十話 煽り

 ――うへぇ。


 昼食を終え、昼寝場所を探しにウィリアムは、ぶらぶらと校内を歩いていた。

 留学生であり、また実家からは冷遇……とはいかないまでも、自分に忠誠を誓う者はおらず、そのためウィリアムは第三王子でありながら、一人で校内をうろつけていたのである。

 ある程度仲がいい貴族たちも一緒ではない。

 大抵は今日の午後の講義、つまり大八魔導士であるレヴィアが講義助手をする魔術史の講義に皆出ているからである。

 そして魔術の才能もなければ、やる気もないウィリアムは昼寝場所を探しにうろついていたのである。


 が、しかし。


 ――あいつら、のだよな。

 ここ最近になって校内の至る所から匂う甘い匂いに辟易していた。


 二週間前。

 己に腐臭がすると言った少女たちは、その後学園内で商売をすることはなかった。

 しかし学園都市内の一角に商会を開き、そこに多くの学生、特に高等学園の令嬢たちが訪れ、色々と買っていき、それを学園内で身に着けている。

 そしてその身につけられている品々から漂う匂いがウィリアムにとってはうるさすぎた。異臭に感じたのである。

 というのも、それらの品々から漂うに匂いは一つだけでなく、微妙に甘さや爽やかさなどが違うのだ。

 まぁそれでも一般的な常人ならば気にするにおいでもないのだが……


 ウィリアムは、半分茶犬族の血が流れている。

 見た目は人間の血の方が強かったが、聴力や嗅覚などは茶犬族の血が強かった。つまり身体能力が茶犬族側に近い。

 そのため匂いに敏感なのだ。

 また、同じ獣人仲間でウィリアム以上に嗅覚が鋭いケヴィンも、このところ学園内に漂っている匂いに辟易していた。

 そのため、ケヴィンは鼻に布当てをして過ごしている。

 ――まぁ流石に学業に支障が出たから、オスカーが動くだろう。

 それ故に、今後は学園にいる獣人族のために新たな学則ができるであろう。


 甘ったるく、まじりあった異臭を嗅いでそれを思いだしたウィリアムは、気分を紛らわすように頭を振る。

 今日は誰もいない昼寝を楽しむのである。

 面倒な事は今考えなくてもいい。


 そう思いながら、オスカーは校舎を出て、裏庭の方へと移動していった。

 そして。


「うわぁ」


 祈りと豊穣の女神マーテルディアから授かった祝福ギフト、“気配感知”に三つの気配が引っかかった。

 “気配感知”とは、一定範囲内にいる魂ある存在が発する生命的な気みたいなものを捉える祝福ギフトであり、また、数人ではあるが、その個人個人の気配を登録することができる。

 通常だと、登録していない気配の区別は殆どできないのだ。

 そしてそんな“気配感知”で捉えた方向へ自然と注意がいき、鋭い聴力がとある声を捉えた。

 

 ――恫喝……か?


 響く声は二つ。甲高く、たぶん女性の声である。

 オスカーは内心でため息を吐きながら、しかし微かに聞こえる声の様子から恫喝だと判断し、声のする方へと歩いて行った。

 ――仕方ない。これを見逃したとなれば友に合わす顔がないしな。

 そして気配を殺しながら、ゆっくりとその場を近づき。


「早くわたくしたちに献上なさい!」

「平民の血の養子が逆らおうとは思わないことですわ!」


 ――恫喝による献金か。


 学園内で身分を笠に着て脅すことは、建前上禁じられている。公平にということである。

 建前上とはいえ、それが破られており、しかも金が絡んでいるとなると厄介だなと思いながら、ウィリアムは現場を伺って。


 ――……て、あ、あいつら何やってんだ!


「何をしている!」


 焦るように声を張り上げた。

 脳裏には二週間前に友であるオスカーから聞いた恐ろしい話だけが浮かんでいた。


「うぃ、ウィリアム様!」

「あ、これはですね……」


 ウィリアムの怒りともとれるこげ茶の瞳に睨みつけられ、少しだけ品のないドレスと装飾品を身に着けている令嬢二人が、驚きの声を上げる。

 しかし普段のウィリアムなら、母親譲りの端整な顔で上手く令嬢たちを操って穏便を物事をすますのだが、今回は違う。

 焦りと怒りのまま声を再び張り上げる。


「貴様ら、見なかったことにしてやる! だから今後一切そのような事をやめろ! その者と絶対に関わるな!」

「え、あ……」

「いいな!」

「は、はいぃ!」

「わかりましたぁ!」


 ウィリアムのあまりの怒りの声に令嬢二人は、驚き、そして逃げるように去っていった。

 彼女たちが手に抱えていた袋がチャリっと音を立てて落ちた。

 そしてそれを拾う者がいた。


「……エイミー・オブスキュアリティー・モスだな。何を企んでいる」


 エイミーである。

 ウィリアムはオスカーからモス伯爵の養子の事を聞いた。

 それ故に、ウィリアムは金を脅して奪い取っていた令嬢二人を案じたのだ。

 というか、流石に処刑や追放を他国の下級生とはいえ、自分の近くで行われるのは嫌だからである。


 そんな地雷満載のエイミーは、金が入った袋を拾い、そしてウィリアムを見た。

 恨むような、煩わしいと思っているような目つきでウィリアムを睨み返した。


「……はぁ。空っぽの中途半端野郎ですか」

「っ」

 

 疎むようにそういったエイミーは、狼狽えるように息を飲んだウィリアムに詰め寄る。

 ウィリアムは思わず後ずさりし、校舎の壁に足が当たった。

 そして頭一個半ほど小さいエイミーがウィリアムの胸倉をつかんだ。

 ……身分の差異によらず、建前上は公平である王国高等学園でも、これは流石に許されない。

 他国の第三王子の胸倉をつかむとは何事であるか。


「半端者。どうやって落し前付けてくれるんですぅ?」

「くっ」


 だがエイミーは、それ以上の暴挙をウィリアムに行った。

 その小さな女の子の身体では考えられないほどの力でウィリアムを持ち上げ、校舎の壁に叩きつけたのである。

 言葉に反して声音はとても冷たく、無表情にウィリアムを睨む。


「ふ、普通は礼を言われるのが当たり前なの……くっ!」

「はぁ? 礼? なんで半端者に、しかも私たちに損害を与えたクソに礼を言う必要があるんですぅ? ああ、自分は王子様だから、声をかければ礼を言われるとでも思っているのですぅ? おめでたい頭ですねぇ?」

「……こ、この手を離せ!」

「はぁ? そんな事より落し前です、落し前。お前のせいで金づるが来なくなったじゃないですかぁ? だから、その損害。最低でも小金貨七枚。というか普通に小金貨十五枚以上払ってくれますぅ? 王子様だし金持ってるでしょ」

「ど、どいう事だ!? 貴様は恫喝されて金を――」


 ウィリアムはその鋭い聴覚をもって確かに聞いたのだ。あの令嬢二人が金を寄越すようにと恫喝している声を。

 なら、普通は礼を言われるはずだ。

 それが損害分を払えと?

 ――というか、クソ、振りほどけない! どれだけ強い力ななんだ!


「――奪われていた? ハッ。あの阿呆どもが、金を奪えるとでも思っているんですぅ?」

「っ、だが。くっ、げ、現に貴様はあいつらに!」

「……はぁ」

「っ。はぁはぁ」


 ため息を吐いたエイミーは、掴み上げていたウィリアムの胸倉を突然離した。

 ウィリアムは急に離されたことにって、バランスを崩し、校舎の壁に寄りかかるように座り込んだ。

 エイミーはそんなウィリアムのこげ茶の短髪を掴み、項垂れていた頭を上げさせた。


「いいです? おめでた頭の半端者でも理解できるようにいいますよ?」

「っ」

「あの品のない阿呆どもはカモ。私たちのお店に巨額のお金と金持ちを連れてくる歩く鉱脈なんです」

「……なら、何故金を奪われていた」

「それは簡単ですよ。あいつら散財癖が酷いんです」

「はぁ?」


 ああ、ウィリアムは何と素晴らしい男性なのでしょう。

 髪の毛を掴まれて無理やり顔をあげさせられて痛いはずなのに、半端者とののしられたのに、それについては一切問わず、振り払おうともしない。

 よくできた……あれ? ただの被虐趣味者なだけで……

 

 ……ごほん。今はおいておきましょう。


「つまり、金があると全て使うんです。あの阿呆どもは」

「そ、それが――」

「――だから、奪われたと見せかけた金は全て私たちの店に返ってくるんですよ。全く頭が悪いなぁ」


 いや、それだと手間だし、普通、奪われたお金の全てが返ってくるとは考えづらいのだが。

 というか、そんな不確定な……


「俺の頭が悪いだと。貴様の方こそ頭が悪いのではないか? どう考えても返ってくる保証など――」

「――ああ、馬鹿。ホント馬鹿。返ってくるから金を奪わせているんですぅ。あいつらは今や私たちの店の強力な固定客。事前調査でそれは確定。けれど、伯爵の娘だけど学生だから金は少ない。なら、安定的に金が手に入ると錯覚させれば、必要以上に散財してくれるんですぅ」


 ……しかしそれでも。


「だ、だが、奪われた金が貴様のところの商品を買って返ってきたとしても、商品分の損失が!」

「さっきの言葉聞いてましたぁ? あいつらは歩く鉱脈。伯爵の娘だからこそ品がなくとも、半端者みたいにプライドだけは高かい。だから自慢だけはする。とてもしてくれる」


 何度もなじられたウィリアムは、しかしながらエイミーに文句を言うまでもなく、エイミーが言う通りではない賢い頭でその言葉を理解していく。

 そして……何となく分かってきた。


「あいつらは歩く広告塔なんですぅ。高々、小金貨二枚程度で動いてくれる伯爵令嬢様なのですぅ?」


 伯爵令嬢が宣伝することなどあまりない。

 エイミーが伯爵令嬢であるから分かりづらいが、伯爵以上の爵位を持つものは王国内ではとても力を持った存在だ。

 いや、貴族自体とても力を持っている。

 ……当たり前であるが。

 それ故に、貴族令嬢である彼女たちの言葉には、行動には大きな価値がある。

 それこそ、商品の宣伝をしてもらうのならば、超最低――貧乏伯爵とか――でも小金貨十枚以上の出資をする必要があるだろう。

 まぁとはいっても、通常、お抱えの商会でない商品を宣伝してくれることなど一切ないだろうが。

 だって献金はないし、利益もないからだ。

 


 ……ここで電波を飛ばすとするならば、TVのCMにでている有名女優とか、好感度が高い芸人とでも思えばいい。

 彼らに払われる広告出演費はそりゃあまぁすごい。

 というか、小金貨十枚でも足らないくらいだ。大金貨にも余裕で届くだろう。


 ……電波終了。


 

 まぁそういうわけで、他国であろうと、同じ王制貴族制を敷いている国の出身であるウィリアムは、エイミーの言葉を理解した。

 そして怒りが湧いた。


「貴様! 人を騙してまで金がそんなに大事か!」


 義憤に駆られる。

 己の髪を掴んでいたエイミーの手を力いっぱい振り払い、立ち上がる。

 それから、少しだけ後ずさったエイミーを見下ろして怒鳴る。


「先日もそうだ! オスカーに言われたから我慢したが、人を騙して商品を売りつけてまで、そんなに金が欲しいのか! 恥はないのかっ! 人として、貴様は栄えあるユーデスク王国の伯爵令嬢として恥ずかしくはないのかっ!」


 だが。


「……それだけです? ならさっさと小金貨十五枚払ってください。賠償してください?」

「き、貴様。この期に及んで金など! もう我慢ならん。今すぐ学園都市公正法委員会に――」

「――ハッ。やっぱ馬鹿ですねぇ? 訴えて処罰されるのは私ではなくあの阿呆どもですよぉ?」


 そうなのだ。

 エイミーとモニカが学園都市で開いている店は真っ当に申請を通して品物や、果てにはサービスを売っている。

 税金も初めてから二週間ながら、前金すらキチンと納めている。

 そしてウィリアムは先ほどの話を聞いたから、令嬢たちが被害者と思っているが、状況だけで見ればエイミーが被害者である。

 権力でゆすられ、金を奪い取られていたのはエイミーで、権力によって脅して献金させるのは違法である。

 つまり、処罰されるのは令嬢の方である。

 エイミーはそもそも彼女たちを騙していない。

 勝手に彼女たちが動いただけである。自業自得だ。


「っ。き、貴様!」

「……貴様貴様って。随分と偉そうですねぇ、お、う、じ、さ、ま?」

「きーーっ。ああっ! クソ!」


 怒りのままにエイミーに掴みかかりそうになったウィリアムは、しかし嫌な予感がし、咄嗟のところで自分の頬を叩いて立ち止まる。


「すぅはー。すぅはー」


 ――ふぅ。ふぅ。落ち着け。落ち着け。ここで手を出せば、こちらが悪になってしまう。落ち着け、落ち着くんだ。

 ウィリアムは必死になって己を落ち着かせる。

 ――……そうだ。我を失えばコイツの思うつぼだ。落ち着け。状況を整理して、落ち着くんだ。ふぅーー。

 そしてウィリアムは一歩下がり、深い深呼吸をしながら目を閉じた。


「ちっ」


 それを見てエイミーは残念そうに舌打ちした。

 それを聞いてウィリアムは落ち着いて正解だったと確信した。


「……それで小金貨十五枚はいつ払ってくれるんですぅ?」

「……何故俺が貴女に払わなければならないのだろうか? 俺は無理やり献金させられているところを助けただけなのだが?」


 そういう事である。

 ウィリアムが契約を邪魔したのであれば、賠償金を払う必要があるだろう。

 商会の正式な行動を妨げ、損害を出したのであれば、賠償金を払う必要があるだろう。

 だが、エイミーは彼女たちが勝手にやった事として主張している。あくまで、自分は被害者で金を無理やり脅されて奪われただけだと。

 つまり、ウィリアムは正しいことをしたのだ。

 エイミーは訴えることはできず、感謝することしかできない。

 なら、何故、賠償金を払えと言ったのかといえば。


「……助けていただきぃー、ありがとうございますぅー」

「どういたしまして、ヤクザ者」


 ウィリアムに金を請求するための大義名分を、つまり被害者というレッテルが欲しかったのである。

 令嬢たちのは良い金づるだからこそ、エイミーは彼女たちを訴えられない。

 まぁ金づるでなくなった今なら訴えられるかもしれないが、しかしそれで時間をとられるのは非常に嫌だ。

 訴えて得られる金よりも、それにかかった時間や金の方がもったいない。

 だが、加害者がウィリアムになれば、時間をとられてまで被害者になるメリットが、賠償金かもしくは手打ち金が手に入る。

 だって他国の第三王子様である。

 名誉とか何とかが色々と引っ付いているのだ。しかも、他国の伯爵令嬢に手を上げたのなれば、外交問題にすら発展する。

 そしてそれをゆすれば、つまり手打ち金、小金貨十五枚としてなかったことにしてやると言えるのだ。


 それをするために、わざと令嬢たちを動かしていることを話し、ウィリアムを怒らせようとしたエイミーは、しかしながらそれができず僻んだ口調で礼をいい、足早に去った。

 すっかり落ち着きを取り戻したウィリアムは、爽やかな甘いスマイルでエイミーをなじるのだった。

 

 そして丁度講義の終了を知らせるチャイムがなり、ウィリアムは今回の事の報告もかねて、生徒会室へと足を進めた。

 ――ああ、結局昼寝はできなかった。

 ウィリアムはがっくりと肩を落したが、しかしその価値はあったのだろう。


 その日の放課後、二週間ぶりにエイミーとモニカは生徒会室へ呼び出され、新たに立てられた学園都市公正規則――公正法の一個下――を伝えられた。

 それにより、獣人たちは安心して学園内を歩けるようになり、エイミーたちは獣人たちに被害が出ないための香水作りを前倒ししなくてはならなくなった。

 一応、商会長が茶狸族であるモニカなのである程度はそれを予測して準備はしていたが、予定より早く、移行にかかる期間が長くなり、売り上げが下がることは確定だったのだ。


 

 ……そして、翌日の早朝。

 怒りのあまり、家族や友で上限いっぱいだった“気配感知”の個人登録の内、従妹の気配登録を解いて、エイミーの気配を登録してしまったウィリアムは。


「うん?」


 学園内の森林演習場にいるエイミーの気配を捉えたのだった。




 ……ところで、ウィリアムは王子である自分に暴言を吐き、暴力をふるったエイミーを訴えることも、脅すことも、色々とできたはずである。

 エイミーにそれをネタに注意を聞かせることもできただろう。

 なのに、それをあえて問い詰めなかった。

 ……そこまで頭が回らなかったのか。


 あるいはそれとも……


 ……まぁ今は関係ない事である。

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