合に釣り合う何ともちっぽけな闘気法、〝回生〟の修練だけに務めさせたのである。

 それだけでなく祝福ギフトの“気配感知”や耳の良さなどにも注力させている。

 茶犬族の血を引くウィリアムは耳がいいし、感覚もまぁまぁ鋭い。足裏の振動を感じる術も多少なりとも身に着けている。

 だからこそ、〝回生〟に合わせて、相手の呼吸と足音などを読み、それに沿った受け流しと逸らしを身に着けているのだ。

 そして、視界を半分以上見えにくくする薄い目隠しをすることによって、集中力と危機感を長期的に植え付け、あとは視界がそこまで頼りにならない事を体にしみこませている。

 ここ一週間半はずっとそんな感じだ。


「休憩ですぅ」

「ハァッ、ハァッ、ハァッ」


 たった十分足らずでウィリアムの体力は尽きる。〝回生〟を使おうとも、動きに無駄が多く、体力回復が間に合わないのだ。

 嫌らしいことに、エイミーはそれをキチンと見抜いている。体力が尽きてギリギリ頑張ったってところで上手い具合に休憩をとるのだ。

 それが大体六セット。

 ちょっと体力が上がったり技術が向上したと思えば、ギアを上げられ、毎度十分も持たないのである。

 そして何より。


「腰をもっと低くするですぅ。四手目の攻撃は、円盾をあと五度ほど傾けて左足を若干外に向けるですぅ。九手目は右手首を回して、丸め込むようにしながら一歩前へでるですぅ」


 すぅ、すぅ、すぅ……とずっと攻撃の手数を上げ、その改善を述べるのだ。

 しかも、どういった手数か覚えていなければ凄い怒られる、というか、地獄を見せられるし、そもそも目隠しによってエイミーの動きは半分以上見えていない。

 それでも全感覚で捉えているが、だからこそ思い出すイメージことが難しい。

 しかしながら、触覚や振動、呼吸や音で捉えた感覚を脳内で立体的に想像できなければならないとエイミーはいうため、ウィリアムはそれに必死についていく。

 

「ああ、それと五十二手目、あれは良かったですぅ。よかったですけど、改善点もありますぅ。言ってみろですぅ」

「…………右肩をもう少し引く……か?」

「何故そう考えたですぅ?」

「……五十二手目から八手目までは一連の攻撃だった。だから、その対処をするためには初手で肩を引いた態勢をとるべきだと考えたからだ」

「そうですそうですぅ。それと、それを百二手目で改善したのは良かったですぅ」


 すぅすぅすぅとムカつく語尾だが、しかしエイミーはウィリアムを考えさせるし、良かった点はキチンと褒めるのだ。

 …………。

 そう、褒めるのだ!

 嘘じゃない、本当にいい点があれば褒めるのだ。信じがたいが。

 一週間ちょっとで、ようやく十分間の行動と手数を感覚的に思い出せるようになってきたウィリアムは、だからこそ粛々とエイミーの指導に従っていた。

 まぁ、ウィリアムが頼み込んだのだから当たり前なのだが。

 それでも、ここまで的確に良い点と悪い点を上げられるのは意外にもキツイ。

 厳しいだけなら反骨精神も生まれるが、上げて落されるのは辛いものである。まぁそれが一番意欲のある者にとってはいい教えなのかもしれないが……


「あ、次ですが、これまでとは変わりますぅ」

「……もうか」


 だが、十分間全力で動き切ったのに、休憩がたった五分しか与えられないのはとても辛い。

 その五分間もエイミーの指導に含まれるから、心を落ち着かせる余裕もない。

 その中でも上手く切り替える力を養うためなのだが。闘気法を使うには、闘気法自体の技術向上もそうだが、精神的な体力の向上も欠かせないのだ。

 

「で、何をするのだ?」

「今度は今までと逆ですぅ。目隠しはそのまま、私に剣と盾、あとは脚に……まぁあらゆる手を使って攻撃するですぅ。私は守りはするけど反撃はしないですぅ。いたいけな少女を一方的に攻めるだけですぅ。プライドだけは高い半端者には絶好のシチュエーションですぅ?」


 ブルブルと己の身体を抱くエイミー。

 ここ二週間でスルースキルは最強です、と言えるほどにエイミーの煽り耐性を身に着けたウィリアムは、それを無視して訊ねる。


「目的は何だ」


 したら何事もなかったかのようにエイミーはニヤニヤ面で話を続ける。


「それはこれまでと変わらないですぅ。視覚だけに、聴覚だけに、あらゆる感覚一つに頼らず、満遍なく集中する事。呼吸と体の動作から相手の動きを頭の中でイメージしながら、最小の動きで長く長く戦いを長引かせる事」

「……長く長引かせたところで……」

「強くなれるですぅ。世の中最後に立ってた奴が一番強いんですぅ。最初に全員をぶった倒す才能か、それともずっと倒されずにいる才能か、お前は後者だと何度もいったですぅ。ああホント、覚えの悪い子でこまりますぅ」


 はぁとワザとらしくため息を吐くエイミーに、だがウィリアムは考え続ける。

 ――最後に勝った奴が強いか。……本当に俺が目指すのはそれなのか。強さとは、何においての強さだ。

 

「ああ、それと攻撃しろといったですけど、決して〝回生〟以外は使うなですぅ」

「……ここ二週間近くずっと気になっていたが、貴様は何故闘気法が視えている」


 詮索はしない。

 これが鍛えてもらう条件だったが、しかし相手の闘気法を視る術を持っているなど信じられない。

 相手が闘気法を使っているかどうかは分かるが、それでも大雑把なもので、的確に体のどこにどんな闘気法を使ったなど知る方法が知りたい。

 もしかしたらそれを身に着けられるかもしれないから。


「うん? 視えていないですよぉ?」

「だが、先ほども」

「簡単ですぅ。お前の肉体を知ってるからですぅ」

「肉体だと」


 飲んでいた水筒をおき、目隠しを再度したウィリアムは、ぼやけている視界の中でエイミーを見る。

 立ち上がり、片手剣と円盾を持つ。


「そうですぅ。お前の骨や筋肉の付き方。量。関節の柔らかさに、運動能力。それらを把握しているから、不自然な、強化された出力や動きがあった場合はすぐわかるですぅ。それと、頭の悪さも知っているですぅ」

「……どうやったら、それを戦闘時に見極められるのだ」

「訓練ですぅ。あとは、学べですぅ。学園の図書館にも医療本はあるはずですぅ。それ見て、人間の構造を知れですぅ。……あ、すみません。読めないんですねぇ」


 すぅすぅすぅとウザく言いながら、“泥沼の魚”を持ち、それを振り回したエイミーは、ウィリアムに突きつける。

 それが、訓練の開始合図だ。

 なので、先ほどの侮辱などの仕返しにウィリアムは闘気法は使わずに全力で飛び掛かる。


「そう、かっ!」

「ぬるいですぅ」


 振り下ろされた片手剣は、やはりシャァァンッという音とともに受け流される。

 もちろんウィリアムはそれを予測していて、受け流されるのを利用してエイミーの懐に滑り込み、円盾払いシールドバッシュを繰り出すも、躱される。

 左足を軸に回転しながら横薙ぎに片手剣を振るうが、それは“泥沼の魚”で逸らされる。

 攻撃しては、逸らされ、袈裟斬りすれば包み込まれ、円盾で打撃を加えれば、水に衝撃を殺されるように、無手や受け身で全て無に帰される。

 

「ほらほらほらですぅ! 相手の呼吸を読んでタイミングをずらすですぅ! 相手が息を吸った瞬間に、振るえですぅ。お人形の様に振る舞う半端者は得意ですぅ? だから変な駆け引きはするなですぅ! ただただ、読んでずらして読んでずらしてだけを繰り返すですぅ!」

「ハッ!」

「ホッと。ほら、指先と足先意識しろですぅ! 最小の動きをするために、力まず滑らかに!」

「シッ!」


 エイミーは一切反撃しない。受け流し、逸らし、躱し、それだけでウィリアムを翻弄していく。


「そして剣を持ち、盾を持つ意味を考えろですぅ! 考えながら、〝回生〟をゆっくりと練度を高めて循環させるですぅ!」


 やることは多い。

 頼れない視界の中、それでも視界を使い、その他の感覚全てを使い、エイミーの動きと呼吸と足音と読んで、次の動きを予測する。

 それに対してタイミングをずらすように攻撃し、しかも攻撃の際、〝回生〟以外の闘気法を使わないように、己の癖を制御する。

 そうしながら、心裡を見ろというのだ。

 大変すぎるし、それを何処かしら怠れば、直ぐに指摘が入る。鬼である。


「ほら、休むなですぅ! 静を意識しながらも、絶対に休みをいれるなですぅ。ついでに半端者の人生に休みはありませぇん!」


 無茶をおっしゃる。

 エイミーが言いたいのは残身を怠るなという意味だが、それでもたった数分でも片手剣を振り回し、盾を払い回し、素早く細やかに動くのはとても疲れる。

 ウィリアムの息が粗くなるが、しかし絶え間なく抜け目なくエイミーが指摘して、嫌な感じに動くから、いやウィリアムが動かされるから休むことは難しい。 

 それでも一旦引いたりしようものなら、エイミーの怒鳴り声が飛んでくる。

 これは、状況を見極める訓練ではなく、戦術駆け引きの訓練でもない。ただ、相手の動きを予測し、最小限の動きで予測した相手の動きの半歩先をいくことだ。

 体力を使わず、力を使わず、ずっとずっと戦い続けるための訓練。


 そうして、それが残り数分続いた後。


「はい、終了ですぅ」

「カッ、ハッ、ハッ、ハッ、ハッ、ハッ」

「体力づくりサボってますぅ? 筋肉の付きも悪いです。渡したメニューきちんとこなしてますぅ? もしかして言われたこともできないおバカさんですぅ?」

「ハッ、こッ、カ、こなしている!」


 這うように水筒を取り、中の水を被ったウィリアムは、途切れ途切れになる息の元、何とか言い返す。

 あんなきついメニューを、中間考査もあり、生徒会の仕事もあるのにこなしているのだ。

 ……いや、自分からやるといったので「こなしているのだ」という表現はおかしいのだろうが、それでもエイミーの鬼みたいなメニューについていっている。

 というか、ウィリアムとしては筋肉の付きなんかよりもあれだけ激しく動いていたはずなのに、息切れ一つ起こさず余裕そうに水を飲んでいるエイミーの体力がとても気になる。

 その小さな体にどれだけの力があるのかと、どんな肉体の付き方をしているのだと気になってしまう。

 が、ウィリアムはエイミーの肌を殆ど見たことがない。

 裾が黒の靴を若干覆うくらいの黒ズボンに、手首までかっちりとある白シャツ。

 それにそれらだって、薄汚いローブから覗いているだけであり、体の殆どは薄汚いローブに隠されている。


「……飯ですかねぇ? パンは食わせていますしぃ、昼餉と夕餉ですかねぇ? あ、もしかして、お母さんのごはん以外は食べられないとか……プークスクス」

「……貴様に言われた通りの栄養をとるための食事はしているぞ」

「ふむ。ならば睡眠……ああ、けどこれは難しいんでしたねぇ」

「ああ」


 今日最後の訓練が終わったから、エイミーは持ってきていたパンをウィリアムに渡す。

 訓練は朝だけだ。昼もないし夜もない。毎朝、日が昇る前から朝ごはん前まで。

 それだけで、残り三週間程度先の武闘会で優勝するなど。


 ――いや、そもそも俺は優勝したいのだろうか。売り言葉に買い言葉、それと変わりたいという想いから、お願いしたが……

 いつも通りエイミーが持ってくるパンにバターと野菜、肉を挟み、血の味がする口の中に含んだウィリアムは考える。

 昨日ケヴィンに言われたこともだ。

 ――このままじゃ駄目なのは分かってる。だからこそ、コイツの手を借りてでも、オスカーが褒めたコイツの強さに頼ってでも変わりたいと思った。

 それが、ウィリアムがあの日、あの時思った心。

 けれど、心は不確定で移ろいゆくもので、そしてあいまいだ。

 だから、あの時の決意が想いは自分が考えて出したものなのか、衝動的なものなのか、不安で仕方がない。

 母を想う。父と兄を思い返す。

 ――ああ、やはり俺は……

 だが、それでも掠めるのはエイミーに最初にぼこされた日。

 母から賜った片手剣、〝息吹の廻り〟だけは、決して放していなかった己を知りたい。

 あの執念は何だったのか、〝息吹の起り〟は諦め、もう〝息吹の廻り〟を持つ意味すらも分からず、諦めていた。

 なのに何故握っていたのか。

 それがたぶん生かされた意味になると思って。自らのしるべになるのではと。

 

 ――何故剣を持つのか、何故盾を持つのか。

 ずっと、言われてきた。ここ二週間近く、エイミーにずっとそれを。

 どんなに、感覚を研ぎ澄ませることを忘れてもいい。〝回生〟以外の恩寵法を使ってしまってもいい。

 だからこそ、それだけはずっと考え続けながら鍛錬に望めと。

 ――俺の誓いは……剣と盾の神クシファピタに立てた誓いは……

 母のようになりたかった。

 母のように誰かを守り、戦い、切り開く存在になりたかった。自らを切り開く、どうしようもない現実を変えた剣と盾をわが身に。

 だからこそ、孤児でありながら大八魔導士になったレヴィアに期待した。

 

 思慕。

 幻影への理想。


 ――まぁそれも最初に見抜かれていたが。あの碧眼は……

 美しく整った顔に、崩れ去りそうなほどに儚い金髪。なのに、碧眼だけは、麗しく澄んだ瞳だけは、とても強い炎があり、期待など焼かれてしまった。

 ――いや、そもそも俺のことなど眼中にもないだろう。一か月半共にいたが、それでも彼女は俺のことを見ていない。

 生徒会の中で、自分だけは評価されていないことに気が付いている。そんな自分に少ししか嫌気が差していないのも。

 自分を嫌いになることすらも諦めた。

 それで空っぽスカスカになった心だが、表面上は良くできていて、いい動きをしていただろう。本当にそう思っているような感情やそれによる表情、声の動きがでていた。

 もしかしたらそれは空っぽになった心の防衛反応だったのかもしれないが。


 ――だが、やはり母のあの薫陶だけは……


 「人を愛しなさい。自らがどんな理不尽に廻り逢おうとも、理不尽自分認めなさい愛しなさい。認めれば余裕ができる。身近な人も見知らぬ人にも笑顔を与えられる。幸せにできる。されば、きっと廻り逢うはずの理不尽は、消え去ってしまうから」


 未だにその言葉の真意は分からない。

 だが、だからこそその言葉とは全くもって似ていないと、なんとなしに感じたエイミーが気になった。

 自分が見ている世界では、彼女は母の言葉の対極にいるのではないかと。金を稼ぐために、人を利用して、自らを富ませているのだと。

 だが、オスカーやレヴィア、マーガレット。ケヴィンもそうだが、自分にはないモノを持ち、生きている彼らは母の言葉のようだと言って。

 ああ、だからこそ気になった。


「さっさと食べろです! お母さんのあ~んがないと食べられないんですぅ!?」

「ッ」


 と物思いに耽り過ぎたらしい。

 エイミーに怒鳴られ、また懐中時計を確認すれば、あと三十分もせずに一限目が始まる時間だ。

 

「は、早くしなければ!」

「だから、さっさと食えってさっきから言ってるですぅ! 半端者の頭には真っ赤な鶏冠でもついているんですぅ?」


 ……すぅすぅすぅという語尾はたぶん自分だけだろうなと感じながら、ウィリアムは残りのパンを急いで口に含む。

 そしてエイミーに深々と頭を下げた後、一足先に森林演習場を離れた。

 エイミーがウィリアムと鍛錬しているところを知られたくないからである。だから、エイミーに指導を受けていることを誰にも言うなと厳命されている。


「はぁ。念のための金を増やすためとはいえ、面倒です。本っ当に優勝してくれるんですかね? ……私が出た方が……ってか、出れないんです。ホント、何で男しか参加できないんですかねぇ」


 その後姿を見ていたエイミーは、このままだと一攫千金は難しそうだなとため息を吐いた。

 というか、指導代をどうやってぶんどろうかと思索し始める。

 が、しかし今日は一限目がないことを思い出し、ここ最近は忙しかった心を休めるために、木陰で居眠りをするのだった。

 ――あとでラーナに起こしに来てもらえばいいですぅ。

 そんな事を想いながら寝入ったエイミーは。


 ……当然ながら寝過ごした。

 そして昼まで寝過ごしたエイミーを起こしたのは、ラーナでもなく、教員でもなく、マーガレットだった。

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