三話 入学初日

 ――帰りたいよぉ。 


 丁度いいからという理由でぶち込まれた王国高等学園の入学式を、何とか乗り切ったエイミーの心は、既に限界だった。

 アップアップしていた。溺れそうだった。

 何に?

 そりゃあ人の視線に。


 少しだけ跳ねているセミロングの黒髪は、骨のような白のバレッタである程度纏められている。

 が、前髪はまとめられておらず、この世界では珍しい黒目は隠れている。

 顔立ちは整ってるとは言い難いが、整ってないとも言えない凡人そのもの。

 纏う雰囲気は同様に凡庸であり、少しだけ陰気な子かなと思うくらいである。

 ただ、エイミーはこの場にいる誰よりも浮いていた。

 

 何故なら……


「あら、なんで仮誓いもしていないような子供がいるのかしら?」

「ぅぅぅ」


 エイミーは小さいからだ。

 背が低い。この場の誰よりも低く、高く見積もっても十三歳程度、低く見積もれば十一歳程度。

 つまり十五歳であるはずのエイミーの身長は、ようやく百四十センチあるかくらいなのだ。

 ……いや流石に百四十センチはあ……あ、あると思う。

 まぁそれは置いといて、レヴィアの徹底的な食生活とケアで多少なりとも改善したとはいえ、エイミーの頬は少しだけ痩せこけていて、肌やつめ先も荒れている。

 身なりのいい貴族や商人、金持ちの平民がいるクラスの中で唯一ダボっとしたローブを身に纏っているので、確実に浮いているのだ。

 だから視線を集める。

 ――マモールくんが恋しいよぉ。

 そして己の心を、見栄を守っていたヤギの頭蓋骨は、レヴィアに取り上げられしまった。

 何度も寝首を掻いて取り返そうとしたが、返り討ちにされ、エイミーは心の拠り所を一つ失ったのだ。

 そしてその拠り所を返してもらうには、今日から三か月、無事に問題を起こさずに、品行方正に王国高等学園の一学期を終える事。

 だから目の前で己を小馬鹿にしているチベットスナギツネ似の令嬢に対して唸る事しかできなかった。

 普段なら、その間抜けな灰色の瞳やら顔立ちやらを厭味ったらしく揶揄るのだが、それができないのだ。

 それが何とも悔しかった。

 己の行動がレヴィアに支配されている事、そしてマモールくんがいないと嫌味の一つも言えない己の弱さが。

 ――うぅ、帰りたいよぉ。でも、あの陰気ババアにレヴィアと一緒にいろって言われたし……

 

「確かにそうですわよね、オリアナ様」

「こんな浮浪児が栄えある王国高等学園にいるなど、世も末ですわ」


 チベットスナギツネっぽい令嬢、オリアナの取り巻きたちもエイミーを馬鹿にし始めた。

 今は今年一年のガイダンスの丁度前。

 部屋中にはクラスメイトがいたが、誰もエイミーを助ける事はせず、無視を貫いていた。

 だって、グレイフクス大公爵の令嬢にして、第三王子の婚約者であるオリアナ・リング・グレイフクスに逆らいたくはないのだ。

 と、だが、エイミーはオリアナという名前を聞いた瞬間、ある事を思い出した。


 ――「いいですか。お前のクラスにはオリアナ・リング・グレイフクスという間抜け面の灰色の令嬢がいます。そいつにこれをコッソリと渡しなさい。向こうから何となく催促があります。いくら人の視線が怖いお前でも、というか同じクズとしてそれは分かるはずです。いいですか、コッソリ渡すのですよ」

 

 あれは入学式前日。

 王国高等学園に行きたくないとくずっていたエイミーにレヴィアが言ったのだ。

 その通りにすれば平穏な学園生活が送れると。少なくとも誰とも関わらずに過ごせると。

 教えてくれたのだ!


 ……だが、エイミーはクズである。

 後先考えず、目の前の間抜け面女が顔を真っ赤にして、怒り狂っているところを見たいとも思ってしまった。

 まぁこの時点では思っただけだった。

 けれど運が良いのか悪いのか……


「アナタ。私を前にして何故跪かないのかしら? 平民のぶ、ん、ざ、い、で?」

「うぅぅぅ」


 ……ガイダンス前なので、まだ自己紹介は行われていない。

 元は平民でも、モス伯爵の養子であるエイミーに跪けなど普通、大公爵の令嬢ですらしてはいけないのだが、しかしエイミーの見た目が見た目である。

 平民と勘違いするのもしょうがない。

 まぁ確かめもせずに相手を侮辱するような奴はたかが知れているが。


 と、そんな事はどうでもよく、エイミーはレヴィアの言葉を思い出しながらも、三流悪役オリアナの言葉に従った。

 つまり土下座をしようとしたのだが、ただその前に何故か頭を抱えてしまった。

 あまりの屈辱で思いっきり相手に頭突きしそうだったから、抑えたのだ。

 ここで頭突きをしてレヴィアに知られたら、もう何をされるか分からない。入学するまでの二カ月間でレヴィアに逆らってはいけないと知ったのだ。

 ついでにある程度の倫理観と性根をたたきなおされた。

 なので、頑張って頭突きの衝動を抑えようと頭を抱えた。

 エイミーは成長したのだ。偉い。偉いぞ、エイミー。

 だが、その成長がさらに悪い方へと、いや、エイミーにとってはいい方と言えるのか……

 まぁどっちにしろエイミーが平穏な学園生活を送れるように、大八魔導士権限で色々調べ上げ、色々と画策していたレヴィアの努力は水の泡になった。


 頭を抱えた瞬間、少しだけ癖のある黒髪を纏めていた白のバレッタにエイミーの指先が触れた。

 その瞬間、ハッと心が動いた。

 ――おじいちゃん、おばあちゃん……

 ゆっくりとエイミーの心は温かくなる。芯に熱が入る。


 エイミーを心を守る拠り所は何もマモールくんだけじゃない。

 白のバレッタもマモールくんと同じくらい、いやそれ以上にエイミーの過去を形作り、今を守ってくる大事な宝物。

 ――そういえば……言ってたなぁ。大事なお守りだって。

 しかし宝物故にそれを身に付けてはいたが、思い出したくもない記憶があったから、それを思い出さずに閉じ込めていた。

 けれど分かりやすく己を守っていたマモールくんがなくなり、屈辱と恐怖などによって雁字搦めになったエイミーは、ふと思い出した。


 ――こうありたいと願い、為して成る。そのためのお守りじゃ。

 ――臆病なアナタでも、どんなアナタでも、女の子は髪型を変えれば歩き方人生が変わるの。アナタのまま、けれど歩き方人生だけが変わる。これはその為のお守りよ。


 思い出せたこと。

 それはトラウマを克服したわけではないが、向かい合う機会を与えた。

 そしてその成長は彼女に開き直りという図太さを与えた。いや、エイミーは取り戻したのだ。


「申し訳ございません、申し訳ございません! 彼の大公爵の令嬢であらせられますオリアナ様に土下座の一つもせず、ほんっ当に申し訳ございません!」

「な」


 エイミーはオリアナの足元へとスライディング土下座をし、教室中に響き渡る声で叫んだ。

 無視していたクラスメイト達が一斉にぎょっとしてエイミーの方を見た。

 跪けと言ったオリアナだが、しかし地面におでこをこすりつけ、身体を雑巾のように床に付ける土下座を望んでおらず、一瞬だけ顔を真っ赤にした。

 エイミーはそれを怒りと受け取った……体だ。


「オリアナ様の怒りはもっともですぅ! そのチベットスナギツネの如き高貴な出で立ちにぃ、ゴミムシの平民如きがひれ伏さなかった事に怒りを覚えていらっしゃるのは、重々承知しておりますぅぅ! 普通なら許されず、この場で処刑される事も承知しておりますぅぅぅ!」


 ……チベットスナギツネは、確かに高貴な動物とされている。

 ただ、何が高貴かといえば、その毛皮であり、顔立ちや出で立ちは貴族の間ではとても馬鹿にされていたりする。

 ……間抜けで可愛いのに馬鹿にされているとは、何とも不憫な。

 まぁ、それは置いといて、エイミーは五体投地をかましながら、一瞬で懐に手を突っ込む。

 レヴィアに渡され、自分で少しだけ綺麗に装飾したあるものを取り出す。


「ですが、ですが! どうかこれで勘弁願えないでしょうかぁぁ! 亡き父の大切な形見なんですぅぅ! 大切な宝物を捧げますので、どうか、どうか、お許しくださいぃぃ!!」

「え、い、いや……」


 泣きじゃくりながら地面に頭をこすりつけ、土下座をされるというのは何ともいやである。

 ……土下座というよりは寝そべっていると見えるが。

 しかし悲壮な泣き叫び声と、そして一瞬だけ大事に抱え、けれどフリフルと震えながら、グレーの宝石があしらわれたペンダントを差し出すエイミーの様子にクラスメイト達は騙された。

 しらっとした目つきでオリアナとその取り巻きを見る。


「あ、アナ――」

「――びぇ、こ、これでもお許しいただけないとなれば、わ、分かりましたぁ! このオリアナ様に直ぐに跪かなかった私の命でありますが、どうか、どうか、受け取ってください! そ、その代わり、家族は、父が守ってくれた幼い妹だけはどうか助けていただけないでしょうかぁ! 頑張って高等学園を卒業していい職ついて妹に苦労をかけないためここに来ましたが、それは叶いそうにありません! どうか、どうかこのゴミで存在してはいけない私の代わりにぃぃ!」

「や、え、あ、え、あ……」


 そして更に畳みかける。

 少しだけ顔を上げたエイミーは、戸惑っているオリアナの顔を見て、誰にも分からないように一瞬だけニヤッと嗤い、そして懐から短剣を取り出し、ペンダントと一緒に差し出した。

 これで私の命を奪ってくれと。

 もちろんエイミーは奪われるつもりもないし、オリアナだって命を奪いたいとも思っていなかった。

 そもそも、オリアナは第三王子の事、それと明らかに中等の子と思われる平民がいたから、少しだけ甚振ろうと思っていただけである。

 ……いや、年下――と思う――を鬱憤晴らしに甚振ろうとするのもどうかと思うが、まぁエイミーもクズなのでお互いさまという事で。

 

 とそんな二人の心内を知らないクラスメイト達は、すっかりエイミーの言葉に騙された。

 エイミーを貧しいながらも努力して、普通の平民では入る事の難しい高等学園に入ったいい子、と思ったのだ。

 特に下級貴族や中級貴族は、努力する平民が好きだったりする。頑張って学び、家族を支えようとする平民を好む傾向が何故かある。

 ……それは貴族の子息子女があるお話を聞かされて育ったからなのだが……割愛する。

 という事で、そんないい子に土下座させ、命を取ろうとしたオリアナを直接敵視はせずとも、とても責め立てるような視線を向ける。

 取り巻きも思わずオリアナから一歩引いてしまった。


 ………………そして、ほんっ当に、本っ当に遺憾ながら、エイミーは一言も嘘を言っていないのだ。

 ……いや、少しは嘘を言っているが……

 だが、殆ど事実ではある。

 エイミーには六人くらいの妹、いや義妹いもうとがいる。

 何故なら、エイミーはモス伯爵の養子であり、モス伯爵は毎年死竜の荒野に捨てられる数人の子供を養子にしているのだ。

 法律上では妹であり、血族上では義妹いもうとが何人もいるのだ。

 そしていい職につこうと言う気持ちも、は本当で、義妹いもうとの中でも自分に優しくしてくれた幼い少女を少しだけ手助けしようと思っていたのも本当である。

 エイミーはクズではあるが、絆されやすい部分もあるのだ。

 またその幼い義妹いもうとは、死竜の荒野に捨てられた捨て子という経緯で養子になったわけではないので、エイミーが言っていた、父親が~~も本当である。

 ……もちろん、エイミーは一言も父親が自分の父親とは言っていないのだ。

 あと、亡き父の形見として差し出したペンダントであるが、これはその幼い義妹いもうとの父親の形見とそっくりなのだ。

 ……これだけは嘘だったりする。

 昨日、レヴィアにグレーラピリンスという宝石を貰った際に、その義妹いもうとの形見のペンダントに使われていた宝石もグレーラピリンスだと思い出し、何となく同じにしたのだ。

 暇だったし、それをする力もあったので……

 ……なので見た目は形見である。中身は違うが。


 …………質が悪すぎる。

 ……まぁそれでも詭弁でしかないのだが。


 しかし、そんな詭弁を知らないので、オリアナの心はもう大変である。

 クラスメイトや自分の取り巻きにすら白い目で見られ、目の前には短剣と亡き父の形見――と思っている――のを差し出されて、土下座されている。

 ここまでやるつもりはなかったし、ここまでさせる度胸もなかった。

 恥ずかしさと恨みと怒りと……色々な感情がごっちゃ混ぜになり、もう布団の中に籠りたかった。


「ふ、ふん。き、今日のところはその妹に免じて、ゆ、許して差し上げますわ!」


 だから、口早にそう言った後、ガイダンスがあるのにも関わらず、逃げるように教室を出ていってしまった。

 それを取り巻きたちが肩身を狭くしながら、ついて行った。

 ――ふ、ふふっ、真っ赤、真っ赤か、プークスクス。アハハハハハッ!

 土下座をしながらそれを見ていたエイミーは心の中でガッツポーズした。

 クラスメイトは流石に悪いと思ったのか、エイミーに一言二言慰めの言葉を掛け、エイミーがモス伯爵の養子だと後の自己紹介で知った時は驚いた。

 しかしそれでもクラスメイトの殆どはエイミーがオリアナに言った妹に~の言葉を全て真実だと信じた。

 誰もかれもモス伯爵の奇行を知っていたため、エイミーの言葉を疑う者は殆どいなかった。少しだけひねくれた平民はアレだったが……

 まぁそれは置いといて、皆思ったのだ。

 オリアナ終わったな、と。

 養子とは言え、伯爵令嬢ともいえる彼女を土下座させて命をとろうとしたのだ。

 ……そういう風に見えている。

 だが、ここで困ったのはエイミー。

 今回の事がレヴィアに伝わったらどんなお仕置きが待っているのかと、ここ二ヶ月のレヴィアの所業を思い出して震えた。

 なのでクラスメイト達に決してこの事を他言しないように頼み込んだ。

 それが健気に映ったらしい。

 クラスメイトはエイミーの言葉を飲み、教師が来るまでにあったことは誰にも話さなかった。噂として扱うことすらしなかった。

 そしてオリアナとその派閥を見事なまでにスルーし、いない者として扱うようになった。



 ………………オリアナは本当に運が悪い。

 絡んだのがエイミーであったがゆえに、そのエイミーに土下座をさせたが故に、オリアナ・リング・グレイフクスの人生は大きく変わってしまった。

 本当に変わってしまったのである。


 それが分かったのはそれから二か月後である。

 そしてエイミーはその尻拭いをしなければならないのだが、エイミーがそれを知る由はないだろう。






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